第九章 断罪(一)

 初夏に行われる婚約の儀に向けて、城内は俄かに活気づいてきた。

 三線の稽古は、週に一度になっていた。




「ぬるい!」


 琉心の部屋で、お茶を一口飲んで伯雷が言い放つ。

 昼食時、飯にするかと考えていた琉心の元に、伯雷が現れた。ご丁寧に昼食を持ってきてくれたのだが、そのまま自分も琉心の部屋で食べ始めたのだ。

 食べている間、一言も言葉を発さないので気まずくて仕方がない。ようやく口を開いたかと思ったら、そんな一言だった。

 琉心は顔を引きつらせながら、急須を手に取った。


「い、淹れ直してきましょうか……?」

「いや、茶の話ではない。琉心、お前のことだ」

「俺、ですか?」


 湯飲みを置き、伯雷は琉心を指差す。


「そう、お前だ。琉心、お前にはがっかりだ」

「と言うと……?」

「なんのために戻ってきたんだよ!」


 伯雷がどんと机を叩き、はずみで琉心のお茶が少し零れた。

 手巾でそれを拭きながら、琉心はおずおずと伯雷を見やる。


「なんでって……。朱麗様に三線を教えるため?」

「まぁそれも間違いではない。だがお前は、結構な覚悟で一度城を出たのではなかったか?」

「うっ、それを言わないでくださいよ……。俺だってあんなにかっこつけて出てったのに、その日のうちに戻るなんで思いませんでしたよ……」


 琉心は情けなさそうな顔で笑う。それを見て、伯雷はふんと鼻を鳴らした。


「戻ってくるなら、それはそれで別にいい。ただ問題は、お前がどういう気持ちでここにいるかってことだよ」


 伯雷の目は真剣だ。とても初日に噛み付いてきた人と同じとは思えない。


「旦那、俺のこと嫌ってませんでしたっけ?」

「今も嫌いだが?」

「辛辣!」


 琉心はからからと笑った。まるで気にしていないようだ。


「旦那。なにか勘違いしてるようですが、俺とお姫さんは楽士と王女。師と生徒。それ以上でもそれ以下でもございません」

「あんな目をしといてよく言う。朱麗様の後ろに鏡を置いといてやろうか?」


 狼狽したのは琉心である。自分の頬をぺたぺたと触り、顔に焦りを浮かべた。


「えぇ? 俺、そんなに分かりやすいですか……?」

「おう、丸分かり。……ってのは冗談だが、俺とか比陽とかは分かるんじゃないか?」

「そうですか……」


 琉心は深くため息をつく。

 気持ちに蓋をして、戻ってきたはずだった。今生で結ばれる術はない。それでも傍にいたいのならば、気持ちは押し殺すべきだ。


「駄目ですね、俺」

「そこがぬるいと言ってるんだ。掻っ攫う勇気もないくせに、のうのうとお傍にいることが腹立たしい」

「掻っ攫うって……」


 そんなことをすれば、ただでは済まされまい。相手は次期国王だ。どこまでも追っ手がかかり、最悪の場合、死罪だ。


「第一、旦那がそんなの許さないでしょう?」

「当たり前だ」


 まったく、伯雷がなにをしたいのかが分からない。部屋まで押しかけてきておいて、激励に来たのかと思ったら、年頃の娘を持つ父親のようなことを言う。励ましているつもりなのだろうか。


「それに、色恋沙汰は、片方の気持ちだけで決めていいものじゃあありませんでしょう?」


 伯雷ははて、と首を傾げる。


「お前、知らんのか」

「なにをです?」


 伯雷は天井を見上げ、なにやら思案顔だ。そうして琉心に視線を戻すと、口の端を上げてふっと笑った。


「『朱麗様はなにやら最近お美しくなられた。あれでは玻璃姫ではなく瑠璃姫だ』。兵士たちの間でもっぱら噂になってる。敵は多いようだなぁ?」

「なっ……!?」


 ようやく表情を崩した琉心に、伯雷はにやりと笑う。してやられたと琉心は頭を抱えた。

 伯雷は急に真面目な顔つきになる。


「ま、お前がそれで良いというのなら、俺もなにも言わん。だがな、一線を越えたいというのならば、よく考えてからにしろよ? 相手が相手だ」


 そんなのは琉心が一番よく分かっている。最初に受けた絶望は計り知れなかった。

 鐘が一つ鳴った。そろそろ兵士の午後の訓練が始まる時間だろう。伯雷が立ち上がる。


「言動に気をつけろ。火がなくとも煙は立つぞ」


 謎めいた助言を残し、伯雷は出ていった。

 食器は片付けておけということらしい。皿と共に琉心は取り残される。

 静かになった部屋で、琉心は一人物思いに耽る。


「火をつけちゃ、いかんだろう……」


 さて、想いはままならない。

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