第11話・土壇場の駆け引き
別れの言葉を掠れ声で口にして、兄は静かに目を瞑る。セレスティーナは、目を開けているのも閉じてしまうのも恐ろしかった。青ざめ、身動き一つ出来ずに、兄を凝視する。目前で毒杯を煽った自分を見ていた父もこんな気持ちだったのだろうか。そして結局父はその苦しみに耐えきれなかった。自分もきっと耐えられない……もう、復讐なんかどうでもいい、お兄さまと一緒に死にたい……そんな思いが胸を過り、彼女は気づけば酒瓶を取り落として立ち上がっていた。
そんな自分を、サジウスは相変わらず酷薄な笑みを浮かべて振り返った。
「やはり、尻尾を出したか」
何を言われたのか、暫く解らなかった。
「もしもおまえが知っていて、話すならばこやつの命は見逃してやってもよいのだぞ?」
宴席の者たちは皆、将軍が何を言い出したのかさっぱりわからず、何故その振り上げた刀が下ろされないのかと訝しんでいるようす。だが、セレスティーナには解った。そして恐らくセティウスにも。
セレスティーナは震え出しそうになる身体を両腕でぎゅっと押さえて、
「な、なにを……?」
とのろのろと答えた。将軍はふんと鼻を鳴らし、
「そなたが言わぬならそれは仕方がない。安心しろ、別にそなたをどうこうする気はないぞ? ただ、今宵の寝所にはこやつの首が飾られる事になるだけだ」
「わ……わた……わたくし……」
サジウスは知っていた! いや、正確には疑っていたのだ。アリアがセレスティーナであると。
能天気な溺愛ぶりにすっかり油断していた。この男は馬鹿ではなかった。
薬がどんな夢を彼に見せていたのか、セレスティーナは知らない。だがアルトは、『本人がそうなるだろうと期待した事を夢に見て、それが真実だったと思い込む』と言っていた。サジウスが疑いを持って夢を見れば、夢のなかのアリアは怪しい素振りを見せるのだ。
だが、仮にアリアがセレスティーナであって、復讐の目的で近づいて来たのだとしても、通常の手段で寝首を掻くことなど到底出来ない。毒殺について、サジウスは自信を持っている。曰く、『おれの身体はあらゆる毒を受け付けぬ』と。若い頃に身体を慣らしたのだと。異国の眠り薬までは幸い試していなかったようだが、それが故にサジウスは己が無防備にセレスティーナの前で眠っていた事など知らない。或いは夢の中のアリアはサジウスに手向かったこともあるのかも知れないが、それを彼はやすやすと組み敷いただろう。サジウスにとってセレスティーナは、魅惑的な女奴隷なのだ。彼女がサジウスを愛していようといまいと関係ない。掌の上から逃がしはしない。殺す価値もない。ただの踊り娘なのだから。
(こんな……こんなことになるのなら、最初の晩に殺してしまえば良かった……)
すぐに判るやり方で殺してしまえば、彼女自身も死は免れない。それでは復讐を果たし終えられない。そう思ってとにかく彼に取り入り、いずれ彼を破滅に追い込むような情報を引き出してやろう……そう思っていたのに、これではもう、彼は決して大事なことは漏らさないだろうし、彼女は見張られ、逃げる事も出来ない。そして兄はいま殺される。いずれ自分も飽きられれば、同じ運命を辿るかも知れない。
サジウスは、隠された財産の行方をセレスティーナも知っているかも知れないと考え、この土壇場で取引を持ち掛けてきたのだ。彼女が実際に知っているのは、その在り処を知っているのはアルトだ、という事だけ。けれど、それを言う訳にはいかない。恩人を裏切り、真の皇子を売るようなことは、フィエラ家の者は決してしてはならない。
だが、言わなければ兄は……。
「はやく、はやく首を斬ってください……どうかお慈悲を……」
ここで、セティウスが弱々しい声で懇願した。セレスティーナの迷いを感じたのだろう。妹がアルト皇子や遺産の事を知っているか、彼には判らないが、自分の所為で妹が危地に立たされているのは直感した。今は、ふたりのやり取りから、やはり自分を助けようとしたアリアは、死んだ筈の可愛い妹セレスティーナであると確信できた。自分さえいなくなれば、妹は迷わずに済む。だから、刀が振り上げられたまま、それがいつ首に落ちてくるのか分からずに怯えている哀れな罪人を装ったのだ。
だが、サジウスはそんなセティウスの頭を踏みつける。
「黙って待っていろ」
「ああ……っ」
兄が顔面を床に叩きつけられた鈍い音に、思わずセレスティーナは小さく悲鳴を洩らす。
「どうするか? 『アリア』」
将軍は相変わらず醜い顔に笑みを貼り付けたまま、動けないでいるセレスティーナに念を押すように問いかける。財宝が手に入れば儲けものだし、こうまでして言わないのならば娘には知らされていないのだろう。それならそれで予定通りに血を流し、自分に逆らおうとした馬鹿な娘に兄の首を突き付け、徹底的に教え込む。決して自分には逆らえない。だから奉仕を続けるのだ、と。
やはり、おとめを奪い、毎夜相手をさせていた女は、憎き亡き宰相の娘、皇妃となる筈だった女だったのだと考えると、愉快でならなかった。
数瞬待ったが、娘は青ざめたまま口を閉ざしたまま。
「知らぬか。なら仕方ない」
『アリア』に向かってそう言い放つ。改めて刀を振り上げる。
ここまでの間、居合わせた人々は誰も、将軍と踊り娘の会話の意味がまったく解っていなかった……筈だった。
もうひとり、処刑されるひとの本当の名前を知っている娘が、別室で泣き叫んでいるのが遠くから微かに聞こえるだけ。
しかし。
ここで、
「お待ちください、サジウス将軍」
と静かに声を上げた者がいた。だれも、この権力者に指図など出来ない場で。
「ああ、面白い余興、とはこういうことでしたの。でも……折角の御手配ですけれど、わたくし、そういったことは今日は気分ではなくて。申し訳ありませんけれど」
そう言い放ったのは、今宵の賓客、シェルリア・ミロス伯爵令嬢。セレスティーナの、そしてフィエラ家の破滅の元凶である女。
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