3. 地上から

3-1

 僕達が根城であるロッカ航空郵便に帰還したのは、その三日後のことだった。


 ミモリは祖父から軽い小言。彼女のことを心配してのことだろう。僕には特に何もなかった。叱られるくらいのことは覚悟していたので、拍子抜けではあった。ただ報告書を纏めるまでは飛行禁止。これは二人共だ。

 まあ、こちらに非があるとも思えない状況。報告書は形式的なものだろう。保険会社にも提出するわけだから、いい加減なものは書けないが。


 僕は端末に向かいながら、眼鏡の位置を直す。

 もう一時間も文章を書いているのに、全くページが埋まらない。虚偽は書くなと言われたものの、都合の悪いところだけ省いて書いたらまずいのは僕にも分かる。かといって本当のことは書けない。何しろ下手に突かれると、僕の戸籍が偽造であることや、他にもいろいろが保険会社にばれて、拙いことになる。


 意識していなかったわけではないけれど、僕がいるというだけで、この会社は結構なリスクを背負っているのだ。飛行機の免許だって持っていないし。やろうと思えば、教習所で一発合格する自信はあるけど、それだけに戸籍の不安定さが足を引っ張る。


 そんなわけで、筆は進まず、僕はタイピングの手を止めて、冷蔵庫に向かった。


 地上は暑い。

 夏の暑さだ。


 海まで車で一時間の平野にあるこの会社は、夏は暑く冬は寒い。その代わり周囲に建物がないから、飛行機の練習は、整備と燃料代にさえ目を瞑ればいつでも出来る。つまりまあ、お金がないと出来ないってことだけど。


 コーヒーにしようかと一瞬迷ったけど、アイスコーヒーは確か午前中に会社の皆で消費し尽くしたはず。補充分はろくに冷えていないだろう。仕方なく、ジンジャーエールを手に取る。蓋を開けて煽ると、しゅわしゅわした泡がさんざめきながら喉を通り過ぎる。


 しかし、辛い。

 どういうわけか社長が贔屓にしているジンジャーエールは、ひどく辛いのだ。


 僕はため息をついて眼鏡を外し、デスクに置く。目を悪くしないための眼鏡だ。一応、ここの常備品。

 煙草に火を点けてゆったりとリラックスしていると、トーヤが来た。


「今、いいか?」


 いつものように唐突な言葉。前置きがないのは僕としてはありがたい。あれって何の役に立つんだ?


「いいよ。ちょうど休憩中」


 煙草を燻らせながら頷く。

 トーヤはオフィスの椅子を一つ引っ張り出すと、僕の目の前に座った。ミモリと同い年のはずだけど、こっちのほうが年上に見える。一般的に、空を飛ぶ人間と地上で生きる人間とで、歳の取り方が違うように感じるのは僕の気のせいだろうか。


「それで?」

「正直なところ、どうだった?」

「何が」

「空賊に襲われた時。フレガータの性能」

「ああ……」


 ちょうど僕はそれ関係の書類を作成していたし、そもそもフライト後は何度もその内容を反復する癖がついている。感想はすんなり出た。


「あともう少しパワーが欲しいと思った」

「あれ以上となると、エンジンを換装しないといけない」

「だよね。もしくは設計をいじって旋回性能を上げるか」

「郵便機として、燃費が悪くなる。良くない」

「後方銃座でも置く?」

「重い。もっとパワーが下がるぞ」

「つまり、対策は今のところ、やりようがないってことだよ」


 僕はぱっと手を広げる。トーヤは仏頂面を崩さない。


「でも死にかけた」

「まあね。正直、生き延びたのは割と運の要素が強い」

「また同じことがあったとき、切り抜けられるか?」

「無理だと思って欲しい」

「もっと高性能の機体なら?」

「どのくらいかにもよる。それでも、墜ちる時は墜ちる。無駄な投資になることを覚悟したほうがいいよ、そういうのは」


 どだい、空を飛ぶ、海を行く、という、本来人間が足を踏み入れることのない領域を航行することそのものが、死に直結する行為なのだ。どんな高性能の飛行機でも墜ちる時は墜ちる。信頼性を高めたところで事故の確率はゼロにはならないし、それが助けも来ない高空で起きたなら、まず間違いなく死ぬ。


「強いて言うなら、落下傘を常備しておくことくらいかな」

「意外と現実的だ」

「でも、落下傘も整備が面倒なんだけどね。常に背負ってると疲れるから、長時間の飛行にも向かないし」


 企業軍が使っているような高級品なら、結構軽い素材なのだが、当然値段のほうも相当だ。となると、まるでキャンプ用品を背負っているような頑丈で重い落下傘が購入対象になる。僕はキャンプなんて行ったことないけど。


「最近は良いものも出回るようになってきたし……そっちのカタログを漁ってみる」

「うん。まあ、それが無難かな」


 同意してからしばらく。

 トーヤがその場から動こうとしないのを見て、僕は首を傾げる。


「まだ、何か」

「エンジン。換装する必要はあると思うか?」


 これもまた唐突な問いかけ。僕はしばらく考える。


 もちろん、エンジンが強力なことに越したことはない。それがパイロット全員の共通認識だろう。でもそんなのはトーヤが分かっているから、わざわざ訊いてきたということは、それとは違う意見が聞きたいということでもある。

 何とも言いようがなく、結局僕は、質問に質問を返すことにした。


「つまり、新しいエンジンが入る伝手がある?」

「町工場で型落ちのエンジンを買わないかって話が来た。高いは高いけど、でも本来のものより格安」

「そういうのは社長に話しなよ」

「パイロットの意見が聞きたいんだ」

「僕の意見は変わらないよ。エンジンは強いに越したことはない。信頼性も大事だけど。それだけ。ミモリは何て言ってるの?」

「訊いてない」

「ならミモリに話すべきだ。機長はミモリ。社長はシマ。僕はただの従業員。話す順番が違いすぎる」

「例えば一〇速くなるとしたら」


 目を瞬かせる。それは改造というより、もはや別の機体になると言っているようなものだ。流石に検討の余地を感じて、僕はやっと真面目に考え始める。


「安全マージンの話だよね? ……そうだね、それだけあれば、少なくとも今回の事態は、より安全策を取れたかな。曲芸飛行をする必要もなかった。でも、そんな強力なエンジンにして、チューニングも整備も大変じゃない? 燃費とか信頼性とか……」

「それはあんたが考えることじゃない」


 煙草が短くなっていたので、灰皿に押しつける。

 もう一本喫おうかと考えて、トーヤが非喫煙者なのを思い出して、やめておく。

 代わりにジンジャーエールを飲む。

 白髪をかき回しながら、考え考え、意見を告げる。


「今の空賊がどれくらいの機体を使っているのか知らないから、何とも言えない。でも、エンジンを強力なものに換装しても、フレガータはどうやったって連絡機だ。半端に速度が上がるだけなら、やめておいたほうがいい。金の無駄だよ。それこそ誰も追いつけないくらい速く出来るならいいけれど、機体構造がそう出来てないよね?」

「うん」

「フレガータの低速時の性能は重要だ。それを殺さないで速度を上げられるなら、僕は積極的に賛成することはしないけれど、反対する理由もない。言えるのはそれくらい」

「分かった」


 トーヤは始まりと同様、あいさつもなしにそのまま立ち上がると、ポケットに手を突っ込んでオフィスを出て行く。乾パンみたいな男だ。苦手な奴は苦手なままだろう。それでいてコーヒーには合うんだ。ジンジャーエールにはちょっと合わないかも。


 しばらく煙草を吹かして頭の中を整理する。


 新しいエンジン。


 フレガータの改造。


 フライトの反省。


 報告書。


 記憶。


 煙草の残り。


 お昼は何にしようか。


 今夜は何時に上がれるだろう。


 寝床の整理。そういえば照明スタンドが欲しい。


 それらがいくつか脳裏をよぎり、どうでもいいことを片付けていく。


 でも、一旦整理箱に放り込んだものを取り出して、結局それをやる羽目になるんだ。


 僕はフラクタルを描いていた端末の画面を呼び戻し、再び報告書の作成を開始。

 最後の「その他」に分類される文章について、ずっと悩んでいたのだ。


 つまるところ、何故僕が――僕達が、ではなく――襲われたのか。


 一瞬だったけど、見間違えではないだろう。

 僕を襲ったのは、あの宿の前にいた老人だ。

 飛行士だったということか。基本的な動作はきちんと出来ていたから、即席ではない。

 そして、僕は長いこと、フレガータの側でエンジンが機嫌を直すのを待っていたから、観察していればフレガータが僕の乗機であることは分かったはず。


 偶然とは考えにくい。


 これは意図的な犯行であると推測できる。


 でも何故?

 さあ……いろいろと想像することは出来るけれど。


 例えばあの辺りでは若白髪が不吉らしい。だから、白髪の僕を不吉な死神とでも思って、殺しに来たのかもしれない。


 或いは単に、僕が彼を馬鹿にしたとでも思われたのかも。そんな理由で、年に何人も殺されている。


 もしくはもっと可能性の高いところを模索するならば、泡沫のように掴み所なく四散してしまう僕の記憶の中に、答えがあるのかもしれない。もしそうなら、正直どうしようもない。


 自分が命を狙われたことに関して、特に感想はない。


 多分、躰が慣れているのだろう。

 襲われて撃たれてる最中だって、頭の中は水冷式エンジンのラジエータみたいに綺麗に冴えていた。


 そんなことより重要なのは、これらの推測を僕は報告書に書くべきなのかどうか。僕が記憶に問題を抱えていることに関して、保険会社が調査して突き止められるのかどうか。突き止めたとして、保険金が下りることに関して何か問題が生じるだろうか。


 記憶障害の人間をパイロットにしていることが、どれくらいの問題になるのか。

 その辺りは社長の判断を仰ぐしかないか。


 戦闘機に関してだけど、あれはいざという時、例えばあの空港に空賊などが襲来した場合の最後の備えという名目で置かれていたものらしい。最低限の整備だけして、弾薬なども長いこと交換していなかった代物だそうだ。


 そして、そのいざという時に、戦闘機を操縦する、企業軍に所属していた経歴を持つ人間の一人――かなりの高齢らしい――があの日から行方不明になっていること。


 取り急ぎここまで来た保険会社の人間が社長に語ったのはその辺だった。明日もまた来るから、それまでに報告書を提出しないといけない。


 煙草を消費しながら考えるけれど、想像だけで何もかも解決するなら、調査会社なんてものも必要ないわけで。


 僕はため息をひとつ。


 推測については触れず、保存キーを押して画面を閉じた。

 記録メディアを取り出す。


 黙っているのは三つ。

 僕に記憶の問題があること。

 僕が意図的に戦闘機を山壁に誘導し、激突させたこと。

 そして、そのパイロットに見覚えがあること。


 さて、どうなるかな。

 社長には全部話してあるんだけど。


 とりあえず、これでいいか、社長にチェックしてもらう必要があるだろう。


 全く、地上に降りるとろくなことがない。

 以前の生活、僕がここに来る前の生活もそうだったのだろうか。

 きっと同じだろう。


 地上には面倒ごとが溢れている。


 羽を失った僕達は永遠に飛んでいることは出来ないのだから、こういう、やりたくないことから、決して逃れることは出来ないのだ。

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