2-9
夜。
その日は燃料スタンドから三〇分ほどの距離にある小さな町に泊まった。
怪しげなモーテルしかなくて、僕はうんざり、ミモリはおっかなびっくりチェックイン。もちろん、同じ部屋だ。
代わる代わるシャワーを浴びて、早々に就寝。
流石に僕も疲れ切っていたと見えて、すぐに微睡みがやってきたのだけど、ごそごそと隣のベッドが動いているのを感じて、薄く目を開けた。
ミモリがベッド脇に立っている。
何となく、こうなることは予想していたので、特に驚きはない。
「眠れない?」
訊くまでもない質問。でも順序は大切だ。
ミモリは枕を抱えたまま、はにかんだ。
「シーツに潜るとね……まだ、飛んでいるみたいな感じ。あの、すごい激しい機動と、最後のふわって感じが。一緒に寝ても、いいかな」
「いいよ」
トーヤの頼みもある。
僕はこういうプライヴェートに人を通すことを好まないけれど、彼女は特別扱いしてもいいだろう。
躰を寄せて場所を作ると、ミモリは早速滑り込んでくる。
「……ありがと」
ミモリの声が聞こえたので、僕は背中を向けたまま、
「何に対してのお礼かな」
「今日、助けてくれたことと、それから、一緒に寝てくれることのお礼」
「ミモリが死ぬときは僕も一緒だよ」
「え?」
「だって同じ飛行機に乗ってるんだ。同じ運命だよ。だから頑張ったし全力を尽くした」
「ああ……それって、例えば、別々の飛行機で一緒に飛んでいたら、助けなかったのかな、シラユキは」
「どうかな」
いい加減眠くて思考が鈍っている。でも大事なことだったから、慎重に言葉を紡ぐ。
「一緒に飛んでいた奴が墜ちていくのを見るのは、嫌なものだよ」
「ふうん……実体験?」
「どうも、そうみたいだ」
返答には満足してくれたみたいだ。ミモリはしばらく沈黙。
虫の声が窓の外から聞こえる。
自分の汗でシーツが湿ってきて、僕はそこに少しだけうんざりする。気を利かせてブランケットでも買って来れば良かったな。
横目で、天井の大型のファンが回っているのを確認。たいして涼しくないんだ。寧ろねっとりと湿度の高い空気を練り回しているだけで、止めたほうがまだましなんじゃないかってくらい。
僕達はしばらく、そうしていた。
眠気はあったけれど、予感があって寝るわけにはいかない感じ。
何かを待っている。そういう夜はある。眠くたって眠れないんだ。
整備士が言っていた。気を遣ってやって欲しい?
全く誰にものを頼んでいるんだか。天井の染みを数えるより有意義であることは疑いないけれど、それにしたって得意じゃないことだ。
僕はそれでも待つ。パイロットは時に忍耐を試されることもある。寧ろ忍耐力が全てである場合が多い。
例えば撃ちたくても残弾が少ないから、確実に近づいて撃たないといけない時。
旋回戦に入って、どちらも互いの性能を引き出しているから、全然後ろを取れない時。そういう時は集中力が切れたほうが大抵負ける。
いるはずの敵機を目視確認するために、ひたすらエルロン・ロールを繰り返して下方視界を確認する時。
でも今の状況に一番合致しているのは、出撃前、もしくはクライアント会社に近い基地でのアラート待機かも。企業ビルへの爆撃は法的に認められているけど、周辺への被害を考えるとリスキィな行為だ。それでも実行することはある。それを邀撃するのが任務の場合、来るかどうかも分からない敵を何時間も待機室で待ち続けることになる。
邀撃任務。
まさに僕は爆撃機か攻撃機か、地上掃射の戦闘機か、どう来るか分からないもののために待機しているわけだ。
室内の時計が壊れていて、時計の音が嫌いな僕としては有り難かった。きっと針の音で眠ってしまっていた。あれは呪いの針なんだ。
「怖かった」
ミモリがぽつりと言う。声の方向から、今までみたいな背中合わせとは違って、こっちを向いているのが分かる。
「誰でも最初はそうだよ。いや、慣れない奴はずっと慣れないまま。増して君は郵便飛行士だ」
饒舌なのは、早く終わらせたい証拠。我ながら薄情だと思う。でも、これは本当のことだ。
「シラユキは、昔、戦闘機に乗っていた?」
「多分ね。今回ので、ほぼ確信を持って良いと思う」
成長するにつれて自分という人間を知ることは誰でも経験するけど、途中から全く知らない、ある程度完成された自分を発見するということ、これはなかなかない体験だろう。
まるで自分の躰ではないような感じ。とても違和感があるのだけど、自分の躰を取り替えることも出来ない以上は、これで我慢していくしかなく、かといって我慢出来ないほどのものかと言えば、いくつかの不具合を除けば、基本的に満足のいくものだ。
燃費も良いし、小柄で体重も軽い。
そういう視点から見ると、僕の思考が何を中心に回っているのかが分かってくる。
単なる飛行機じゃない。これは戦闘機乗りの思考だ。
他の思考が出来ない。つまり戦闘機にしか乗ったことがないということだ。
他の仕事をしたことがない。
それだけ。
子供の頃の夢は次々と変わっていくものだと聞くけど、じゃあ、僕の思考がその子供の頃のことを思い出せないのは、記憶の読み込みエラーだろうか。
それとも、生まれつき、空のことしか考えられないように出来ているんだろうか。
どうも後者の気がしてきた。
それ以上考えても憂鬱な結論しか出てこないように感じたので、僕はミモリに集中することにする。
「フレガータは直る。僕達も生きているよ」
「うん……今になって、急に怖くなってさ。よく生きてるよね、あたし達」
「よくあることだよ。空を飛んだら、一度地面を離れたら、生きて戻れる保証なんて誰にも出来ない」
「トーヤがさ」
「うん」
「トーヤがね、いっつも、離陸前は見送りに出てるんだ」
そうなのか。気づかなかった。
「心配そうな顔してさ。いつも心配ないよって、大袈裟だなって思ってたんだけど、初めてその気持ちが分かった。見送る人達は、いつも、こういう心配をしてるのかな」
「どうかな」
そこだけは同意も否定も出来ないところだ。言えることと言えば……
「トーヤはそうだろうね。それに、多分、社長も。飛んでいく奴を見送る経験をしてきたはずだから」
ミモリの祖父、シマは、かつて企業軍の整備士をしていたらしい。だったら、飛んでいったきり帰って来ない飛行機なんて、いくらでも見送ってきただろう。
きっと、それに慣れることはなかったはずだ。
今も。
「帰ったら、お礼を言おう」
「それがいいと思う。僕は言わないけど」
「何で?」
「いつも、地上に戻るのが億劫だから。ずっと飛んでいたいって思う」
やっとミモリが笑った。
僕もそれで安堵する。
「また、飛べそう?」
「うん、多分、大丈夫。あ、でもシラユキ」
「うん。」
「手を握ってもいい?」
「それは駄目」
「ええ、けち」
「握手以外で手は繋がないことにしてる」
「何で?」
「理由は特にないけど」
「ふうん。じゃあ」
そんな声と共に、僕の腹にほっそりした手が回された。それほど強くなく、抱きしめられる。背中に、頭が当たる感触。
「これは駄目? 怒る?」
流石に笑うしかない。
「いや、これは想定外。だから別にいいよ」
「やった。……シラユキはあまり、においがしないね」
「やめてくれるかな、そういうのは」
心底から訴える。
「ああ、ごめん。そうじゃなくて。なんていうのかな、無色無臭っていうか」
「汗は掻いてるけど」
「汗のにおいもあまりしない。あ、でもシャンプーの匂いが」
「君と同じだけどね、ミモリ」
そういうとミモリがくすくすと笑い出す。
僕も付き合いで笑って、それが止まらないから、本当に笑い出す。
その後、いくつかの話を結構長いことしてから、二人揃って眠りについた。同時くらいだと思う。
翌朝は見事に寝坊した。
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