第二章 酒場にて

 楽士登用試験は、年に一度。瑠玻羅の短い冬が来る前に行われる。

 宮廷楽士の活躍の場は国内外に渡り、瑠玻羅王国の楽士の最高峰だ。合格すれば将来は約束されたようなもので、国中の楽士の憧れだった。




「いやーまいった! まさか落ちるとは!」


 日も暮れた城下町の酒場。かかっと笑って杯を傾けるのは、琉心である。

 その隣では、若い男が苦笑を浮かべた。


「弾きもしなかったじゃないか、お前さんは」


 試験場で知り合った男である。竜笛を携える彼は、試験では見事な笛を疲労していた。意気投合して、こうして飲み交わしているのだ。

 彼は受かった。


「手袋、外せば良かったじゃないか。下手なのか?」


 彼の視線は、琉心の杯の傍に置かれた手袋に注がれている。

 革の手袋は、三線初心者が付けるものだ。弦を押さえるには力がいる。初めのうちは、弦を押さえて指先を怪我してしまうのだ。それを防ぐために、手袋をはめる子どもは多い。


「なにを言う! この琉心、故郷の織古オリコじゃ随一と言われた三線の名手だぞ」

「じゃあそれが原因か」


 彼の指先が、手袋を外した琉心の薬指を指す。左手の薬指、琉心の爪は赤く染まっていた。


 瑠玻羅王国に古くからある言い伝えである。爪紅を持って生まれてくる者は、前世の記憶を持っている、と。

 勿論ただの伝説である。そんな赤子が生まれてきたら、大騒ぎになるだろう。

 その伝説は歌にも残され、瑠玻羅王国の民は、誰しもその歌を歌うことができるほどだ。


「落とせば良かったじゃないか。試験のときくらい」


 伝説にあやかり、爪を染める者もいる。琉心もその口だろうと男は諌めた。


「なんの」


 琉心は酒を煽る。

 そこに給仕の女が近づいた。


「あらお兄さん。爪紅じゃない」


 美しい女だった。着物の胸元が大きくはだけており、琉心に向かってしなを作る。

 琉心は隣を見やり、にやりと笑った。


「俺の爪紅を見ていいのは、美女だけだ」


 男は呆れ顔で首を振った。

 給仕の女がするりと琉心の隣に座ってくる。


「お兄さん、楽士なの? 一曲聞かせてほしいわぁ」


 垂れかかってくる女をそのままにする琉心に、男は諦めたようだ。こいつは本気で宮廷楽士を目指してはいなかったのだろう、と杯を傾ける。


「あぁ、いいとも。俺の三線は、あんたみたいな美しいお嬢さんに聞かせるためにある」


 大分酔っているようだ。

 手袋を差し出してくる男に、琉心は不敵に笑う。


「俺を下手だと侮ったこと、後悔させてやろう。不肖琉心の早弾きをとくとご覧あれ!」


 琉心は右手に撥を握ると、べべんと音を鳴らした。素手の左手が弦を押さえる。


 そこからがすごかった。

 短く息を吸った琉心は、一音目から目を瞠る速さで音を紡いでいく。

 ただ速く弾いているわけではない。激しいところは強く、郷愁を誘うところは繊細に。ここまで表情豊かな音を奏でる者を、男は生まれてこの方見たことがなかった。


 いつの間にか、店中の者の視線が琉心に集まっていた。

 べべんと一際大きく音を鳴らし、音楽が止む。一呼吸置いたあと、割れんばかりの拍手と歓声が響いた。


「兄ちゃん若ぇのにやるな!」

「素敵……!」

「もう一曲!」


 あっという間に囲まれる。

 調子を良くした琉心は二曲、三曲と弾き続け、男も竜笛を取り出し加わる。楽器を持っている他の客も混じり、店は大賑わいだ。


「お前さん、なんで試験でその腕前を披露しなかったんだよ」

「必要以上に素手を晒したくないんでね。これ、大分染まっちまってるから」


 鳳仙花で染められたという琉心の左の薬指は、その間も弦の上を飛ぶように動く。

 くだらないと笑いながら、男たちは賑やかな音楽の中に身を落とした。




 店の片隅で、女がその騒ぎから一歩身を引いていた。薄布を被った細身の女だ。

 女の視線は、琉心ただ一人に向けられていた。

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