第13話・僅かな望み

 思えば、全ての禍は、この女がセレスティーナの誕生日パーティに姿を見せた瞬間から始まった。あの日この女が来なければ、あんな事を言わなければ、アシルの愛を信じ、父と兄から真綿でくるまれるような情愛を与えられたまま、光溢れた幸せな日々が続いていた筈。

 したたかに飲んでいた筈なのに全く酔いを感じさせない冷静な漆黒の瞳を見ていると、兄のこと、己の今後が気にかかり、束の間忘れていた憎悪が一気に胸の奥から湧き上がるのを感じる。兄の処刑を引き延ばした事も、結局本人の言った通り、自分の印象を良くしたかっただけに違いない……。


 ふとセレスティーナは、彼女の纏っているドレスに目が行く。遠目に、似ていると半ば無意識に感じていたものの、近づいてみればそれは何とセレスティーナが以前アシルに贈られたドレスではないか! 燃え立つような深紅の繻子は、金髪のセレスティーナよりむしろ黒髪のシェルリアの方に似合っているとも言えなくはないが、問題はそんな事ではない。

 何故貴女が、という険しい目に気付いたシェルリアは、


「あら、よく気が付きますね。このドレスは皇太子殿下のお見立てのとても良いお品なのよ」


 などと白々しく言ってくる。更に、


「実は、これは、前の婚約者のセレスティーナさまの形見のお品なの。セレスティーナさまには、色々噂はあるけれど……よく似たお姿のあなたもご存知でしょうけど……本当はとても心優しい方だったの。それでわたくし、殿下のお傍によくお仕えするようになった頃に、セレスティーナさまと同じ心でお仕え出来ますようにと願って、いくつか遺品を譲り受けたのよ。アシルさまは、死んだ者の衣装など嫌ではないかと仰ってましたけれど、わたくしは病死なさったセレスティーナさまのご遺志を是非受け継ぎたいと思って。あなたも、セレスティーナさまに少し面差しが似ている、という縁があるのですから、同じような心で将軍閣下に精一杯お仕えなさるといいわ」


 周囲の者は興味深げに聞き耳を立てている。一方セレスティーナは彼女の言葉全てを侮辱と感じ、怒りで手がわななきそうになるのを堪えねばならなかった。勿論彼女は『踊り娘アリア』の正体に気付いている筈。

 一体何のために近づいてきたのか。もう自分には何の用もない筈。さっきも、セティウスの事を「なんの脅威もない」と言い捨てたばかりなのに。見事な罠で、自分から何もかもを奪った。墓から這い出た者を更に踏み躙るつもりだろうか。


 怨念の籠った踊り娘の視線を、しかしシェルリアは当たり前のように受け止めた。


「長い宴で疲れたわね。ご一緒に夜風に当たりませんこと?」


 そう言って彼女はセレスティーナの腕を親し気にとる。セレスティーナに断る理由はなく、彼女はバルコニーに連れ出された。

 そこで周到にシェルリアは辺りにひとがいないのを確認し、徐に言った。


「鍵を渡しなさい」


 鍵? あまりに予想外の言葉に、セレスティーナは応えに詰まる。この女も、なにか、隠し財産の在り処でも探っているのだろうか? シェルリアの言葉の意味がまったく解らない。流石に言葉不足と気づいたシェルリアは、


「牢の鍵よ。あなたの兄上の。持っているんでしょ? 私はこの館の事には詳しいの。昨夜騒ぎを起こしたのはあなたなんでしょ? 私が助けてあげるから鍵を寄越しなさい」


 と早口で言ってきた。


「な……なにを。信じられる訳がないでしょう」


 演技も時間の無駄と直感したセレスティーナは本心を告げる。シェルリアは少し哀し気に微笑み、


「まあ、そうでしょうね。でも、ここで鍵を渡さずに、あなたに何が出来るというの? あなたひとりで彼を助けるのは不可能。でも、私なら出来る」


 ……確かに、そうかも知れない。セレスティーナに兄を救う手立てはもう何もない。だけど、命綱である鍵をこの女に渡してどうなる? シェルリアは謀反の企ての証拠としてサジウスに見せるつもりかも知れない。かも、というより、それ以外に彼女に益はない筈。

 だが、シェルリアは言った。


「さっき感じの悪い事を言ったのは謝るわ。でも本当にアシルはそう言ったのよ。あなたの方で未練を持っていると良くないと思って教えてあげただけ。……あなたには悪い事をしたと思ってる。でも、仕方がなかった。あなたを生贄にする事は決めていたから」

「え?」

「私は皇妃になるつもりでこの国へ来た。あなたは、邪魔だったの。だけど、あなたが憎い訳でもなければ、ましてやあなたの家族まで殺すつもりなんてなかった。だから、罪滅ぼし」

「……それを、信じろと? 貴女が良心に従って兄を救ってくれると?」

「信じろと強制は出来ないわ。でも、信じなければ、確実に彼は明日死ぬ。信じれば、私が助けて匿うわ。勿論自由にしてあげる訳にはいかないけれど、身の安全は保障する。あとは、あなたが決めて」


 淡々とシェルリアは告げる。憎い憎い相手にそんな事を言われて、セレスティーナは暫し迷う。アシルに未練などそんな言葉を聞かずとも毛頭なかったが、『私の妻は生涯そなただけ』と墓前で誓っていたと聞いたのに、『死んだ者の衣装など』とは呆れて涙も笑いも出ない。

 それにしても、人間の情があるとも思っていなかった仇に、罪滅ぼし、なんて言われても。


 ……けれども、結局セレスティーナは、懐にしまっていた牢の鍵を、シェルリアの掌に握らせた。信じなければ兄は確実に首を刎ねられる。信じれば僅かな望みが生まれる。もしも裏切られても、もう失うものは大して残っていない。兄の命と自分の命……どちらも、サジウスの気分ひとつで吹き飛ぶもの。


 シェルリアは鍵を握りしめる。


「信じてくれた事への責任は果たすわ」

「忘れないで。わたくしは決して貴女を許した訳ではないから」

「勿論、許されようとも思ってないわ。ねえ、『アリア』? あなたは世間知らずの公爵令嬢から、随分と成長したのね? でも、まだ私には敵わないわよ。私はこの国を手に入れる。阻めるものなら阻んでみなさい」

「……っ、貴女、いったい何故?!」

「そのうち、教えてあげるわ」


 そう言い残して、魔姫は踵を返す。


 本当に、信じて良かったのだろうか……。セレスティーナは悶々として眠れず、広間で嗜みの楽器を爪弾いて過ごした。


 そうして翌朝、騒ぎは起きた。

 牢番が殺害され、囚人はかき消えた、と。

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