ラーハーンの戦い

 重装歩兵部隊は、前進を続ける。対するバシュトーの騎馬隊も、合わせて動く。左右に、ぱっと分かれ、鳥が翼を広げるような形になった。そのまま、疾駆。近付けば、その翼は閉じられる。それで、小さくまとまった陣形を、削って行く構えだ。

 リョートが、ちらりとアトマスを見た。アトマスは、目を合わせ、頷いた。

「構え」

 リョートの号令。重装歩兵部隊は、盾を地に突き立て、腰から、何かを取り出した。

 弓である。大きさはそれほど大きくはなく、歩兵の用いるごく一般的な大きさである。これくらいの弓なら、バシュトーも使うから、大したことではない。

 しかし、この弓には、秘密があった。かん、と、高い弦鳴りの音が響いたかと思うと、唸りを上げて、矢は飛ぶ。

 バシュトーの騎馬が、矢を避ける運動を始めた。しかし、矢が、異様に速い。避ける間もなく、騎馬隊の一部は射ち倒された。

 これは、後年になり、最強の弓、と呼ばれる弓で、異なる材質の木を組み合わせて作られるものである。中心の木は、固く、曲がりにくい。端に行くほど、柔らかく、しなやかに反発する木材を使用している。中心の木によって弓自体の復元力が高い上に、端の木によって勢いがつく。矢は、同じ木材のみの削り出しや貼り合わせで作られただけの弓に比べ信じられぬほどの勢いをもって、放たれるのだ。地味な工夫であるが、パトリアエを貫く交易の道の、更に西の国からもたらされた製法で、騎馬隊対策としてアトマスが配備を進めていたものて、それが、役に立った。これも、パトリアエが、資源に恵まれた土地であることを示すことになると史記には綴られている。

 二の矢が、飛んだ。バシュトーの軽騎兵の、動物の革を固めた胴鎧など、簡単に貫き通す。貫かれると、そのまま勢い余って落馬するほどの威力であった。

「見よ。大精霊アーニマの矢が、敵を穿つ。更に放て」

 兵の中でも、無論、精霊信仰は深い。アトマスは、兵の心に快い刺激を送り、戦闘の高揚を勝利に役立てるべく、その名を口にした。アトマスは別にさほど信心深いわけではないが、これくらいの加護を借りるくらい、寛大な大精霊なら、怒りはせぬであろう。と思ったに違いない。

 退路を絶たれた恐怖。取り囲まれるかもしれぬ恐怖。それを、アトマスは精霊の力で、破ろうとしたのだ。兵の心に巣食う絶望に、光をかざそうとした。それがアトマスの意識の内で行われたのか外で行われたのかは分からぬが、宗教の本質というものを掴んでいたのかもしれぬ。国家とは、宗教とは切っても切り離せぬものであることが多い。特にパトリアエのような国家において、その傾向は強い。

 宗教とは、権威であり、秩序であり、規範である。野に暮らす生き物から、社会的、文化的な規範を持ち暮らす人間となるのに、非常に有効なものであることは間違いない。国家というものについて、誰よりも深く考えてきたアトマスならば、宗教の使を知っていても不思議ではない。

 兵は、眼を血走らせ、不思議な高揚に包まれながら、矢を射った。矢を射り、敵を倒す高揚は、大精霊アーニマが、日差しをもたらさんとする翼でもって、包みこんでくれているような感覚に変わった。

「やめ、やめ」

 凄まじい威力の矢が敵を次々と葬り去る中、リョートが、射撃の停止を命じた。歩兵が、弓を腰に戻し、盾とヴァラシュカの構えに戻った。それが、横一列に、並んでゆく。

「押せ。俺に、続け」

 アトマスは、叫んだ。馬腹を蹴る。残った騎馬は、僅か数十。一人も、生かしては帰さぬつもりである。

 耳を切るような風の音が、快い。今、自分は、白銀の鎧と、馬の体に、光を受け、跳ね返し、駆けているのだ。それが、嬉しかった。


 喜び。

 それは、ヴァラシュカの唸りに。

 人の、骨が砕け、肉が裂ける音。

 昔に比べ、老いた。それを、認めざるを得ない。

 しかし、まだ、戦える。現に、自らの前に立つバシュトーの兵は、木っ端微塵に打ち砕かれているではないか。

 隣には、リョート。彼の身体では馬上で重い斧を振り回すことは出来ぬ代わりに、稲妻のような速さで槍を繰り出し、敵を葬っている。自らが老いに倒れても、彼がいれば、何の問題もない。むしろ、自分よりもより良い指導者となってゆく。そう思いながら駆けられることは、幸福であった。

 バシュトーの五百の騎馬隊で、動く者は一人もいなくなった。壊滅させたのだ。このまま、パトリアエ軍を取り囲み、あちこちで戦いの備えをしている残りの部族どもを各個撃破にもっていければ、万々歳である。しかし、アトマスを囲もうとする敵をまとめ上げている何者かは、そう甘くはないらしい。アトマスが、城に入る隙を与えず、各方面から同時に敵が到着してきた。

 アトマスは、知らない。バシュトーにおける、恐るべき柱となりつつある敵が、自らの実の娘フィンであることを。もとより、血より国家。そう思い定めている。実の娘であろうと、精霊の眷族という役目を投げ出し、敵国に亡命を画策したならば、それは討つべきである。そう考え、フィンが亡命を図ったとき、国境に刺客を放ったのだ。しかし、ウラガーンの戦闘力の前に刺客は皆殺しにされ、フィンを取り逃がした。それから四年あまりして、まさか、バシュトーに散らばる部族を、民までもまとめ上げ、自分を囲んでいるとは、アトマス自身にも、大精霊にも想像がつかぬことである。


 しかし、アトマスには、見えていた。その姿形は分からぬが、自らを、そして依るべき国家を脅かす、強大な敵がほくそ笑むのを。その者は、今、どこからかこの戦況をみて、笑っていることであろう。

 こうなれば、消耗戦しかない。磨り減り、磨り減らし、丈夫な方が、勝つのだ。その点、パトリアエはそもそも侵攻軍という根本的な不利さはあるにせよ、兵数も装備も有利である。

 後方で待機させていた地方軍にも、戦闘命令を出す。何十にも輪を作り、敵を迎え撃つのだ。首都グロードゥカの城壁のように。盾と、斧の旗。それを、倒すわけには、ゆかぬ。


 敵と、ぶつかった。敵は、恐らく、野戦に持ち込む腹だったのであろう。ラーハーンの城塞は、餌。まんまと釣られたことになる。前線が、削られている。騎馬が、異様に強い。勢いが、ついている。一撃を加えては離脱し、隙間を縫っては押し込み、そしてまた離れる。彼らの中に、何かが芽生えつつある。そうアトマスは感じた。例えば、パトリアエの兵が、大精霊アーニマを母のように慕う気持ちのような、何かが。アトマスの知るバシュトー人とは、全く違った。彼の知るそれとは、もっと野蛮で原始的で、それぞれの部族ごとに分かれてしか戦わず、パトリアエの整った軍に対して、児戯に等しいような攻撃しか加えてこないものであった。しかし、彼らは、今、国の軍として、パトリアエの兵を削り取っている。彼らは、一体、何に依っているのか。

 それは、国家の誕生に似ていた。


 これは、蝿ではなく、蜂だ。このときリョートに漏らしたと記される感想が、アトマスの正直な気持ちであったろう。彼にとっても、初めてのことである。パトリアエのように、共通の目的のもと、意思と運動を共有し戦う軍と向き合うのは。

 悪いものではない。喜びと、怒りと、恐れの入り交じった、複雑な心持ちである。これが、戦い。今さら、刮目する思いであった。

 パトリアエの地方軍は、強さにばらつきがある。普段、民に威張るばかりで、利権と快楽を貪るだけの軍から、敵に押されて崩れた。そのような軍は、あとで指揮官の首を跳ね、その管区に晒してやればよい。アトマスは、まだそれを見定める余裕を持っていた。それで、中央から、しっかりとした者を、送り込む。そうして、生まれ変わればよい。パトリアエは、生まれ変わらねばならぬのだ。あるべき姿へと。

 しかし、今、自らの軍を、薄く、薄く削り取ってゆくバシュトーの軍を、どうすることも出来ない。鈍重な歩兵は、騎兵の動きに対応しきれない。最前線を空け、例の弓でもって射撃を行おうとしても、混乱のため最前線まで伝わらず、伝わっても、動かない。アトマスは、歯噛みをした。これならば、中央の精鋭のみで迎え撃った方がましであったかもしれぬと、にかわを噛み締めるような思いすら覚えた。

「突き進め」

 それしか、ない。多少守りを犠牲にしても、中央正規軍の統率力を持ち、前に出るしか、道はなかった。まばたき一つ躊躇している間にも、味方は削られてゆくのだ。

 バシュトー騎兵の攻撃は、一層激しい。突き入り、崩し、あるいはその構えだけ見せ、離れては、矢を射かけることを繰り返している。鎧の僅かな隙間に矢が入れば刺さるし、首を斬られれば死ぬ。そうして、少しずつ、数を削られている。無論、バシュトー騎兵も、パトリアエ軍に近づく度に死ぬ者が出ている。まさに互いの血と肉を投げつけ合い、骨で殴り合うような消耗戦である。恐らく、バシュトーは、多少の犠牲を覚悟してでも、パトリアエの中央軍を潰す気でいるのだ。幹を倒しさえすれば、あとはどうでもよい。自分と、似た考えの者が、この作戦を立てた。そう確信した。その思念を破るように、かん、と固い音を立て、敵の矢がひとつ、鎧に当たった。

 アトマスの顔色が、僅かに動いた。


 バシュトーが潰そうとしているのは、中央軍などではない。

 幹とは、自分なのだ。


 そう思ったとき、彼は最前線へ。馬は、円陣の中央に残している。おおよそ、一軍の将たる者のすべきことでないことは分かっている。それでも、彼はそれをした。

 英雄アトマスの、咆哮。

 騎馬隊。向かってくる。どの敵の顔も、嬉々としていた。何かを、期待している顔である。新しいバシュトー王に、これほどの求心力はない。

 では、誰が。

 考えるより先に、身体が動いた。

 ヴァラシュカ。

 敵の馬の胴体を横から砕き、吹き飛ばされたそれに、後続の馬が巻き込まれる。一瞬、騎馬隊が、止まった。

「我が名は、戦士ヴォエヴォーダアトマス。我が斧にかかり、死ぬ覚悟があるものと見える。よかろう、束になって来い」

 大音声での名乗り。敵が、怯むのが分かった。

 静寂。

 敵の指揮官らしい男が、片手を挙げた。それで、敵の騎馬隊は、横に並んだ。よく統制が取れている。

「私は、バシュトー国、サンラール家の主。パトリアエのアトマスよ、私は、お前に戦いを申し込む」

 言って、下馬した。大きく湾曲したとうを手に握っている。アトマスも、合わせて下馬。馬上で扱う大きなヴァラシュカを、低く構えている。

 土埃が、霧のように舞う。短い草を踏み、サンラールの主という若者は、駆けてくる。速い。しかしアトマスは、微動だにしない。

 すれ違う。

 心の乱れは、無い。

 振り切ったヴァラシュカの先が、陽光を受け、輝いた。

 その向こうには、胴体を粉々に砕かれ、掃除に使う汚れた布のようになって転がっている、サンラールの若き主。あたりは、しんとしている。

 アトマスは、リョートをかえりみた。リョートが頷き、合図をする。直属の部下がまた散開し、主を討たれ呆然としているサンラールの兵の方に向け、あの弓を構えた。

 凄まじい威力の弓は、至近距離ならば効果は更に絶大になる。胸に矢を受けたサンラールの兵は、胴鎧ごと貫かれ、矢羽のところまで突き刺さったまま、吹き飛ばされた。犬が鳴くような鋭く堅い発射音が、更に続く。

 少しの後には、もう、眼の前の敵は壊滅していた。土が乾いているだけあって、血溜まりは出来ない。すぐに、染み込んでしまうらしい。

 なにか、自然の造形物のように無造作に、死体が生み出されてゆく。



 フィンは、変わらず、サラマンダルの宮殿で、地図を見ている。その中、ラーハーンの城塞の外で、戦う両軍を。

 両者、身を限界まで磨り減らす激戦になっていることを、知っているのであろうか。知らぬのであろうか。どういう感情かは分からぬが、依然、桃色の唇に薄い弧をもたせ、笑っている。

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