第5話・希望の光と影

「ああ、アル……」


 と言いかけて私は辛うじて言葉を呑む。アルトさま、なんて言ってはいけない。でも、いくらアシルのふりをしていても、どんなに見かけがそっくりでも、私には判る。アルトさまが私を助けに来て下さったのだと。

 窮地を逃れた安堵がこみ上げると共に、何という危険なことを、大事な御身なのに、私なんかの為に、という憤りに似た気持ちが湧く。私の命なんかとうにアルトさまに捧げたもの、使い捨てにして貰って構わなかったのに……と。

 ああ、でも、罪深いとは思うけれど、嬉しい気持ちもやはりある。私を、危険を冒しても救う価値の存在だと思ったから、アルトさまは助けに来て下さったのだ。私とお兄さま、アルトさまの臣はこの世に二人しかいないのだから……そう、それが理由だから……。

 もしもこの場を生きて逃れられれば、私はまだアルトさまのお役に立てる。アルトさまもそう思って下さっているのだ。私たちは、同志、だとアルトさまは仰ったから……。


 しかしそれにしても、私はどう振る舞えばいいのだろう、と束の間戸惑った。踊り娘アリアが王太子の顔などはっきりと知っている理由はない。アルトさまはつかつかとこちらへ向かって歩いて来られる。そのお顔には、怒りがはっきりと浮かんでいる。皇国の直属兵士がなんと堕ちたものか、とお嘆きなのだろう。

 私に乱暴しようとした兵士たちは、恐れと戸惑いを顔に張り付かせて直立の姿勢をとっている。突然こんなところへ現れ、立腹している貴人……しかし何故ここに……という気持ちが強いのだろう。


「牢を開けよ。如何に被告人とはいえ、若く力なき女性に、三人がかりで非道を行おうとは、我が皇国兵士の誇りをそなたたちは捨ててしまったのか」


 声も、口調もアシルにそっくり。元々双子な上に、長年傍で観察していたのだから、真似くらい簡単な事だろう。でも、本当に大丈夫なのかしら? こんな地下牢に王太子が来る理由なんかない……。


「お、恐れながら、殿下。ここでの取り調べは、上官から任せられておりまして……その、手段は問わぬ故に、黒幕を白状させろとだけ指示を頂きまして。決して、邪な気持ちではなく、女囚には手っ取り早い手段だからでございます! どうかお怒りをお鎮め下さい!」


 一番年かさの男がおずおずと、けれど何とか言い逃れしないと斬り捨てられかねない程の怒気を感じ取ったようで、必死に言い訳をする。なにが『邪な気持ちではない』よ、と眩暈がしそうなくらい腹が立ったが、今は問答して時間をとってはいけない。アルトさまだってそのくらいお解りの筈。ここで彼らを斬ってしまっては、人が集まって騒ぎになってしまう。


 アルトさまの為に何を言えばいいのだろう? と思案していると、思いもかけず、もう一つの人影が、アルトさまの後ろから飛び込んできたのだった。


「ああ、アリア! なんてこと。折角お友達になったと思ったのに。ねえ、嘘でしょう? か弱い女の貴女に、あの強い将軍閣下をころ……殺してしまうなんて恐ろしい事、出来る訳がないわ。他に犯人がいるのでしょう?」

「ミ……ミーリーン……さま!」


 やや芝居がかってはいるけれど、不自然ではない。深窓の令嬢には、友達になったと思った将軍の寵姫が殺人を犯すなんて想像しがたいのだと、それは誰もが納得できるだろう。


「わたくし、貴女に本当の事を直接聞きたくて、アシル殿下にお願いして、こっそり会いに来たの! ねえ、貴女は違うわね? 他に犯人がいるのでしょう? お寝間で、目が覚めたら閣下が亡くなっていて……貴女はびっくりして逃げ出してしまったのでしょう?!」


 私を助ける為に、あのおとなしかったミーリーンが……。後で父上に知れたら、どれだけお叱りを受けるか想像もつかない程なのに!

 でも、彼女の友情を無駄にしてはいけない。私は彼女の芝居に乗って、涙ぐみ、


「ああ、ミーリーンさま、そうなのです! でも、わたくしでないなんて言って、誰が信じてくれましょうか。流れ者のわたくしの言う事なんか。いったいどうして、わたくしが将軍閣下を殺めたりしようと思うのでしょう? 身寄りもないわたくしを、あんな男らしい偉いお方が恐れ多くもお気に召して下さって、身に余る生活を与えて頂き、ただただ、ご恩ばかりを感じておりましたものを!」


 とまくしたてた。


 アルトさまは、


「ダンテ侯爵令嬢は、アリアは友人だから、下々の者が繋がれる地下牢で拷問を受けさせるのはあんまりだと泣いておられる。勿論アリアの嫌疑が晴れた訳ではないが、このような方法で自白を無理に引き出すのはわたしも反対だ。元は踊り娘とはいえ、サジウスの寵姫だったのだから、もっと法に則った調べを行うべきだ」

「しかし、殿下、これまでの慣習では、余程高位の貴族の方でもない限り、重罪の疑いをかけられた者は拷問で……」

「黙れ。これまではこれまで。我は次期皇帝ぞ。これからはわたしのやり方で、我が国を良き方へ導こうと思う。それが亡き父上への孝行でもある。貴様、一兵卒の分際で、皇帝に口答え致すか!」

「めめめ、滅相もございません! どうかご命令を! 殿下のお好きなように!! ですので、どうか罰はご容赦下さい。決して口答えなどというつもりではございません!」


 流石城仕えの兵士とあって、アシルの姿や声を見知っているので、彼らは、もう、皇太子が不自然な登場をした事を疑う気持ちは失くし、必死で保身に走っている。


「ダンテ侯爵令嬢、こんな汚い場所はあなたにもわたしにも相応しくない。とりあえず、その娘は一旦引き取ろう。まさかこのわたしに襲い掛かりもすまいし、逃げ出す隙は与えはせぬ」

「こ、皇太子殿下。わたくし、すべては殿下のお言葉のままに。逃げるなんて、どうしたらいいのかも解りません」


 と私は心細げに言う。


 もしかしたら……本当にうまく行くかも知れない。何もかも、自分の事は諦めきっていたけれど、私は、生きてここを出られる……!!

 ミーリーンが私の手を引き、引き裂かれた衣服の代わりに上掛けをかけてくれる。そう言えば、こんな姿を見せてしまって、アルトさまに対して恥ずかしい……なんて思ってしまう。


「本来なら手討ちにしてしまいたいくらいだが、侯爵令嬢の手前、血を流すのはよしておこう。貴様らは、暫くそこで反省しておくのだな。後で誰か寄越してやる」


 そう仰って、アルトさまは三人の兵士を牢屋に閉じ込めて、外から鍵をかけてしまう。三人は、命が助かって安堵したらしく、何も言わずに頭を垂れている。


 アルトさまは私とミーリーンに目配せをして、階段へ急ぐ。私たちも勿論あとに続く。余程アシルに近い人物に偶然出くわさなければ、目立たぬように姿を変えて、脱出することも不可能ではないように思われた。


「ああ、アルトさま、ミーリーン……。わたくしなんかの為になんて危険なことを。でも……ありがとうございます」

「しっ、そういう話は、無事に皇宮を出てからの事だ」


 とアルトさまは仰る。


「わたくしのした事なんて、どうってないのよ」


 とミーリーン。


 地下牢から地上へ……階段の上から、昼の光が見えて来る。自由の、光が。死ぬ覚悟はとっくに出来ていたのに、おかしな感覚だ。


 だけれど。

 人影が、その光を遮った。私たちはびくりとして立ち止まる。


「皇太子殿下。あなたさまは、たった今、ホールにおられたのに。何故、こちらに?」


 どこかで聞いた事のある男の声だった。

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