第9話・荒れ狂う運命

 どう応えばよいのだろう? 当意即妙な受け答えを生業にする、この国で尤も秀でた道化師のアルトが、咄嗟な判断を下しかねた。

 アシルは『禁忌に触れる秘密』として隠された兄弟の事を話したが、自分はそれを既に知っている、どころか当人なのだ。驚いたのは秘密の内容ではなく、アシルがそれを知っていたという事だ。「そのような事が」と驚いて見せればよいのだろうか。それとも毅然として慰めの言葉をかければよいのだろうか。たぶん、後者だ。道化師は秘密を知って狼狽えたりしてはならない。なにごとをも、空言と流すべき身なのであるから、それ故にこそ、アシルも、婚約者にさえ言えない事を話したに違いない。


 アルトは仮面の下で暫し瞑目した後、


「しかし、運命が選んだのはアシルさまでございましょう」


 とだけ言った。


「運命……そうかも知れないな。だが、わたしにはこの運命を受け入れる力量がない。度胸がない」


 アシルはそう言い、両の手で顔を覆った。


「今まで、責任は父上が、実務はフィエラ宰相とサジウス将軍が負っていた。わたしはただいつか父上の位を継げばそれでいいのだと思っていた。だが……宰相も将軍も相次いでいなくなり、そんな中で突然父上の位を継げと言われても……三人分の働きをすることなど出来る訳がない。わたしはただ、勉強と社交しかしてこなかったのだから……」

「殿下、しかし、それが皇家の御方のお務めでございましょう」

「わたしは、ずっと、死んだ兄弟の亡霊に悩まされていたんだ!」

「ですが、実際には殿下はずっと、皇家のただ一人の男子の後継ぎとして護られてきたのでございましょう」


 思わずアルトも感情的になりかけていた。母親が洩らした一言で、いつまでも何をうじうじしているのか。何もかもを与えられておいて、今更、それが手に負えないなどと……と苛立った。死んだ兄弟の亡霊だと? 自分は生きたおまえのせいで死にかけたというのに!

 しかし、アルトは激情を抑え、これまでの主従関係を解き、実の兄弟に対してやろうと決意してきた事を思い出した。そこで、一息ついて、


「殿下、わたくしも僭越ながら、わたくしの話を聞いて頂きたいと思います。きっと、殿下のお心を、いくばくかは救えると思いますから」


 と言った。


「救う? おまえの話はいつだって楽しく、役に立ってきた。だが今この時、道化の話がわたしを救うと、おまえは言えるのか?」


 当然の問いではあった。だがアルトは頷き、


「もしも話がお気に召さねば、首を刎ねて頂いても構いませぬ」


 と応えた。


「……わかった」


 ただそれだけ、アシルは言う。アルトの覚悟を、本当にわかっている筈もなく。

 アルトは息を大きく吸った。


「アシルさま。アシルさまの亡くなったというご兄弟についてでございます。アシルさまを悩ませる亡霊は、亡霊ではなく、生きてこの世にあるのです。だから、アシルさまはお苦しみになるのです。死した者は、生者に害をなせませぬから」

「なんだと。何故そなたにそんな事が判るのだ」

「道化には、時折、人の魂が見えるのです」


 とアルトは嘘をついた。


「アシルさまと同じ魂を分け合う者……わたくしは、何故そんな者が存在するのか、長年誰にも話さず、ただ疑問を胸に抱いてきました。ですが、今のお話でようやく解りました。殿下のご兄弟は、何者かが皇太后殿下にお亡くなりになったと偽りを申し、その真のご身分を隠してお育てしたのでしょう」

「ばかな。そんな事が出来る訳がない! 兄弟は確かに死んでいる筈だ。わたしは父上と母上のたったひとりの息子なのだ。それに……それに、そんな者がいるとしたら、それはいったい誰なんだ!!」


 アシルからすれば、到底信じがたい事だろう。彼はひどく動揺していた。もしも真実であれば、自分以外にも同等の皇位継承権を持つ者が存在する事になるのだから。


「誰とはわたくしの口からは申せません。道化の空言と思って頂けるならば、いくらでも名前を挙げる事は出来ましょうが……」

「おまえの言っている事は全て空言だ。そうだろう? おまえは道化なのだから」

「いまこの時、わたくしがひとであるか道化であるか……それは殿下のご判断に委ねたく存じます。そらごととお聞き捨てになるならばそれもよし……。ですがわたくしは、殿下のお苦しみを知ったからこそ、このお話をしたのでございます」

「なに?」

「殿下と血を分け合い、殿下と同じ権利を持つ、殿下の隠されたご兄弟。もしも、国が殿下にとってただ苦痛をもたらすものでしかないのならば、その方に全てを託し、シェルリアさまとお二人で自由になる……そんな可能性もあるのだ、とご提示しているのです」

「…………!!」


 アルトはアシルに悟られぬように、ほんの一瞬目をやって、彼の大剣がそこにあるのを確かめた。秘密を一部分打ち明けた事で、アルトは冷静さを取り戻していた。もし、アシルの返答が、かれの勧めに沿うものであれば、殺す必要はなくなる。権利を放棄すると神に誓わせた上で、仮面を外して素顔を見せ、ありのままの真実を教えてやろう。シェルリアを野放しにするのは危険だが、自分が皇位に就けさえすれば、二人には厳重な監視をつけた上で、今まで通りの生活をさせてやってもいい……。アシルは己の無能を自覚している。矜持の高いアシルにそれを臣下の前で告白させ、皇位を辞退すると言わせれば、それがかれの罪を償わせる結果になるだろう。情けない弱音を聞いているうちに、段々、危険を冒して殺す価値さえない、と思えて来たのだ。


 アシルは暫し迷っているように見えた。

 だが、次には、きっぱりと首を横に振る。


「駄目だ。兄弟が誰であろうと、皇太子はわたしだ。そなたは、これがわたしの運命だと言ったな。つまるところそういう事だ。わたしが駄目ならば、我が国は滅びの道を歩むだろう。だが、我が国はわたしのものだ。わたしと共に栄え、わたしと共に亡ぶものだ。わたしはずっとそう教えられて育ったのだ。それは、曲げられぬ」

「アシルさま!」

「亡きフィエラ公は申していた。君主たるもの、民の喜びを自らの喜びとし、民の苦痛を自らの苦しみとすべき、と。それはまた、逆も然りであろう。わたしは苦しんでいる。民が苦しむのもしかたのないこと、と割り切らねば。そして、民の犠牲に目を瞑り、貴族が一丸となってわたしの手足となり、いまを乗り越えなければならぬ……」

「……」

「アルト、礼を言おう。わたしを奮起させようと、死んだ兄弟がまだ生きている、とそらごとでいつものように心を癒してくれようとしたのだろう? そうだ、わたしは死んだ兄弟の為にも、国と共に生き、国と共に亡ぼう……」


 虚しさが心をおりてゆく。アルトが与えた機会を、愚かな兄弟は、結局は己の地位に対する執着を捨てきれずに、すべて自分の都合の良い方へ解釈しようとしている。国は、民は、おまえ個人のものではない、と叫びたかった。ひとりひとりの民は、皇族貴族と同じように、己の生を歩んでいるのだ。なのに、その民を豊かに導くべき指導者が、意気地のない弱音を吐いた挙句に、自分が苦しいから民も苦しんでも仕方がない、だと?


 アルトは無言で立ち上がった。アシルはなんの疑いもない顔で、その所作を眺めている。

 今こそ、その首を一瞬で刎ねてやろう。苦しませようとは思っていない。ただ、成り換わる為には、あまり衣装を血で汚してはならない……。


「どうしたんだ、アルト?」

(少しは警戒しろ、愚か者が)


 そうだ、アシルはアルトを信用しきっている。母親よりも、婚約者よりも。それは、見えない双子の絆だろうか? しかし、アルトはそれを自らの手で断たなければならない。この兄弟を皇位につけては、幾十万の帝国の民が虐げられることになる……。


 アルトは静かに仮面の留め金に指をかけた。


「わたしは……」


 だが。

 その時、突然ざわめきが起きて、それが廊下を駆けてくるのが判った。ひとを遠ざけていた筈なのに、何故。


 扉が叩かれ、それが開くのを待たずに、臣下が告げた。


「アシル殿下、遂にサジウス将軍を殺めた踊り娘を捕えましてございます。どうかお裁き下さい」


 外しかけた仮面の下で、アルトは蒼ざめてゆく。遂にセレスティーナは捕まってしまった。宰相は、運よく捕えたサジウス殺害犯を、アシルの指示で派手に公開処刑する筋書きで、アシルを引っ張りだそうと考えたのだろう。確かに、公には、国の重鎮である将軍を閨で卑怯に暗殺した犯人を罰する事は、新皇帝の箔付にはなるだろう。


(セレスティーナ……!!)


 アルトは言葉を紡げない。一方、アシルは勇んで立ち上がり、


「我が師父を卑怯に害した身の程知らずの端女を、どのように苦しめてやろうか。解った、行こう。わたしは裁きを行わねばならぬ」


 茫然と立ち尽くすアルトを残して、颯爽とアシルは部屋を出る。

 これが、運命、なのか? とアルトは絶望と共に感じた。

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