2-6
ミモリが燃料漏れに気づいたのはすぐ後だった。
燃料タンクに火が点かなかったのは幸運だけど、そうでなくても被弾しているのは分かっていたから、一刻も早くどこかに降りたかった。幸い、近くに飛行機用の燃料スタンドがあったので、そこに向かうことにする。
この頃には山の高度もだいぶ低くなって、開けてくる。
進路を東に変更。山岳地帯を早めに抜けて、平野に出る。
閉ざされた、分厚い雲を冠する山を抜けると、そこからいきなり世界が広がる錯覚。
空の広さは変わらないけれど、視界がダントツに良くなる。これだけのことがこんなに心地よいなんて。
どうも襲われた、という事実が僕を神経質にさせていたらしい。
視界が開けて、気が抜けて、始めてそれを自覚する。
スタンドは山裾からすぐ見えるところにあった。これもまた安心感。
着陸してから、ミモリはすぐにフレガータの状態の確認に移る。
「あー! こんなところに穴が……ここにも! くっそう、こんなのないよ、酷い!」
「ミモリ」
「うう、他にはどこか痛いところ、ない? あ、ここにも? うっそ、何でもう……」
「ミモリ、連絡」
「痛かったよねえ、ごめんねえ、フレガータ。すぐ修理するから……」
「連絡……」
どうにも、僕の声は聞こえていないようだ。
ため息をついて、僕がスタンドに備え付けの電話機に向かった。電話は嫌いなんだけど、機長がクレージィな状態じゃ仕方ない。
規定の番号をコール。
程なくしてオペレータが出る。無機質な人間の声。山の空気を薄荷のようだとしたけど、こっちはスカスカのゴムみたい。
用件と機体の登録番号を告げると、郵便連盟の担当者に繋がれる。
「はい、アサクラです」
男の声だ。
「あ、えーと、ロッカ航空郵便の社員です」
「お名前は」
「シラユキ」
「はい、確認しました。今年入社された社員さんですね。ミモリさんはどうされましたか?」
どうにも、空賊に襲われた人間を心配しているようには聞こえない声。
「今、機体の状態を確認しています。でも、ええと、僕が見たところ、燃料タンクに穴が空いているので、少なくともきちんとした整備士に見てもらう必要があるから、今日はもう飛べません。だからつまり……」
「分かりました。代わりの飛行士と、近くの街から整備士を送ります。この電話はどこから掛けていますか?」
事務仕事のように淡々と処理される会話。僕は場所と荷物を告げ、アサクラと名乗った男は僕に、運搬先の街を訊いた。さらに関係書類を引き継ぎ相手に渡せるよう、準備しておくことを告げると、
「保険会社には連絡されましたか?」
「あ、いや……僕はその辺、詳しくないので。機長と話をしてください。もしくは、ロッカの社長と」
「そうですか。――ああ、お怪我はありませんか」
「パイロットは、無事です。ただ機体にいくつか穴が空いています」
「荷物は」
「見た限り、トランクに被弾はしていません。中は確認していませんが、たぶん無事かと……」
「分かりました。荷物に損傷があるかどうかでも、支払われる保険金が変化しますので」
「あの、僕は詳しくありませんから」
「失礼しました。ではロッカ航空郵便に直接お電話いたします」
「そうしてください。あ、でも、先に僕達から電話をさせてください。無事を伝えないと」
「もちろんです。私からは三〇分後に連絡しますので……ああ、それから」
「はい」
「ピレネー社の戦闘機が、そちらの救援に向かいました。無駄足だったようですが」
僕は自分の声が僅かに低くなるのを自覚する。
「すいません、どういう意味でしょうか」
「幸いにもという意味です。気に障ったなら謝罪します」
「いえ……」
「そちらが燃料スタンドに着陸したことは伝えておきますので、彼らが来たら、聴取に応じてください。その後、保険会社も来ます。そちらはロッカ社様本社に、数日中に。その時までには、本社に戻っていてください」
「分かりました」
「では、お気を付けて。ご無事で何よりです」
僕は受話器を置くと、我知らず息を吐く。
全く、慣れないことは嫌いだ。十秒ほど、鉛のような気分を味わって、煙草を取り出した。燧火で火を点けてから、再びダイヤルを回す。
ロッカ航空郵便はミモリ・ロッカの祖父が社長をしている会社だ。当然、SOSが出た段階で彼にも連絡が行っている。だから本当はミモリが連絡するべきなんだろうけど。
コールは一秒と待たなかった。
「ミモリ?」
「あ、トーヤ?」
煙草を咥えたまま、ちょっと驚く。会社で働いている若い整備士だ。社長の声を想像していたから、その無愛想でつっけんどんな声に少し慌てる。爆撃機を撃ち落としてやるつもりで向かっていったら、攻撃機に出会ってしまった感じ。脅威ではないけど、勝手が違う。
「シラユキ。無事か」
「あ、うん」
「良かった。怪我は」
「二人とも、ない。フレガータも、まあちょっとの被弾。修理可能」
簡潔な言葉の遣り取り。寧ろこちらのほうがずっと気楽なのは何故だろうか。
「ミモリは」
「機体を慰めてる」
そこで、電話の向こうで大きく息を吐くのが聞こえた。僕も紫煙を吐き出す。次に聞こえた声は、幾分柔らかい印象だった。
「帰りはいつになりそう?」
「分からない。修理は今日明日中に終わると思うけど。あ、郵便連盟から連絡が来るって……」
「爺に伝えとく。怪我はないんだな」
「ないって」
ちょっとだけ笑った。さっきまでの連盟の無機質さとはまるで違う。ぶっきらぼうな癖に何度も同じことを聞いてくるあたり、何とも非効率的だ。つまり人間的ってこと。
「社長は?」
「爺は外の電話であちこちに連絡取ってる。俺は電話番」
「心配いらないって、ミモリが言ってたよ」
「嘘つけ。機体のことばっかだろ」
「まあね」
「とにかく良かった。事後処理とか、こっちでやるから。お前らはとりあえず、帰って来い。荷物は他の奴が引き継ぐ」
「聞いた」
「それと、ミモリ、結構ショックだと思う。ちょっと見てやってくれ」
「自信が無い」
「頼む」
「……努力する」
後はいくつか、必要事項を伝え合って電話を切る。ミモリがこっちに来ないか、ちらちら窺っていたけど、機体のあちこちを覗き込んでは頭を抱えて絶叫している。見ていてまるで喜劇役者みたいだった。
とりあえず、これで連絡すべきところにはした。
短くなった煙草を灰皿に放り込む。
全く、ハードなことをしたと、今更ながらに感じる。
急に疲れを感じた。シャワーを浴びてさっさと眠りたかったけど、すぐに戦闘会社が来るだろう。
ミモリに必要事項を伝えたら、ベンチで仮眠しようかな。
三機のテンロウが飛来したのは、それから二〇分後だった。
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