2-4

「ただし、左右の幅と高度、これだけ注意して。急旋回しても大丈夫な幅を維持して」

「う、うん。でも、撃たれたら……」

「僕が合図したら、指示した方向に旋回して。そうしたら、絶対に弾は当たらない」


 空中戦で弾が当たる状況は、流れ弾を除けば、絶対に当たる距離まで近づかれるか、軌道を読まれるか、真後ろに回られた時。


 前の二つは上手い奴の当て方だ。追ってきてるのは最初のヘッド・オンで外した。たいした腕じゃないのはもう分かった。そうじゃないなら、僕達は死んでる。


 後は当たらないように回避して逃げ切るだけだ。だいたい、戦闘機の弾丸なんてすぐに切れるんだ。そこまでびびるようなことじゃない。


 半分は自分に言い聞かせるつもりで、ここまで思考。僕は後部座席で躰を捩って、後ろを振り向く。


 対面交差を外した敵は、そのままループ。上昇から繋げた急降下で、上部後背から襲ってくるつもりだ。でも僕らがいるのは複雑な谷間。そして今の時間なら、


「く、来るよ、上から来てるよっ?」

「ミモリ、前だけ向いて。弾丸を躱しても、崖にぶつかったら意味がない」


 僕は冷静に告げる。敵機がはっきり見えた。

 複葉の旧型機。キャノピィはなく、遮風板だけがある。そこから突き出したスコープ型の照準器が見えた。そいつが邪魔をしてパイロットの顔は見えない。


 間違いない。フライト前、雪山の飛行場で見た戦闘機だ。

 あれなら、載せてる機銃も小口径だろう。だといいな、という僕の願望。


 パワーもそんなにない。でもやっぱり戦闘機だから、フレガータとは根本的な作りが違う。


 次の攻撃は外れる。もしくはそもそも撃てない。僕はそう確信して、しかし戦闘機から目を離さない。


「ミモリ、ゆっくり高度を下げて。一五度くらい。ゆっくりね」

「う、うん」


 すると当然、機体が谷底に沈んでいく。

 僕は息を止める。早めに、闇雲に撃ってくるか? いや、相手が正規の訓練を積んだパイロットなら、確実に当たると自分が思う距離まで近づいてくる。そこだけは奇妙なことだけど、敵を信じるしかないんだ。空中戦というのはある意味、敵を信じることで初めて成立する。


 やはり撃ってこない。もっと近づこうと降下して、谷に入ってきた。


 途端。

 敵の機体が明らかに挙動を崩した。


 当然だろう。谷間の気流は上空のそれとは全く違う。増して今、僕達は向かい風を受けて飛行していた。そこにいきなり飛び込んだら、どんなパイロットだって機体の制御に集中しないとならないんだ。僕達は元々、安定性の高い機体で向かい風の中を飛んでいたから、コツを掴んでいるだけだ。


「ミモリ、今のうちに横道に逃げ込めない?」


 戦闘機から目を離さないまま問いかける。


「無理。このあたりは一本道だよ」


 舌打ち。弾切れを狙うしかないか。タフな話になりそう。生き残る確率は、二割か三割ってところかな。もちろん、希望的観測。戦闘機に、そうじゃない飛行機が狙われて、生き残るって道理がそもそもないんだ。ああ、爆撃機だけは別。あれときたら、もう何発撃ち込んだって落ちやしないんだから。


 でも相手は旧式で、腕もいまいちだし、ミモリという地の利がある。生き残る目はゼロじゃないだろう。これも希望的観測。


 僕は今のうちに距離を稼ぐように告げ、フレガータのエンジンは健気な唸りを挙げて全力を出し始めた。


 予想より一秒は早く、相手は体勢を立て直した。流石にエンジン・パワーはあちらが上だ。真っ直ぐ飛んでいたのではすぐに追いつかれる。

 故障していたのは右の機銃だった。


「ミモリ、合図したら右旋回。右の幅を維持して」

「うん……」


 青ざめた声色、というのははっきり分かる。でもここは彼女の腕を信じるしかない。僕が信じる程度に、ミモリは良いパイロットだ。

 僕は見る。敵の機体が気流の中、フレガータのプロペラ後流を避けるように迫ってくるのを。


 まだ……そう、ここ――


「今!」


 叫ぶ。

 ミモリ、間髪入れずに右に旋回。

 一瞬前まで僕達のいたところを火線が抜けるけれど、僕はそれを見ていない。ずっと敵から目を離さない。


「ミモリ、そのままスロットルを絞って機首を下げろ!」

「うん!」


 言う通りに機速と高度が落ちたのに少し感心しながら、僕は頭上をオーヴァ・シュートしていく敵機を確認。もちろん、追い抜いてしまったら、敵は僕らを撃てない。


「すごい……追い抜かれちゃった」

「すぐにまたループして後ろにつかれる。今のうちに速度と高度を取り戻して。それと、救難信号を送って。空賊の……」

「わ、分かった」


 どこの戦闘会社も、空賊退治はイメージ・アップの宣伝になるから、どこかしらに対策チームが置かれている。今ミモリがボタンひとつで送った通信は、郵便連盟に送られ、その情報が発信源から最寄りの飛行基地に送られるようになっている。


 といっても、空賊は山岳部からほぼ駆逐されているから、練度も低く緊張感のない警備隊が飛び立つまでに結構な時間が掛かる。あまり期待は出来ない。

 どちらかというと僕が期待しているのは、近くの戦闘指定区域を飛んでいる最前線のパイロット達だ。彼らが通信を受け取れば、ランデヴーはかなり早い……


「シラユキ、返信ビーコン来た。これで後は逃げ切るだけ……」


 それが難しいんだ。僕は口に出さず、予想通りループして再度アタックを仕掛けてくる敵機を見る。


 機銃を避けるのは実はそんなに難しくない。要するに銃口の先にいなければどうやったって当たらないのだから。そして前方機銃は、機体の軸に合わせて弾丸が飛ぶように設置されている。


 僕がずっと見ているのは、その射軸だ。


 敵の機体がどんな機動をしたって、最終的に後ろに回って、狙いをつけて撃たないといけないのだから、射軸さえ把握しておけば大丈夫。


 というのは戦闘機同士の話なのだけど。


 どうやっても、旋回性能も速度も劣るフレガータが、あの戦闘機の墜とされるのは時間の問題だと言える。


 僕は再び合図。ミモリが旋回。機銃が外れる。

 再び減速を命じるけど、二度も同じ手は通じなかった。相手も十分に減速して食いついてくる。


 予想していたから、慌てない。オーヴァ・シュートさせられなくても、こんなに距離が詰まってる状態では、狙いなんてつけられやしない。


 フレガータが唯一勝っているのは低速時の操縦性だ。


 僕はミモリに指示を出して、相手が嫌がる極低速でじりじりと射線から逃れる。あまりに低速になると飛行機はストール、つまり失速する。元々、戦闘機って奴は、不安定に作られてるんだ。のろのろとした速度域で、安定して飛ぶこと前提の郵便機と戦うなんて考えられていない。こんな低速、ほら、もうバフェットが起きた。


 諦めた敵は速度を上げ、こちらを追い抜いてまた上昇。ループに入った。

 同じ手を何度も使ってくるのは馬鹿だからじゃない。寧ろセオリィに忠実な兵士であることの証明だ。マニュアルもろくに読んだことのない空賊がこんなことを何度もやるものか。


 四度目も同じ方法で機銃を回避。なかなか弾切れにはなってくれない。おんぼろだからもっと少ないと信じていたのに、裏切られた形だ。いい加減、あっちも先読みをするようになってきた。

 もうちょっと、あとほんのちょっとだけ旋回性能があれば、これを繰り返すだけで十分逃げ切れるのに。


 左旋回に切り替えた五度目の回避の時、コン、と何かが当たる音がした。弾がどこかに当たったんだ。

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