第18話 少年の日の思い出

小さな町で起きたこの奇妙な事件を記すにあたって、私は当時の新聞や映像メディアなどを出来るだけ丹念に調べ上げ、自分の曖昧だった記憶との照合を行なった。そしてそこに誤りが有れば訂正し、追加情報が有れば付け加えた。この作業の結果、私の記憶はほぼ正確に記憶されていたことが分かった事から、この事件が当時小学生だった私にとって非常に強いインパクトを与えた事は間違いない。私はこの物語の中に一人の少年を登場させようと思う。自己投影させて描いたと思われても結構だし、そうでなくても構わない。ただ私はこの少年を登場させることで、この奇妙な事件と町をより際立たせ、出来るだけ多くの人にこの事件を知ってほしいこの一点のみである。


このような前書きを書かせてもらったが、なにも猟奇的な殺人が起きたとか、大量殺人事件が起きたとかそのような期待はしないでもらいたい。なにせ田舎の小さな町で起きたある出来事なのだから、そこは一言注意して前書きを締めさせて頂く。




「保吉もランドセル姿が似合ってきたな」

父親が朝のコーヒーを飲みながら小学二年生になった保吉を見ながらシミジミと言う。

「今日は6の段を勉強するんだよ!」

「がんばれよー」

「うん!!」


新たな年度を迎え二年生になった保吉が両親に見送られ元気よく学校へ向かう。新しいクラスと教室に徐々に慣れてきはじめた5月中旬。朝日が葉桜を照らし町全体がどこか水々しい。



「保吉~次の時間割なんだっけ?」

「んーとね道徳だよ」

「道徳かぁ…なぁ保吉道徳って何のために勉強するんだろうな、あの科目必要だと思うか?」

「そんな事言われても僕わかんないよ…でも先生が道徳をちゃんと学びましょうって言ってたから必要だと思うよ」

「お前大人の意見を鵜呑みにするのって間違ってると思うぞ」

「代助君の話っていつも難しくて面白くないや」


キーンコーンカーコーン

休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴り保吉は道徳の教科書を抱えて自分の席に座る。

「起立、気をつけ、礼!!」


「はーいみんなー道徳始めるわよー

今日は20ページを開いてー」


「せんせー島村くんがまた教科書忘れてまーす」


「また?島村くん何回目なの!?

忘れ物多いです!毎日言ってるけど朝起きて出る前に確認する事!もう一年生じゃなくて二年生なんだよ!そんな事してたら一年生の子に笑われちゃうよ!?」


「…ごめんなさい」

「聞こえません!」

「ごめなさい」

「じゃー島村くん隣の駒子ちゃんにお願いしてみせてもらいないなさい、じゃー始めるわよーみんな20ページのお話をまずは静かに読んでみましょう」


保吉は20ページを開く

「少年の日の思い出:著ヘッセ」


保吉は一ページ読み進めるにつれ本を閉じてしまいたくなった。何か悪い事をした時にはすぐ謝るべきなのは分かっているが、大人達に怒られる事と、組織内での立ち位置が崩れてしまうのではないかという強烈な不安が行動を鈍くさせる。エーミールの標本を壊してしまった主人公の僕は採集家としてと人間としての地位も自ら壊してしまった。


「どう?島村くん読めた?」

「…はい」

「聞こえませんよ?」

「はい」


「良い返事だね、島村くん。島村くんはどういう時に怒られる?」

「き、教科書を忘れた時です」

「そうだね、じゃーなんで教科書を忘れたら怒られるか分かる?」


「んー駒子ちゃんに迷惑をかけるから?」

少し考えて島村くんが答える


「確かにそれもあるね。

他の考えの人いる?」


代助がスッと手を上げて答える


「人は一人では生きていけません。一人一人が社会の中で生きています。そして社会の中では意見の相違によって争いやトラブルが必ず起きます。それらを防止、抑制する為に社会には必ずルールが必要になってきます、忘れ物をせず朝ランドセルの中を確認する事、宿題は必ずする事、給食当番、掃除当番、日直当番、そして人に迷惑をかけない事。大袈裟かもしれないですがこれらのルールが守られていく事で組織内に規律と調和が生まれ争いとトラブルが抑制された良い組織になるんだと思います。今日島村くんは教科書を忘れてしまいました。これは二年二組内にある忘れ物をしない、というルールを犯したので、先ほど先生に怒られたと思います」


「代助くんの意見はほぼ百点。

ただ一つみんなに知ってて欲しい事があるよ。保吉くん、怒られるの好き?」


保吉はこないだ遊びに夢中になり門限である17:30を過ぎて帰宅し母親から大目玉を食らったのを思い出し首をブンブン横に振る

「そうだよね、好きな人なんていないよね。先生も嫌いです、けど怒る方はもっと嫌いです。嫌いなのになんで怒るのかというと、島村くんにもう忘れ物をして欲しくないからです。島村くんが今後忘れ物をしないように先生はガミガミ言うんです。島村くん分かった?」

「はい!」

「よっしゃ。じゃーこの主人公はどういうルールを破ったか駒子ちゃん分かる?」


「エーミールの大切な蝶の標本を盗んで壊しちゃったから」

「そうだね。人の物を盗んではいけません、これも社会の中の大切なルールの一つだね。そしてエーミール君にも大きな迷惑をかけてるからもっといけないね。人の物を盗むと、警察の人に怒られてパパやママと一緒に住めなくなるかもしれないし、友達と遊ぶ事が出来なくなるかもしれないよ。そんなのみんな嫌だよね?」


「「「嫌だー」」


キーンコーンカーコーン

授業の終わりを告げるチャイムが鳴る

「じゃー今日はおしまい。さー4時間目が終わったから給食当番さんよろしく!先生お腹減った!」


「起立、気をつけ、礼!」



給食当番が一斉に白衣を着始め準備を急ぐ。


「なー保吉、ルールを破って罪を犯した人ってその後どうなるんだろうな」

コッペパンを一つ皿に乗せながら代助が言う

「えーと警察の人に怒られて、パパやママと一緒に住めなくなるんじゃない?」


「じゃーなんで人は罪を犯しすんだろな、そうなるリスクを分かった上で罪を犯すわけだろ?」


「そりゃーお前目の前に自分がめちゃくちゃ欲しい物があればいけないと分かってても取ってしまうだろーよ」

島村くんが話に入ってくる


「彼はエーミールの標本を取ったけど、メイドにビビってせっかくの標本をグチャグチャにしてしまったよな?めちゃくちゃ欲しい物を取ったのにグチャグチャにしてしまうってちょっと馬鹿だよね?罪を犯す人間はそれくらい冷静さを失ってしまってるんのだろうか」


代助の言葉を聞き流しながら、保吉はもし自分が罪を犯して、パパやママと一緒に住めない事を想像した。それは小学二年生の保吉にとって何よりも怖い事で何よりも考えたくない事だった。


「じゃーどういう時に人間は冷静さを失ってしまうんだろうか?」

コッペパンを頬張りながら代助が呟く。

「だーからめちゃくちゃ欲しい物が目の前にあったら冷静さを失うんだろ。

あっ駒子お前青リンゴゼリー食わないの?くれよ」

「いやよ」


島村君と駒子がガヤガヤしだしたので

その話は終わってしまった。


キーンコーンカーンコーン


5時間目の授業がおわり下校時間となる。


「保吉、代助。また明日ーなー」

「保吉君、代助君バイバーイ」


島村君と駒子が保吉と代助に手を振る。保吉達も手を振り返しながら反対の道を歩いて帰宅する


「なー保吉お前冷静さを失うほど欲しいものってある?」

顎を触りながら代助が保吉に質問する

「またエーミールの話?んーなんだろう」

こないだ母親と出かけた時にみたウルトラマンティガの黄色い戦闘機は確かに欲しかったが、冷静さを失うほどではないし、そもそも冷静さを失うという事が保吉にはどのような状態なのか分からない。


結局二人とも答えが出ないまま帰宅した。


✴︎


キーンコーンカーンコーン

近くの小学校のチャイムが虚しく響く


「こんなはずじゃなかったのにな…」

と男はため息をはきベットに置かれた手紙に目を通す。手紙の内容は旧友の結婚式の招待状だった


少年時代、男は非の打ち所がない少年として育って来た。勉強は出来たし、友達も多くクラスでも人気者で学級の発表会が有れば皆を笑すことだって出来た。高校は地元で有名な進学校に入り都会の大学へと進学した。大学時代は勉強を頑張ったとは言えないがそれなりに勉強して、大いに遊び人生を謳歌した。もともと人と喋るのが得意で有ったので就職活動も上手くいきトントン拍子で決まっていた。社会人一年目は慣れない連続で多少ストレスは有ったが二年目になると慣れてきて、会社の人とも上手くやってた。


転機が訪れたのは三年目。突然父親が倒れ入院し地元に帰る事を余儀無くされた。なんとなくこのまま都会に住み田舎には帰らないと思っていたので少々不満は有ったが、どのみち将来親の面倒は自分でみなくてはいけないという事は漠然と頭にあったので、少々帰るのが早くなっただけだと、地元に帰り地元の会社へと転職した。田舎に戻り1番最初に思った事は保守的な人間の多さである。小さい頃は特に何も思わなかったが、大人になり戻ると驚く。この世界では「現状維持」「波風をたてない」が最大のテーマになっている。前だったら新しい事を思いついたらやらせてくれたが、ここではやらせてもらえない。この事が最初男にとってストレスだったが、これも仕事だと諦め徐々に順応して行った。


しかし、時折出張で来た元同僚がどんどん新しい事をやらせてもらえて伸び伸び仕事をしている姿や、地元の同窓会で自分より勉強が出来なかった奴が都会の会社で頑張っている話を聞くとやはり面白くない。ウズウズした気持ちを抱えながらズルズル3年が過ぎた。そんな時に届いた元同僚の結婚式。当然行くべきだろうが、行けばこの三年でついた差を見せつけられる気がして気乗りがしない、しかし行かない訳にはいかない。日時は来週の週末。男は携帯を取り元同僚に

『おめでとう。来週楽しみにしてる』

とメールを送った。



✴︎


「今帰ったぞー」

保吉の父親が帰宅し食卓につく。

「パパー冷静さを失うほど欲しいものってあるー?」

「いきなりどうしたんだ?」

「この子帰ってからずっとこうなんですよ。今日の道徳のお話なんですって」

「うーんそうだなー欲しいものかー

うーん…かーさん、とりあえずビール!!」

「はーい」

「もーうちゃんと答えてよー」


食卓に笑いが溢れ今日も平和な一日が終わる。


「父さん、今いいかな?」

「代助か、いいぞ入れ」

「失礼します」

代助が襖を開け父親の書斎へ入る 。

畳の部屋に入ると父親が一人読書をしていた。

「どうしたなんかあったのか?」

「父さん、父さんが今まで冷静さを失うほど欲しいと思ったものってなに?」

突然の質問に困惑する父親に代助が今日の授業の事をかいつまんで話す。


「ヘッセかー。なぁ代助これ読んで何を1番に何を思った?罪を犯した時は罪悪感で心が苦しくて大変だなー

だからみんなも気をつけましょう。

そう思ったか?」


「…そんな感じです」

「父さんはこの主人公は確かに悪い事をしたと思うが、少々羨ましくも有る。この少年と母親との会話から別に悪い教育を受けている印象はない。むしろ貧乏かもしれないが、精神的には豊かな教育を受けている印象受ける。そんな少年でもふとした瞬間に冷静さを失い罪を犯してしまう。そんな人間の良心の脆さを描いている一方で、父さんはこんな夢中になれる物を少年は持てて幸せだと思ってしまう。

食事する事すら忘れて蝶を捕まえに出かける時の少年の心持ちを想像したら、今の自分にそれだけ夢中になれるものが有るのかなと、今の自分を省みてしまう。確かに過去何度か冷静さを失うほど欲しいと思った事は何度かある、だが今はない。今思うと冷静さを失えるほど夢中になれるのも若さの特権かもしれんな」


「では、僕もいつかは冷静さを失える時がくるんですか?」


「おそらく。ただ間違った方向に冷静さを失ったら、この少年のように罪を犯してしまう。それだけ注意しなければならんけどな。冷静さを失った時に我々人間が持つパワーは凄まじい」


今日も夜はふけていき、1日が終わる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人生ショートショート 芋粥 @imogayu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ