第4話・協力者
急くこころを抑え、ひとに不審に思われないように、駆け出したいのを堪えながら、わたしは自室に向かっていた。
地下牢に囚われたセレスティーナを救う手立てはひとつしかない。
わたしが仮におとぎ話に出てくるような英雄だったとしても、皇宮の兵士全てを敵にして彼女を助け、大立ち回り……など現実にはあり得ない。わたしも彼女も殺される。
では、どうすればよいか。彼女が拷問され、処刑されるのを指を咥えて見ていては、もうわたしは皇帝どころか人間として己を一生許せなくなるだろう。
今こそ、皇太子と同じ顔を持って生まれた事を生かさなければ。本物のアシルが広間にいる事を、牢番たちは地下牢にいながらにして確かめられる訳はない。もしも疑う素振りを見せられたら、『皇太子を疑うか』と手討ちにしたって構わない。出来れば事を荒立てたくはないが、どうせすぐにことは露見する。速やかに彼女を連れ出さなければならない。
大広間に差し掛かる回廊で、わたしは一人の女性とすれ違った。急いでいるわたしはおざなりな会釈で済まして進もうとする。と、
「アルト……? 道化師アルトですね」
そう言われて呼び止められた。高貴な令嬢に無礼と見咎められたか? この宮廷の令嬢と来たら、やたらに知性よりも気位ばかりが勝る人間が多すぎる。舌打ちしたいのを堪え、
「ご無礼を致しましたか。申し訳ございません、お許しを……ダンテ侯爵令嬢」
この娘は確か……セレスティーナと親しかった筈。しかし勿論、彼女は半年前に死んだと思っているだろう。それとも、もしや、将軍の館から逃れた彼女は、親友を頼ったのか? 様々な憶測が一瞬のうちに頭を駆け巡る。ただ単に、話しかけてきただけかも知れないのに、あらゆる事をセレスティーナに結び付けてしまう。
ミーリーン・ダンテはそんなわたしの袖をそっと引き、人目につきにくい物陰へ導く。
「ああ、アルト。あなたは、セレスティーナの味方なのですか?」
「……あなたさまは」
とわたしは言いかけたが、彼女の方からセレスティーナの名を出してきているのに今更隠す事もないと思い、
「ええ、そうです。ダンテ侯爵令嬢、彼女が窮地にある事をご存知なのですか?」
「ええ、ええ、知っているわ。あなたがどういう方なのかは話してくれなかったけれど、他の事は全部。わたくしたち、将軍の館で会ったのよ」
「そうでございましたか。しかし今は話をしている猶予はありません。わたしは彼女を助けに行かなければ」
「あなたが? ひとりで?」
「そうです。一応、試せる手段はあるのです。あなたさまを巻き込む事は恐らく彼女の本意ではないでしょう。わたしが成功するよう、祈って頂ければ幸いです」
「わたくしも手伝うわ! セレナが地下牢で拷問を受けるなんて耐えられない!」
わたしは少し考え、頷いた。見張りの目を逸らす程度の事は彼女にも出来るだろう。この四面楚歌のなか、味方はひとりでも多い方がいい。
「わかりました。しかし無茶はなさらないで下さい」
あまり張り切って、却って不審がられては困る、と思い、念を押したとき、彼女は懐から包みを取り出した。
「セレナからこれをあなたへ、と……。理由は知らないし、神かけて中は見ていません。彼女はこれをあなたに渡す為にわたくしの所へ来て、匿うというわたくしの手を振り切って街へ出て行ってしまったの。ああ、やっぱりあの時、騎士を呼んで力ずくにでも、引き留めておくべきだった……」
「……ありがとうございます」
セレスティーナが命がけで自分に託してきたもの。意味のないものである訳がない。と思うと同時に、彼女が託したのだから、この令嬢の事はもっと信用していいようにも思えた。わたしは包みを受け取り、懐へしまう。
「レディ、あなたの彼女への友情に感謝致します。互いに誠実な同志として彼女を助けに行くにあたって、わたしはわたしの秘密をあなたに知っておいて貰おうと思います。わたしの私室に来て下さいますか?」
勿論、未婚の侯爵令嬢である彼女が、道化とはいえ男の私室へ忍んでゆく誘いなど、普通に考えれば、「無礼者!」と平手打ちされて当たり前の申し出だと解っている。しかし、彼女はわたしが不埒な理由などでそう言ったのではないとちゃんと理解したようだった。
「わかりました。参ります」
父親の言うなりな、善良なだけの娘、という印象だったが、セレスティーナの様子からわたしを信じ、彼女を救うための覚悟を決めて来たようだ。やはりセレスティーナが親友に選ぶだけの事はある。
セレスティーナとて、元は親の整えた縁談を当たり前に受け入れ、アシルの言いなりに無い罪を飲む事が誇りと勘違いするような娘だった。だが、逆境に陥った時、人間の真価が見える。
ホールの中央では、アシルが大きな声で何かを話し、それに対する歓声があがっている。とにかく、新皇帝を人々は求めているのだ。だが今はその熱気が、わたしたちがこっそり行動するのを目立たなくさせる役に立った。
あとをついて歩きながら、ミーリーンは小声で、
「あなたはきっと情報通ね。セレナの事を良く知っているあなたなら……もしかして、ご存知ないかしら? シェルリア嬢に連れて行かれたというセティウスさまのその後を……」
と、尋ねて来た。
「セティウス……さま。かの人は、指名手配されている身の上の筈。何故、あなたさまがお気になさるのです? セレスティーナの兄上だからですか?」
「……それもあるけれど、わたくしは……あのお方を慕っているのです。ずっと以前から。前のわたくしは、何もかもを諦め、親の言うなりに結婚するのが己の人生だと思っていました。でも。自分の人生は自分のものであり、求めるものを得る為には努力してみなければ、と、セレナの姿から教わりました。あの方に罪があるなど、わたくしは露ほども思っていません。何かご存知なら、教えて下さい」
「……なるほど。ご安心下さい。彼はいま、わたしが保護しています。粗略な隠れ家ですから、完全に安心とは申せませんが、今、この国の一大事に、彼をどうこうしようと思う者がいるとしても、手出しをする暇はない筈」
わたしの言葉に、令嬢の瞳にみるみる涙が溢れてくる。
「おお! 神よ……いえ、アルト、本当に? 本当にあの方は無事で。あの晩、あの方が将軍に首を……刎ねられそうになった時、わたくしはもう駄目だと思いました。わたくしもあの方のあとを追って死のう、とも。なのに、あの方はあなたが助けて下さった! ありがとう、アルト!」
「……お静かに。さあ、どうぞ。狭い部屋ですが」
喜びに興奮している令嬢を、わたしは冷静に部屋に招き入れる。なるほど、そういう事だったのか。だが、いまはセレスティーナの問題の方が差し迫っている。
わたしはミーリーンを椅子に座らせ、仮面を外して素顔を見せ、セレスティーナにした時と同じように、しかしなるべく簡潔に身の上を説明した。彼女は驚きにものも言えない風ではあったが、そんな大事な秘密を打ち明ける程に信用を頂いた事に深く感謝致します、と言って忠誠を誓ってくれる。
わたしは彼女が渡してくれたセレスティーナからの包みを紐解いた。詳しく分析する時間はないが、ざっと読んだだけで、相当な価値のある情報だと知る。
とりわけ、シェルリア・ミロスの正体については。
わたしは、こういう時の為に用意していた、アシルのものとよく似た皇子の衣装を身につける。
「まあ。本当に、アシルさまにしか見えませんわ」
というミーリーンの言葉に少し自信を得て、わたしは彼女と簡単な打ち合わせを行い、地下牢に向かう。アシルのふりをして、セレスティーナを連れ出す為に。
証拠の包みは懐にしまう。もう、この部屋に帰る事はないだろうと思ったからだ。
―――
地下牢で、わたしは怒りに震えた。そのまま駆けだして、雑兵の首を刎ねてしまいたい衝動に駆られたが、アシルらしくないと思い、なんとか言葉にとどめる。
わたしのセレスティーナは、如何に心は強くとも、力はか弱い女性であるセレスティーナは、あとほんの僅かでも遅れていたら、下衆な兵士たちの慰み者になってしまうところだった。
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