3-2
翌日、僕は社長の指示で買い出しに出されることになった。
つまり、保険会社の人間が来る際、僕がいたんでは何かと不都合だから、予め外に出しておこうって作戦だろう。その証拠に、僕は車中では帽子を被っていくことを厳命された。
車の運転は出来るけど、免許を持っていないので、運転手はトーヤだ。流石にミモリは、機長として事情を説明しないといけない。
ロッカ飛行場から街までは、車で一時間ほど。随分と不便なところにある。僕はおんぼろ軽トラの荷台に揺られながら、ぼんやりと空を眺めていた。
夏の日差しが降り注ぐけど、ずっと走っている車の上だから風は涼しい。
麦わら帽子の縁から覗く晴天は、胸がいっぱいになるほど雄大。
僅かな雲、地平線の向こうの入道雲。
夏の空は気候が安定しているように思われがちだけど、高空に出るとそうでもないことが分かる。
地上からの上昇気流が集まっているのだから当然なんだけど、熱によって空気の質は変動するから、基本的に安定した期間というのは空にはない。と、僕は思っている。
いつの空も、どこか不安定で、ちょっと機嫌を損ねると危険で、癖さえ知っていればそこまで怖くない。
ずっとずっと高いところを、翼の大きな鳥が飛んでいる。
目の訓練も兼ねてそれをじっと見つめていると、鳥の翼は常に一定の形を保っているわけではなく、芸術的なほど緻密で神経質に変形していることが分かる。あのメカニズムを人間が再現するのには、百年は掛かるだろう。僕達はまだ、不自由な鉄の翼を背負って空を何とか飛んでいる段階に過ぎない。
それより遙か頭上に特異点。
白い影が蒼穹に違和としてあった。
企業の航空艦だろう。
でかい不自由な図体が空気の薄い高空にいるんだ。
飛行機の限界高度を超えた先。
死の虚空には、企業人たちが居座っている。
空に唯一の不満を持つとしたならばそれ。
普段は目に付くこともないのだけど。
たまに見えてしまう。
それだけが不具合。
視界から消え去るまで目を瞑ろうと思っていたら、いつの間にか眠っていた。
トーヤが僕を起こす声で目を覚ます。
全身が熱を持っていて、シャツの裾に手を入れてぼりぼり掻いていたら、トーヤが照れた。僕は笑う。ミモリが怒るよ。
飛行用のゴーグルを外すと、そこにはもう人々の営みが広がっていた。
埃と煤、二酸化炭素、揚げ物やごみのにおい。
クラクションとざわめき、大きな騒音としか言えない音楽が、あちこちから、それも違うものが流れてミックスされて、僕を三半規管から揺さぶる。
噎せそうになるのを堪えた。
いつも燃料と酸素と草の匂いしかしない飛行場にいて、ここに来たのは仮の戸籍を登録する際の一度きり。その頃の僕は、まだ意識が前後不覚ではっきりしない状態だったけど、この不愉快な感じは覚えている。
ここが地上。
人間達の居場所。
上空から見た時とはまるで印象の違う摩天楼に囲まれて、僕は立ち竦んだ。
「シラユキ。こっち」
「あ、うん」
トーヤの声に、現実に引き戻される。
目の前を輸送車両が、轟音を立てて通過していく。
目眩を起こしそうな気持ちを何とかバランサで立て直して、僕はトーヤの後を追ってその建物に入った。
手続きを済ませて工場内に入ると、すぐさまそこは僕の場所になった。
すぐに嗅ぎ慣れたスメルが鼻を擽る。
鉱物油の甘い匂い。鉄の冷たい匂い。
それらが僕を落ち着かせてくれた。
機械音が規則正しく響いている。
作業服姿の男達が弄っているのは、主翼やボディや、エンジン、プロペラ……つまり全て飛行機の部品だ。
「ここでエンジンを見るの?」
「いや、今日は話だけ。……身分証、反対になってる。ゲストの文字が見えるようにしとけ」
「あ、うん」
トーヤの身につけているそれは、顔写真と名前と、ナンバーが振られた別物で、彼が時折勉強に出向いている工場がここなのだと知れる。
結局、シマ社長は今回の保険金如何によってはエンジンの載せ替えを認めることにしたようだ。いろいろと言ってしまったけど、結局は、整備も経理も全部現役でしっかりやってる社長の言葉が一番正解だろう。僕は門外漢だし部外者だ。
先に決まりそうだと話をつけておくのが、今日の目的だと言う。金が入っても売れてしまっては元も子もないというわけだ。
関係者以外立ち入り禁止と書かれたプレートの向こうにトーヤが消えてから、手持ち無沙汰の僕は工場の観察に入る。
歩き回るのが迷惑なのは流石に分かるので、事務所の前で膝を抱えて流れていく作業を見つめているだけ。
それでもエンジンや翼の甘い形状に見惚れることは出来る。やはりというか、空冷式がほとんどだ。液冷式みたいに手間が掛かるエンジンは、コスト・パフォーマンスの問題から、民間ではあまり使われない。企業も民間のはずだけど、そう呼ばれなくなってどれくらい経つだろう。
煙草はもちろん禁止。
ぼーっと眺めていると奇異の視線があちこちから刺さってくるけど、皆、自分の仕事に忙しい。僕にとっても具合が良かった。後は解説役でもいてくれればもっと快適だけど、それは高望みが過ぎるというものだろう。
ここで扱っているのはどうやら、郵便機を中心とした連絡機などだ。翼の形状で知れる。基本的に戦闘機は戦闘会社や大企業の子会社で作られ、整備される。この工場は民間から次々持ち込まれている雑多な飛行機を修理・整備しているようだ。
多種多様な翼が右から左に流れていくのは見ていてとても面白かった。見覚えのある翼もいくつか。まだ作ってたのか、と思うようなものもある。あのノーズの飛行機、失敗作扱いされていなかったっけ? まだ使われているんだとしたら、驚きだ。
知らないうちに笑顔になっていたらしい。周囲の目はますます、奇異の度合いを強めていた。
トーヤが出てくる頃には、昼が近いこともあって、手が空いた整備士達といくつか話も出来た。どんな飛行機を扱っているのか、どんなものが主流なのか、最新機はどんな感じか。そういうのを聞けただけでも十分な収穫。仕事には関係ないけど、飛行機のことは知るだけで楽しいんだ。
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