第14話 大人の家出 1日目
旅行客は2種類に分けられる
一つは"観光"そのものが好きな人。
そしてもう一つは"旅"そのものが好きな人だ。
旅とはある種大人がする家出かもしれない。少年少女達は親や学校に嫌気がさし、現状を打破しようと家出をする。しかし多くの家出にはプランなどといったものは存在せず、少年少女達は呆気なく親元へ戻るか、戻らされる。そして家出をした子供達は自分の無力さを理解し、今自分が生きている世界を受け入れるのである。
一方大人の家出には、子供時代におこなったような革命的な要素は無いが、いっときの間だけ現代社会から抜け出したいという諦観した切ない願いがそこにはある。
ある山の麓に旅館がある。旅館といっても古民家をいくぶん改築したような代物で、めぼしい観光地も近くには無く旅館の主人もお金儲けの為にその旅館を営んでるわけでは無い。そのためそこには資本主義からいっときの間解放されたいサラリーマンや、何で金儲けをしているか分からないようなノンキで自由に生きている旅人が泊まりに来るだけだ。
山が紅葉を始めついに秋が本格的に動き出したある日のこと。一本の電話が旅館にかかってくる。台所を掃除をしていたオカミが、電話に出ると青年の声で今月3日間ほど泊めて欲しいがいつの日が都合が良いかと訪ねた。オカミは今月はずっと部屋に空きがございます。というと青年は安心したようで詳しい日時を告げる。オカミは日時を復唱しそれではお待ちしておりますと言い電話を切る。
電話がきれると保吉は一つ息を吐き出す。保吉は大学4年生の22歳。
22歳の秋、人生の中でこれほど旅行にピッタリな時期はない。卒業旅行という時期でもないし、大学生特有のギラついた高揚感もすっかり落ち着き旅行そのものをしっかり楽しめる時期と年齢だ。しかし保吉の心にはこの旅行を楽しんで思い出を作ろうとかそういった明るい心持ちはなかった。保吉は悩んでいた。
悩んでいたといっても、現状に不満や不安が有るという事ではない。就職活動も終わり、卒業論文もほぼめどがついた。大学サークルの人間関係も上手くいっている。ただこのままで良いのかなと最近考える時間が多くなった。来年から学生ではなくなり社会に出て社会人になる。社会人になるという事は、今までのように小学校から中学、中学から高校、高校から大学といった環境の変化とは訳が違うだろうし、実際そうだろう。良いと思って入った会社も、入ったら自分が思っていた会社と違う、何て事はよく耳にする。これから本格的に資本主義の世界に入り、毎日行きたくもない会社に通い責任を負わされ上司から怒られる日々を送るのかと思うと本当にこのままで良いのかと思うのだ。その生活に入る前に何をしとくべきなのかが分からず悩んでいる。よく春になると新社会人が街頭インタビューでもっと遊んどけばよかったという。"遊ぶ"といっても何をして遊ぶ事を指しているのだろう。友達と朝まで酒を酌み交わすことだろうか、それとも女の子と遊び呆ける事だろうか。いっときそのような放蕩をしたが、残ったのは虚無感とお札の無い財布だけだった。
そこで保吉は今自分が何をしたくて、何をするべきなのかを見つける為にこの旅行を計画したのである。そこには社会人に成りたくないという、現実逃避の気持ちもある。
保吉は先週の日曜日に近くの本屋で文庫本3冊と日本地図を買った。家に帰り机の上に大きな日本地図を広げ、じっと見つめて自分がいくべき場所がどこか考えた。地図を広げて思ったが、おそらく場所は関係ない。どこか自分が知らないとこに行き、自分が知らない人と喋る事で答えが見つかるような気がする。
22歳の秋という時期は時間を持て余し無駄に悩み、無駄に考え過ぎる時期なのだ。悩めるという事はそれだけ時間に余裕があるという裏返しなのかもしれない。そして今日この古民家を見つけ出し電話をし予約をした。
出発の朝。保吉は目を覚ましカーテンを開け外を見る。まだ外が薄暗く分からないが、遠く向こうの雲が朝日の色に染まっているのが見える。天気は良さそうだ。保吉は軽く朝食を済ませ、
黒いボストンバックの荷物を再度確認し、先週買った文庫本3冊をボストンバックのポケットに入れてベージュのチノパンにノリが効いてパリッとした白い綿シャツ。その上からフィデリティーのヨットパーカーを羽織り外に出た。
最寄駅から都心へ行く電車に乗り、
そこから高速バスで旅館へ向かう。
早朝の都心は既に人がごった返し、各々小走りで自分の目的地へ移動する。それはまるで資本主義を凝縮したような光景だった。保吉はバス乗り場の待合室に座り、ボストンバックのポケットから文庫本を取り出して本を読みながら時折その光景を眺める。駅はせわしなく人を乗せては吐き出す。しばらくするとバスが止まり運転手が降りて来てバインダーにとじた紙を見ながら一人一人名前を呼ぶ。呼ばれたら切符を見せて乗り込む、まるで小学校の出席確認みたいだ。保吉の名前が呼ばれ切符をだしてバスに乗り込む。乗客は保吉合わして10人ちょっとで外のせわしなさが嘘みたいに静かだった。
バスが動き出す。
保吉は窓ガラスに写る自分を見ながら3日後の自分を想像する。何か心境の変化は生じているだろうか、何かを掴んで再びバスに乗っているだろうか。
そんな保吉の気持ちはよそにゆっくりと着実にバスは保吉を運んでいく。
バスは高速道路のサービスエリアで休憩を挟む以外は黙々と目的地へと進む。その間保吉は本を読んだり、ウォークマンで音楽を聞いたり、外の景色を見ながら過ごした。バスから見る景色は別に珍しいものでもなんでもない、ただの高速道路だ。一定間隔で街灯や標識があって、隣の車道には大きなトラックや他の車が進んでいる。バスが進むにつれてそのナンバープレートが遠い県外のものになったりしていくのを見ると自分が今遠い所に来ているのだと実感する。早朝のバスに乗ったので、お昼過ぎには目的地の駅に到着し保吉は降りた。バスは保吉を降ろすとすぐ次の目的地へと出発する。
知らない土地にボストンバックと自分だけが取り残される。これが旅の醍醐味かもしれない。
電話で話した旅館のオカミによると、
この駅からバスを乗り換え、5つ目のバス停を降りて徒歩10分らしい。
時間はたっぷりある、ゆっくり行こう。眠そうな駅員にバス停の場所を聞きバスに乗る。言われた通り5つ目のバス停を降りる。有るのは畑と田んぼと山だ。少し迷って15分くらい歩くと旅館というか古民家が見えて来た。
玄関の前には庭が広がっていて白い砂利が敷き詰められている。保吉が玄関に向かうとジャリジャリ音がする。
玄関先でインターホンを探すが見当たらないので、ドア越しにすみませんと声をかけるが反応がない。ドアを横に引くと鍵がかかっていない。少しためらいながらも中に入ってみる。まるで夏休みにお婆ちゃん家に泊まりに来たみたいだ。この匂いを嗅ぐとどうしてあんなに落ち着き優しい気持ちになるのだろうか。
さっきより大きい声ですみません、
と声を出すと奥から旅館の主人だろうかノソノソ出て来てお待ちしておりました、と言って玄関近くの階段を登り部屋へ保吉を導く。部屋につくと保吉はボストンバックを置く。
旅館の主人がニコニコしながら
(さっきから終始ニコニコしている
この人怒ったりするのだろうか)、
お昼はもう済ましましか、と訪ねてきたので保吉は朝から何も食べてない事を思い出してお腹空いてます、というと主人はわかりました、とニコニコしながら奥へと消えた。部屋に一人残される保吉。とりあえず文庫本を持って下に降りると、いい感じの縁側があったのでそこでしばらく読書をしていると、主人がやって来て
ここにおられましたか、ささはやくおいでなさい。とせかすので栞を挟みついて行く。
畳の上に背の低い長机と座布団が置いてあって、味噌汁と白米と大根煮しめ、そして沢庵が長机に並べられていた。男の一人暮らしはどうしても、コンビニ飯だったりマクドナルドのチキンクリスプばかり食べる事になる。
毎回同じような味でどうしても食事が"摂取"へと変わる。このように暖かくて食への探究心を思い出させてくれる食事は久し振りだ。しみじみ咀嚼して食べる。
主人が
明日もう一人泊まりにやってこられます
と話しかけて来たので
へーそうですか
と保吉は答える。
主人が再び
お食事はその方と一緒でもかまいませんか
と聞いてくるので
大丈夫です
と答えると
オカミが
おかわりはいかがですか
とニコニコしながら聞いてきた
御飯のおかわりをした。
お世辞抜きに美味しい食事だった。
こういうシンプルな日本食をこのような古民家でお腹いっぱい食べて、食後は縁側で熱い番茶を横に置いて、たっぷり読書をする。読書に飽きたら窓から紅葉する山をボケっと眺める。ふと山から視線をずらすと畑で農作業している主人と女将さんの姿が見えた。
向こうも保吉の視線に気づいたのだろう、こっちに向かって手を振っている。遠いため顔の表情までは見ることはできないがおそらく二人ともニコニコしている。保吉は手を振り返すのは恥ずかしいので気づかぬふりをして読書を再開する。都会の喧騒を離れて紅葉を見ながら読書とは大変オツである。保吉はここに来て良かったとシミジミ思いながら、熱い番茶をすすりページをめくる。
やがて日が沈みはじめたので
農作業から帰って来た主人に案内され風呂に入る。風呂は時代を感じる檜風呂で、都会で蓄積された汚れが檜の匂いで洗い落されるようだった。
風呂から上がるとオカミが夕飯までもうしばらく時間があると言うので少し散歩をしに外を出る。山を見ると紅葉の赤さと夕日の赤さが入り混じりなんとも言えない景色だった。朝都心の街で見た景色が資本主義を凝縮した景色だとしたら、これは何を凝縮した景色になるだろう。秋の風が湯上りの体を撫でる。辺りを一周回って沓脱ぎ石に座り山を眺めていると、風呂上がりの主人と女将さんが夕飯にしましょうと声をかける。
長机の部屋で三人一緒に食事をとる。
保吉は一応客という扱いだが、主人とオカミは良い意味で客扱いしないのが良い。食事は大勢で取った方が美味しいに決まっている。夕飯はシジミの味噌汁に焼き鯖、ほうれん草のおひたしだった。それに茶碗蒸しがついてるのが嬉しい。主人は白米は食べず焼き鯖で日本酒をやっている。
「どうです一杯?」
お猪口を受け取り保吉も日本酒をやる。
そこから少し酔いが回り口がほぐれ
主人と学生生活や就職活動について話す。隣でオカミさんが二人に酒を注いでくれる。
ふと女将さんが
「この人前は都会の会社でずっと働いてたんですよ」
と話す。
都会人特有の切羽詰まった表情が主人からは全然感じなかったので、この人が毎朝ピシッとスーツを着て、満員電車に乗る姿が全く想像できなかった。
主人は少し照れながら
「昔の話ですよ」
と言ってお猪口を口に傾ける。
オカミは主人にお酒を注ぐ。
主人を見ると何とも幸せそうだった。サラリーマン時代は毎日時間と仕事に追われ、お客と上司から怒鳴られたりする日も有っただろう。今この素朴な美に囲まれながら焼き鯖と日本酒をやる画には資本主義という邪気な成分は一切感じない。
保吉はこの旅行をする前、社会人になると言う事に対して悩んでいた。しかし主人を見ると資本主義の匂いは全くせず、物質的には裕福な生活はしてないかもしれないが、精神的には大変裕福な生活をしているように思う。
このような生き方、働き方も有るのだなと思いながら酔いがまわり顔が赤い主人を見ていた。
時間が遅くなり
オカミが保吉の泊まる二階の部屋に布団を敷いてくれる。酔いと旅の疲れが心地良く保吉を眠りとへ誘う。
翌朝起きると山特有の肌寒い朝の気候が保吉の眠気を取ってくれる。山は少し霧がかりトンビがその中をゆったりと飛ぶ。下に降りると、既にオカミが調理場で働いており良い匂いがする。
おはようございます。
と声をかけると
よく寝れましたか
と一連の流れがあって
長机に食事が並べられていく。
海苔を巻いてる小ぶりなオニギリと
味噌汁に卵焼きとナスの漬物だ。主人もやってきて三人で朝食をいただく。
いつも朝食はあまり食べない保吉だが今日は自分でも驚くくらい胃に入っていく。なぜ旅行先の朝食はこんなに美味しく感じるのだろう。後は昨日と同じように、農作業する二人を見ながら縁側で読書をしていた。この代わり映えのない生活が何よりも美しいかもしれない。変わるのは山の景色だけで充分だ。
読書に疲れて外を眺めていると向こうから歩いてくる一人の男が見えた。
主人が昨日言っていたもう一人の宿泊客だろうか。大きなバックパックを抱えてこちらに向かってくる。
そして農作業をしていた主人に挨拶をしている。
どうやら顔見知りのようだ。
ガラガラと扉がひらかれ、一人の男が入ってくる
2日目に続く
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