第15話・過去と服従

「…………!!」


 月明りの影にくっきりと輝くような後ろ姿が浮かび上がる。セレスティーナは息を呑んで凝視した。シェルリアの白い背に走るのは幾筋もの消えぬ傷跡。若い女の身で、このような拷問を受けるとはいったいどんな事情があったのか。

 何を思うのか、シェルリアは俯き、破れたドレスが落ちぬように両腕で胸を覆うようにその身を抱いて立ち尽くしたまま、無言だった。


「何故……このひとは、ハルバード王国の貴族ではないのですか」


 思わずセレスティーナは一番の疑問を口にする。仮に何かの罪を犯したとしても、由緒正しいハルバードで、伯爵令嬢が激しい拷問を受けるなど聞いたことがない。


「貴族ではないな……んん、シェルリアよ。どうだ、古傷はたまに痛むか」

「……ええ……すこし……」


 シェルリアはか細い声で応える。今までの印象とはまるで違う、怯えて非力な女性がそこにいるようだった。


「またあの頃のように可愛がってやりたいところだが、万一にも皇子に気取られる訳にはいかんからな……まあ、おまえに代わる特上の玩具は手に入れておるし」 


 サジウスは傍らのセレスティーナに顎を向ける。シェルリアはその視線を追って問う。


「そのひとも、こんな風に傷つけるおつもりなのですか?」

「今のところそういうつもりはない。俺はこいつに満足しているし、何か企んで近づいてきたにせよ、何も仕出かしていないし、する術もない。深窓の令嬢が頑張って化けたものだが、所詮そこまで、という訳だ。『アリア』は俺がフィエラから奪った戦利品だ。一生大事に飼うさ」


 サジウスはそう答え、ひと呼吸置いてから、


「もしも俺に逆らえば、害をなせば、無論その限りではないがな。逆らえばどうなるか、思い知らせる為におまえを呼び、この傷を見せているのだ。シェルリア、おまえも己の役割を忘れぬように、普段は隠している傷を時には思い出せるようにな」

「忘れる訳がありません。あなたに受けたこの傷の痛み……胸の痛みを」

「ふふ、まだ恨んでおるか。だが、おまえの望み通りに皇妃に推してやった恩で帳消しにしておけ。俺を裏切ろうなどとゆめにも思うなよ。おまえの過去を晒せば、おまえの得たものは全て消え去る。全ては、俺の手の内だ」


 サジウスが、自分とシェルリアに、己の立場を……サジウスには逆らえないのだと思い知らせる為に、この場が設けられたのは判った。だが、サジウスとシェルリアの過去にはいったい何があったのだろう? こんな凄惨な仕打ちをされる程にシェルリアはかつてサジウスに逆らったのか?


「アリアよ。この女は貴族ではない。ハルバード王国のミロス伯爵家に金を出して、養女の身分を買った」

「では、平民だったのですか?」

「いいや、違うんだな」


 サジウスはにやりと笑う。シェルリアの伏せた表情はセレスティーナには見えない。


「アリアよ、セイレン王国を知っているか?」

「北の……小国で……属国になる事を拒否して、将軍閣下が討伐なさったと……」


 その言葉に、シェルリアの肩がぴくりと震えた。


「そうだ。ハルバードのように同盟を組む価値もないちっぽけな王国だった。だから我が帝国の属国にしてやるから有り難く思え、と使者を送った。愚かにも王はその申し出を拒絶した。いくさだ。俺はいくさが大好きだ。仰々しく処刑の理由などつけずとも、いくらでもひとを殺せるのだからな。まったく、いくさなら問答無用で殺して良くて、平時は駄目だとか、この世は面倒な決まりごとがあるものだ!」

「……」

「のほほんと平和を貪っていたのだろう、強者と呼べる兵士は数える程しかおらず、手ごたえのないいくさだった。数日で王都を陥とし、俺は王宮内の広間に王族を集めた」

「……やめて……」


 サジウスの回想に、シェルリアは弱々しく震え、耳を塞いだ。その様子を見て、サジウスはただ嗜虐的な笑みを浮かべただけで、やめる様子はない。


「居並ぶ王族と臣下の前で、国王夫妻を処刑した。軍備もろくに整えずあっさり国を奪われた愚かな王にしては、人望があったらしく、皆泣き叫んでおったな……」


 サジウスの話は聞くに耐えなかった。いくさの敗者が辿る道として仕方がない部分もあったのかも知れないが、とにかく敗者をいたぶった思い出を楽し気に話しているのが気分が悪い。シェルリアは黙って耳を塞いだまま。


(まさか……)


 シェルリアの正体とは……。


「王家には男子がおらず、一番上の姫が次期女王ということになっていた。田舎なのに、帝国ですら中々お目にかかれない美しい姫だった。俺はその姫に、俺の女になるならば帝国に連れ帰って良い暮らしをさせてやろうと言った。本来なら王族は皆殺しにし、国民は奴隷とするのだが、姫だけは助けてやろう、と。だが、その女は言った。自分だけを殺し、他の者の命は助けて欲しいと。折角の俺の親切な申し出を、事もあろうに断りおったのだ。それ故、俺は姫を縛りあげ、その目の前で妹や一族郎党を処刑したのだ」

「なんて……ことを」

「しかし、それでも姫は、早く自分も殺せと叫ぶばかりで首を縦に振らぬ。放っておけば自害しかねないので、猿轡を噛ませて地下牢に放り込んだ。表向きには処刑した事にして、言う事を聞けと鞭打った。だが聞かぬ。ただ、ようやく口を割った。自分には許婚がいるからと……。その男は、その国の騎士団長で、同じ地下牢に囚われて処刑を待っておったのだ。何しろ主だった王族を皆、つい王宮内で殺してしまったので、公開処刑にかけて民衆どもに思い知らせる人間が必要だったからな。その男は騎士団長として、将来の王配として、国民に慕われた男だった。あの国で唯一、俺に強いと思わせた男だった。俺はその男を牢に連れて来て、男の前で姫を……」

「もうやめてっ!! 何でもあなたの言う通りにしているでしょう! 何故そんな事を話すの?! 昨夜の態度が悪かったなら謝るわ! でも本当に、アシルは腰抜けだから血なまぐさい事を嫌うんだもの!」


 泣き叫びながら将軍に掴みかかった女を、しかし将軍はやすやすとねじ伏せた。


「痛っ……」

「本当に、俺を裏切っていないか?」

「え?」

「昨夜、おまえはあの男の……セティウス・フィエラの処刑を止めた。まさか、そのまま牢から攫って行ったのではあるまいな?」

「知らないわ! なんでわたくしがあの男を助けなければならないの! あの男は妹の事でわたくしを憎んでる筈でしょう!」


 ……迫真の演技だと、セレスティーナは息を呑む。本当にいま兄が無事でいるのかどうかは知る術もないが、兄を牢から連れ出したのは彼女の手引きが絡んでいる事には間違いないのに。彼女だけが、セレスティーナが託した合鍵を持っていたのだから。元々の鍵は、紛失騒ぎがあってから管理が厳しくなり、普段はサジウスの腹心である執事が持っていて、それが使われた形跡はないのだ。

 暫しサジウスはシェルリアを睨み付けていたが、


「まあ、あの男が表に出れば困るのはおまえも同じだからな。俺が失脚するならば、おまえは道連れだ。皇子に何もかも話してやる。おまえは既婚者・・・・・・・・・だ、と」

「……」

「皇妃になりたいのだろう?」

「……ええ。だから、裏切ったり、しないわ」

「神かけて?」

「神にかけて」


 サジウスはふんと鼻を鳴らしてシェルリアを離した。

 セレスティーナはただ茫然として二人のやり取りを見守るしかなかった。

 サジウス将軍と、シェルリア元王女の。

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