第12話・魔姫と将軍と踊り娘
気分ではない、と言いながらも、彼女は別段臆した様子もない。給仕をしていた侍女たちのほうが余程怖がっているよう。
将軍は首を傾げて見せた。
「はて、以前貴女はこうした事がお好みと伺っていたような……?」
ふたりは向かい合う。セレスティーナにもセティウスにも、何故シェルリアが止めに入ったのか全く解らない。言葉通りの理由な筈がない。彼女は、女狐。セティウスの正体にも恐らく気づいている筈。サジウスも、だからこそ彼女は喜ぶと考えていたに違いない。
「あなたは勘違いなさっていますわ、将軍閣下」
薔薇のような深紅のドレスを纏い、艶のある黒髪を幾重にも巻いた若い女は、以前にも増して美しく、いかにも人の血の赤が似合いそうになまめかしかったが、その言葉に、誰もが肝を冷やす。サジウスは侮辱されるのを尤も厭う。いかに賓客と言えども、『勘違いしている』などと言われてはどのように怒り狂うことか……その怒りを直接客に向ける訳にはいかぬ故、使用人たちは酷いとばっちりを受けるだろう……と、執事以下の館の者は背筋が寒くなった。
果たしてサジウスの酔った赤ら顔はみるみる怒色に染まる。笑うような心のゆとりは誰にもなかったけれど、何も知らない者が見たなら吹き出しそうなくらい、酔いの赤と怒りの赤が斑に醜い顔を染めていた。
「勘違い、ですと? いや、確かに以前、貴女はこうした余興を楽しまれておいでだった……」
低い声で将軍は言い返す。だがシェルリアは全く動じる風もなかった。
「以前のわたくしは、後見人のあなたを喜ばせなければ、という思いがありました。けれど、今のわたくしは、将来の国母。血なまぐさい趣味があるなどと言われては困ります」
「しかし、この囚人は!」
「将軍閣下。もはやその者はわたくしに何の脅威ももたらしません。アシルさまの御代になれば、こんなことは全て廃止される筈です。だって、とても心優しいかたですもの」
だが、言葉とは裏腹に、シェルリアの唇にはさっと冷ややかな笑みが走ったのを、セレスティーナは見た。『心優しい』? 誰が? 長年尽くした婚約者に毒杯を突き付けた男が? シェルリアにだって解っている筈。今のは、皮肉だろうか。
「シェルリア嬢……私に恥をかかせたいのか?」
「おお、とんでもありません。他国者のわたくしを後見して頂いた恩は決して忘れていませんわ……忘れさせないで下さい」
「どういう意味だ?」
「いま、わたくしはアシル皇太子が、皇后陛下の反対を押し切ってまで決断して定めた婚約者ですのよ。以前の弱いわたくしではありません」
セレスティーナは理解した。この女狐は、今や将軍と自分の立場が逆転したと宣言しているのだ。元々どういう縁なのかは知らないが、かつてシェルリアは将軍の駒だったに違いない。少なくとも将軍はそう考えていた。自分の娘を皇妃に推す事を諦めてこの女を推したのは、将来の見返りが必ずあると信じたから。余程の信用がないと出来ないことだ。だが、駒の筈の女が、自分のやろうとする事に口出しし、自分が与えてやった立場をひけらかしてくるとは……。サジウスのような男には最も耐えがたいことの筈。将軍の腸が煮えくり返る音が聞こえるような気さえした。
しかし、別段敵対するつもりはないのか、シェルリアは、怒りでものも言えない将軍に向かって両手を差し伸べた。少々芝居がかっていても、誰もが、そんな事を気にかけるよりも、早くこの場を円満に収めて欲しいという思いでいっぱいだった。
「わたくしは恩を決して忘れません。だからどうか刃物もお怒りもなかった事にして下さいませ。わたくしは、自分が何をするべきか、忘れた事はございません。わたくしを信じて下さい。そして閣下もわたくしにお力添えを下さい。わたくしはただ、それが言いたかっただけですわ」
「……処刑を酒の肴にするようなことは、お優しい皇太子殿下はお望みにならない、と。それを喜ぶような女も好まれない、と。それが仰りたかったこと、と、いう訳ですかな?」
シェルリアの訴えかけに対して、暫し考え込んだあと、ようやくサジウスはそのような形で念を押すように尋ねた。サジウスとしても、賓客として迎えた皇太子の婚約者に対し、暴言や暴力が許されようもない事が解るくらいの理性は残している。シェルリアは、『自分が上』と言いたかった訳ではなく、『サジウスの為に便宜を図るためにも、アシルの好まない行為は控えて欲しい』と訴えただけだ、という形に落とし込もう、と思ったようだった。
シェルリアは、この緊迫感をなにも感じていなかったかのように笑み、
「お汲み取り下さってほっと致しました……。折角の宴に水を差すような真似、どうぞお許しください」
と応えた。
「……許すもなにも、こちらこそ配慮不足でござった。お詫び致す」
神妙な口ぶりでそう答え、サジウスは何とか気を取り直したようだった。
「おい。見苦しい囚人は牢へ戻せ。酒だ、酒をもっと運ばんか!」
と使用人たちに叫び、次にセレスティーナに目を止めた。
「ふん、処刑が一日延びるだけだ。明日にはおまえの目の前で首を斬ってやるからな」
兄が乱暴に引き起こされ、連れ出される……だが、近づいてくるサジウスに遮られて、兄の方はよく見えない。サジウスはセレスティーナの肩に指を喰い込ませ、怒気を孕んだ笑みを浮かべた。
「よくも化けたものだ。おまえの望みは、あいつを救う事だったか。だがそれは叶えられんな。そしておまえは一生俺に尽くすのだ。おまえがもし逆らえば、おまえの可愛いお友達に代わりをして貰おう。公爵令嬢は本当に売女になっていた。あの娘にだって同じ事が出来る筈」
サジウスはミーリーンの事を言っている……逆らえば、もうすぐ妻となるミーリーンを酷い目に遭わせる、と脅しているのだ。
「な……なんのことか解りませんわ。どうして、そんなに怖いお顔を? アリアは何かお気に障る事を致しましたか?」
「しらばくれても無駄だ。だがな、俺はおまえを気に入っている。過去の事も兄の事も忘れ、俺だけに尽くせ。どっちにしろ、おまえにはそうするしか道はないんだからな。おまえが俺を喜ばせ続ければ、いずれ第二夫人にしてやってもいいと思っている」
「第二夫人……踊り娘のわたくしが。まあ、それこそがわたくしの望みですわ」
演技を続ける必要があるのかどうかも判らなかったが、そんな台詞が自然に口をついて出る。頭の中はぐちゃぐちゃだった。正体はばれてしまったし、兄はやはり殺される。
しかしサジウスは、セレスティーナが泣いたり悔しがったりする様子を見せずに平然と演技を続けている事に満足したらしく、手を離して、
「いいぞ、本当におまえは面白い」
と笑った。
宴は真夜中まで続いた。
その後はシェルリアも将軍の機嫌をとるような言動ばかりをしていたので、酔いもすっかり回った将軍は、処刑を巡る騒動のことも忘れてしまったようで、満足そうに過ごし、やがて酔い潰れてしまった。
シェルリアは疲れたから今夜はこちらに宿を借りたい、と言って、すぐに最上級の客間が用意された。
執事たちが数人がかりで熟睡している将軍を寝所に運び、下働きの者たちが宴の片づけをしている間に、ぼうっと立ち尽くしていたセレスティーナに、シェルリアがゆっくりと近づいてきた。
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