第7話・相愛

「アルトさま、ミーリーン……助けに来て下さって本当にありがとうございます。わたくし、一生かかってもこのご恩を返せそうにありません」


 シェルリアの夫、ヴェノマニ……いや、オーラントの手引きで皇宮を抜け出した私たちは、ミーリーンの馬車に潜み、ダンテ侯爵家の別邸へ逃げ込む事に成功していた。

 拷問を受けて殺されるところを……しかもその前に、尊厳をずたずたにされそうになっていたところを……救われた。今でも、夢ではないかと思ってしまうくらいだ。

 でも、アルトさまとミーリーンは二人そろって安堵したような笑みを浮かべて、


「そなたの身が無事で本当によかった」

「あなたの助けになれて本当に嬉しいわ」


 と言ってくれる。

 理不尽な不幸に見舞われ、昔の自分は死んだのだと思ってきたけれど、セレスティーナを命がけで助けてくれる人が二人もいた。私はなんて幸せなのだろう……。

 更にアルトさまは、


「セレナ、セティウスは大丈夫だ。シェルリアの手から、今はわたしが保護している。酷い怪我ではあったが、命は助かるだろう」


 なんて仰って下さる。ミーリーンが、


「今、信頼出来る者に迎えに行かせているの。わたくしが責任を持ってお預かりして治療に専念して頂くわ」


 と、微かに頬を染めながら言葉を添える。


「ああ、なんていう事、いったい何故? でも、本当に感謝してもしてもし切れません……。でもミーリーン、貴女大丈夫なの? お父上さまに知れたら……さっきの事だって」

「この館はね、」


 と、微かに顔を曇らせてミーリーンは、


「実は、サジウス将軍に贈って頂いたものなの。正式に婚約した訳でもないのに頂けません、ってお断りしたんだけれど、お父さまの方が有り難くって頂いてしまったの。きっと、わたくしが土壇場で結婚を拒否出来ないようにする為だったと思うわ。わたくし、嫌で、全くここには寄りついていなかったのだけど、皮肉な事に、それだから、お父さまの目はここには届いていない筈よ」


 顔を曇らせて見せた後で、今度は微笑する。なんてしたたかに変わったんだろう、と私はびっくりする。


「最初に貴女が毒杯を飲んでから……そして将軍の館で再会してから……わたくしも色々考えたのよ。侯爵家の令嬢に生まれたからって、運命に逆らえないと思い込むのは間違っている、って。貴女は……皇国令嬢の頂点にあった貴女が、目的の為に、まったく違う存在に成り変わってでも、自分の力で生きていた。わたくしにも、出来ない筈がない……貴女のようでなくとも、少なくともなにかが出来る筈、と」

「わたくしが変われたのは、アルトさまが助けて下さったからよ」


 そう言って、私はすぐ傍にいらっしゃるアルトさまを見上げる。仮面を外したお姿は本当に久しぶりに拝見するのだけど、アシルとそっくりなのに、纏う雰囲気はまるで違う。きんと張りつめて凛々しく、なにもかもを見通すような聡明なまなざし……。


「危険を冒して、わたくしのようなものを救って頂いたからには、またこの命を如何ようにも、アルトさまの御為にお使い下さい」


 私は感動に浸りながらそう言ったけれど、その言葉を聞いた途端、アルトさまは何故か苦い表情を浮かべられた。なにか、お気に障る事を言ってしまったのだろうか?


「セレナ、もう二度とそなたを危険な目に遭わせたりしない。わたしは愚かだった。最初から、危険があると判っていたのに、サジウスの元へ遣ったりして。そなたが……そなたが殺されてしまうかもという現実を突きつけられて初めて、己の愚かさと育ってきた感情の大きさを自覚したわたしは、国を導く器ではないのかも知れない、とさえ思った。だが、そなたは我が手の中に帰って来てくれた。わたしに足りないものは、そなたが教え、与えてくれるだろう」


 そう仰って、私の肩に手を置かれる。その紫の高貴な瞳には、どうしてだか涙まで浮かんでいる。


「わたくし、使いの者が戻ったか見てきますわね」


 アルトさまのご様子がおかしいというのに、ミーリーンは何故か嬉しそうに席を外してしまう。


「わたくしに、殿下にお教え出来る事などある訳がございません。いつも教えて頂いてばかりで……助けて頂いてばかりで」

「いや、そなたは一番大事なことをわたしに教えてくれ、わたしを救ってくれた」

「……? なんのことでございましょうか」


 本当に解らなくて質問したのだけれど、アルトさまは少しがっかりした顔をなさる。


「解らないのか。何故、わたしが仮面を外し、そなたを助けに行ったのかが。ミーリーン嬢のおかげで最初に思ったより楽に牢番を騙せたが、彼女がいなくても、わたしはそなたのところへ行くつもりだった」

「まあ! 無茶ですわ。不自然過ぎます」

「無茶でもやるしかなかった。何故だと思うか」


 ……復讐の同志だから? でも、改めて思うと、私とアルトさまが同志、なんて私の口から言うのはおこがましい気もして。


「わたくしを、使える部下と見込んで頂いた……から、というのは思い上がりでしたでしょうか?」


 と、おずおずと言ってみる。アルトさまのお顔が更に悲しそうになる。


「そなたは約束を忘れたのか。それとも、嫌なのか?」

「約束……」

「わたしの妃になると」

「それは勿論、覚えていますけれど、え、その為に?! わたくしでなくとも、アルトさまが皇位にお就きになれば、他にも令嬢はたくさんおりますわ」

「嫌なのか、と聞いている」

「嫌な訳が……ございません。でも、アルトさまはおひとりしかおられませんが、妃になれる令嬢は他にいくらでもいるのですから、もっと、ご自重頂かなくては」

「そんな言葉が聞きたいんじゃない!」


 突然怒鳴られて、私はびくっとする。するとアルトさまはすぐ間近に来られて、


「すまない、大きな声を出してしまって……。だが、そなたは心得違いをしている」

「も、申し訳ありません」

「わたしの妃はそなたしかいない、と言っているのだ。まだ解らぬのか。それとも……わたしの一方通行な想いだったのか?」


 急にアルトさまは不安そうなお顔になられて。くるくる変わる表情。仮面をつけておられたから当たり前だけど、もっと無表情だとばかり思っていたのに。元々、仮面の下ではこんな風だったのだろうか? 


「セレナ。わたしはそなたを女性として愛し、皇子ではなくひとりの男として、わたしの妻になって欲しい、と求婚しているのだ。たったひとりのかけがえのないひと、そなたが居なければわたしは目的も復讐も成し得ない、生きた屍になってしまうと、いや、生きていけないと思ったから、助けに行ったのだ。利己的だろうか? だが、そなたがたとえわたしの求婚を拒否すると知っていたとしても、わたしはそなたを助けに行っただろう。そなたの父と兄は、この世界に美しい色彩があると教えてくれた。だが、美しさの意味を教えてくれたのはそなただ。そして、世界は、美しくするために護るのではない、愛おしいから美しくあるよう護りたいのだ、と」

「アルトさま……」


 そうだ、本当は、途中から、アルトさまの気持ちは感じられて来ていた。でも、そんな幸せな事がある訳がない、命が助かっただけでも奇跡なのに、と思い込もうとしていた。私の勘違いだったら、と思うと怖かったから。

 顔を覆った両の掌の指の隙間から、涙が零れる。きっと涙でぐしゃぐしゃな、みっともない顔をしているだろう。


「セレナ? どうして泣く? わたしはそなたを傷つけるような事を言ったのか?」


 今度は少し狼狽えたお顔。前髪が少し汗ばんだ額に張り付いている。よく見ると、アシルに成りきる為に急いで落とした染粉がまだ少し髪に残っていて、綺麗な金の長髪に黒く薄い斑模様が。

 意外な面が次から次に見えて来る。でも、その度に、私の中には目の前の人への愛しさが溢れてきて。


「アルトさま……わたくしこそ……何でも与えられるばかりで、自分では努力をしてきたつもりだったけど、なんにも解ってなかった。そして死んだ……。いま、わたくしが生きていて、これからも生きたい、と思えるのは、全てアルトさまのおかげ」

「セレナ、」

「いいえ、命を救って頂いたからとか、貴いお方だからとか、そんな事じゃないんです。アルトさまだから、一緒にいたい。アルトさまだから、一緒に生きていきたい。そんな感情を教えて下さったのが、アルトさまなんです」

「セレナ。では……」

「もちろん。もちろん、わたくしは、皇子さまでも道化師でもなく、ひとりの男の方として、アルトさまをお慕いしております。こんな……こんなわたくしが妻で本当によろしいのですか。人前ではしたない格好で踊っていたような女で……サジウスに侍って阿っていたような女で……」

「それはわたしがやらせた事だ。それに、それはアリアという女だ。そして、結局そなたはアリアに成り切れなかった。セレスティーナの心を常に持ち続けていた」


 アルトさまは私を抱き締める。


「こんな細い肩に、重荷をたくさん負わせてしまった……不甲斐ないわたしを許してくれ」

「わたくしの意志でやったのです。最初は復讐の為だったのに、いつの間にか、アルトさまの為になっていました」


 改めて、恐ろしかった様々な事が脳裏を駆け抜けて、私は震え、アルトさまの背に腕を回してぎゅっと服を掴む。この腕に護られていれば、もう何も怖い事はない。たとえここに皇国の兵士が私たちを捕まえに来たって、私たちを引き離す事は出来ない。

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