第15話 大人の家出 2日目


2日目


無精髭を生やしてダラシない男が縁側で読書している保吉に近づく。


「うーす、ハヤシです。32歳」


そこから保吉の隣に座り、一緒に山を眺める。


「やっぱここからの景色は最高だな〜」


そこからハヤシが聞いてもないのに身の上話をし始めた。ハヤシは大学卒業後、入った会社を5年で辞めてそこから日本中を歩き回り旅の道中でここの近くを通ったら必ずこの旅館へ泊まるらしい。


ハヤシに何で仕事辞めたのかと聞いてみた。


この手のデリケートな質問も初対面だからこそ聞く事が出来るかもしれない。話す側も初対面だからこそ気軽に喋れる。これもまた旅の醍醐味の一つである。


「週末を待ちわびて生きる生活が嫌になったのさ。別にお金だって結婚しなかったらバイトしながらで十分だしな。毎日行きたくもない会社に行って80歳で死ぬ人と毎日好きな事して40歳で死ぬ人って、寿命は半分だけど楽しい思い出も半分だと思うか?

俺は少なくとも会社を辞めてからの5年の方が10倍以上楽しいぞ。お前は今何の為に生きてるんだ?」


別に生きたい理由もないし、死にたくもないしどっちでもいい。答えが出ない保吉にハヤシは言う。


「別に仕事が悪とは言わない。ただ、みんながみんな同じ様に生きていく必要はないし、中にはお金は要らないから時間が欲しい奴だっている。資本主義の波に飲み込まれ自分は何の為に生きているのか見失っている奴が多い。日本でいい年してフリーターだと白い目で見られがちだが、そんなツマラナイ事で自分の人生をツマラナくしてどうする?社会的体裁とかどうでもいい」



小さい頃たくさん勉強して、良い大学に入って、大きな会社に入りなさい、と習ってきたがハヤシの話や幸せそうな主人を見ると、それが正しいのかと思う。


「なーお前そんな事より

鍾乳洞見た事あるか?」


ないと答えると、驚いた顔をして

鍾乳洞の魅力についてベラベラ喋りだす。ハヤシは日本中を歩き回っているだけあって、各地の名所だったり各地の県民性だったり詳しく知っていて話を聞くだけで面白い。それがハヤシの独特の視点と解説でユーモラスに語られ保吉は夢中になって聞いて質問をした。


時を忘れ話し込んでいると、農作業から帰ってきた主人とオカミさんが帰ってきた。オカミがすぐに朝、畑で取れた野菜でお昼ご飯を作ってくれる。



「オカミさんのメシ美味いんだよなー


と言いながら長机の前にあぐらをかく。よほどお腹が減っていたのだろう。茶碗から米粒がこぼれるのも気にせず、男子柔道部みたいにガツガツ食べる。それを横でニコニコしながら見守る主人とオカミさん。まるで親子みたいだ。ハヤシはご飯を二杯お代わりした後、最後に湯のみの番茶を一気に飲み満足したようで

「ごっそさん」

とだけ言い座っていた座布団を二つにおり枕にして縁側で昼寝をし始めた。

これだけ欲望に忠実に生きていけたら楽しいだろう。毎日縛られず、行きたい場所に行き、食べたい物を食べて好きな時に寝る。


確かに会社員のように、家庭をもうけ夢の一軒家を買う事は出来ないだろうが、本人がそれを望まないならそれで問題ないだろう。むしろハヤシは今まで見た大人の中で1番楽しそうに生きていた。これが生きる事なんではなかろうか。働くために生きるのではなく

生きるために働く。こんな当たり前の事を忘れている人が多いかもしれない。


主人からハヤシについて聞くと1年に3回くらい泊まりに来るんだとか。縁側からハヤシのイビキが聞こえる、実に楽しそうな人生である。保吉も昼寝がしたくなり、ハヤシを真似て座布団を二つにおり、縁側で昼寝をする。満腹感と窓から秋の日差しが心地よく、すぐ眠りにつく。



「おい起きろ」

ハヤシが保吉の座布団をテーブルクロス引きのように勢いよく引っ張る。

保吉は後頭部を強打しイライラしながらハヤシを見つめると、ハヤシはいたずらっ子のようにニヤニヤして

「風呂行こうぜ」と誘う。悪びれる様子はない。


保吉は怒こる気が失せてハヤシと共に風呂に行く。風呂から上がると昨日と同じように夕食になる。


ハヤシは荷物から日本酒の一升瓶を持ってきて

「オカミさんお猪口3つ!

オヤジさん飲みましょう」

と言い長机に一升瓶を置く。

どうやら勝手に保吉も飲む事になっているらしい。


そこからは、オカミさんが焼いてくれた秋刀魚の塩焼きとお猪口3つとハヤシの日本酒が長机に並べられた。

食事が進むとハヤシがベラベラに酔ってベラベラ喋って、そして保吉に絡んでくる。


「お前就職先決まったの?」

はい、と答えると


「かぁっー真面目だねー

坊ちゃん真面目だねー

えらいぞー

頑張って働け!青年」


とお猪口と保吉をあおる。

お酒をつぐオカミさん。


馬鹿にされてイライラされながらも、

保吉は徐々にハヤシみたいに生きたいなと思い始めていた。将来結婚して子供を授かり、車を買って家を買う、というような誰もが思い描く理想に別に興味がない保吉は、ハヤシのように呑気に暮らして呑気に人生を終えたいと思うのだ。


その後も酔ったハヤシから彼の人生観と旅先でのエピソードを散々聞かされ、お開きとなった。


保吉はトイレに行き自分の部屋に入るとハヤシが保吉の部屋で大股開きで寝ている。

部屋を間違えたのだろう。荷物なども全てここに置いてある。

起こそうと思いハヤシに近づいた時、バックパックの近くに小物入れのような物が落ちているの気づいた。財布にしては小さい。どうやら名刺入れのようだ。ハヤシの生活と名刺入れはとても結びつかない。


人の物を勝手に見るのは気が咎めたが、酔いと好奇心が手伝い勝手に中を開く。中には「林 国久 営業部長」

と書いてある名刺が有り、社名には誰もが知っている大企業の名が書いて有った。先ほどのハヤシとこの林さんは同一人物なのだろうか。

いや、そんなわけはない。

あんな自由人がこんな大企業の営業部長になれるはずがないし、先ほど酔って偉そうにハヤシが語った人生観と真逆なのである。

32歳で大企業の営業部長に登りつめる事の大変さは、社会人経験のない

保吉でさえ途方も無い努力と運が必要だという事が分かる。働くために生きる毎日だろう。休日も仕事したり仕事の事を考えて過ごす毎日だろう。

季節が変わっていく美しさに気づかず、気づいたら熱くなり気づいたら寒くなっている毎日だろう。


隣でハヤシは大きなイビキをかいて寝ている。ここまで来たら確かめにずにはいられない。バックパックの中から財布を探し出して中を開ける。そこには「林国久」と書かれた運転免許証が有った。顔写真も間違いなくハヤシだ。


この時保吉は全てを理解した。

林は家出をしにこの旅館へ訪れるのだ。そこにはいっときの間現代社会から抜け出したい林のせつない願いがある。この旅館にいる時だけ林国久は、仕事を忘れ呑気で自由に行きているハヤシに成るのだ。この資本主義の世界は蜘蛛の巣のように我々を捕らえて離さない。この世界には毎日呑気に好きな事だけ出来る世界は存在しない。


林を起こすのを諦め、一度水を飲もうと下へ降りるとオカミさんが皿を洗っていた。保吉はふと気になりオカミさんに質問する。


「主人は前は会社で働いてたんですよね?どうしてここで旅館を始めることになったんですか?」


オカミはニコニコしていう

「宝クジに当たったのよ。そうじゃないと、こんな儲からないとこで自由気ままに旅館なんて出来ませんよ。あっこれ主人には内緒ね。言いふらすとあの人怒るから」


保吉は次の日の朝、朝食を食べ終わるとオカミさんに急に用事が出来たので今日泊まらず帰ります。と言い3泊分のお金を渡す。オカミさんは2泊分で良いと言うが保吉は聞かず荷造りをして旅館を出た。


バス停まで歩いている間に何気なくボストンバックのポケットに手を入れると林の名刺が一枚入っていた。

どうやら昨日の名刺を返さずにボストンバックポケットに入れてしまったらしい。保吉はバス停に着くとバスを待つ間、林の名刺を丁寧に小さく破って草むらに捨て来年から頑張ろう、と思い都心の街へと帰っていった。

車窓から見える山は朝日に照らされ紅葉した姿をより一層美しいものにしていた。

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