第10話・処刑の時間

 賑やかで明るい宴の席上で、セレスティーナは、いっそ正気を失ってしまえたら楽だろうと思う程に苦しみを抱えていた。にこやかに笑って、憎い男に媚びを売り、酌をしながら。

 苦しいのは、兄の事だけではない。『特別な客を招待してある』と言っていたサジウスだが、その特別な客とは、彼と同様に憎い存在……シェルリア・ミロス伯爵令嬢だったのだ。


「麗しき未来の皇妃陛下に乾杯!」


 と上機嫌でサジウスは盃を上げる。そう、ついさっき聞かされた事だが、アシルの恋人となっていたシェルリアは、遂に正式に彼と婚約したのだ。

 元は自分の娘をアシルの后に、と目論んだ事もあったサジウスだが、シェルリアならいいだろう、という判断らしかった。見目や物腰も、サジウスの娘たちが敵う筈もない非の打ち所のなさと認めざるを得ない事もあるが、元々他国者のシェルリアが帝国の宮廷に入るにあたって、後見をしていたのがサジウスだからだ。いったいそもそもどういった縁であるのかはさっぱり分からなかったが、恐らくシェルリアは自分が皇太子の婚約者になり、いずれ后になった暁には、将軍の一層の地位の盤石を保証しているのだろう。後見人だったのだから当然といえば当然で、やはり二人は手を組んで、邪魔なセレスティーナを罠に嵌めて墓に追いやったのだ、とこの日の二人の親し気な様子から確信できた。


 自分から婚約者を……愛し合っていると信じていた男を奪い、自分に死の苦しみを与えた女。取り澄ました笑顔を見ているだけで、飛びかかって縊り殺したくなる程だ。彼女さえいなければ、父と兄とアシルと……あの幸せはそのままに続いていた筈。なのに、父は死に、兄ももうすぐ……。

 今となっては、アシルには完全に愛想が尽きている。婚約者の死から一年も経たないのに、その元凶となった女に篭絡され……。アシルの后になっても、幸福が得られたかどうかはもう判らない。それでも、道を選ぶ暇もなく、セレスティーナは棺に放り込まれた。


 いっぽう、もう一人の客、ミーリーンは、将軍の隣に席を与えられたものの、これから何が起こるのか、すれ違いざまにセレスティーナが渡した書き付けで知っており、蒼白だった。確かに、彼女は以前よりずっと強くはなった。だけど、死の淵を乗り越えた訳ではない。セレスティーナのように、感情を殺し、明るく振る舞う事など出来ない。長年の想い人が、宴の座興で、目の前で首を刎ねられる予定と知り、動揺を隠しきれない。

 サジウスは、名もなき罪人の処刑の予定を自ら、いずれ正妻として迎える予定の若き乙女に伝えていたので、彼女の様子を不審に思ってはいないようだ。むしろ、その酷薄な目は、残酷な処刑とは無縁に生きて来た令嬢の怖がるさまを喜んでいるようにも思えた。


(ミーリーン、しっかりして! お願いだから……)


 この場でもし、予定を変更するよう将軍に進言出来る者がいるとしたら、それはミーリーンしかいない。だから伝えたのだ。シェルリアにも可能だが、彼女がそんな事を願う訳もない。あの女は、眉一つ動かさずに、自分が死に追いやった女の兄の処刑を眺めるだろう。

 自分は、『こんな事くらい平気でなければ俺の傍にはいられない』と将軍に言われたばかり。阻む権利もない。仮に何もかも投げ出して兄を庇ったとしても、兄妹共々始末されるだけ。自分が身を捨ててまで兄を庇えば、流石のサジウスも、アリアが『売女セレスティーナ』本人と気づくだろうから。


 贅を凝らした料理が次々と運ばれ、ミーリーンは殆ど何も喉を通らない様子だったが、将軍とシェルリアはよく食べて酒を嗜んだ。アリアは将軍の背後に控えて酌をする役目。だが時折サジウスはアリアを抱き寄せて、『気に入りの踊り娘なのです』とシェルリアに告げる。ミーリーンの嫉妬を誘う意図もあるようだったが、元々セレスティーナの意図を知っているミーリーンは、それにも気づかず、ただ震えているだけだった。


 このまま時が朝まで過ぎて、何事もなければいい……。そう思い始めたころ。シェルリアは甘い声で言った。


「将軍さま、今宵は特別に面白い余興があると伺いましたけれど、まだですの?」

「おお、そうだった。おい誰か。囚人を連れてこい」


 そう言ってサジウスは腰の刀を抜き、部屋の真ん中に立ってぶんと振った。既に酔って顔は真っ赤である。


「不届きな囚人がおりましてな……拷問を重ねても、くすねた財宝の在り処を吐かぬので、ここで私自ら、首を刎ねて御覧に入れましょう。勿論一刀で綺麗に刎ねますぞ。お召し物に血が付かぬようにも配慮しますからな」


 と言い放って笑う。シェルリアは、何を思っているのか、返事をしなかった。ただ、一瞬、その視線はアリアを捉えたようだった。


 やがて、顔は変形し、脚の折れたセティウスが引きずってこられた。セレスティーナは唇を噛む。本当に耐えられるのか、とても自信はない。

 と、ここでようやくミーリーンがか細い声で、


「将軍さま……わたくし、血なまぐさいことは……どうか、この処刑は延期なさっていただけませんか」


 と、セレスティーナの一縷の望みの言葉を放ってくれる。確かに、効果的な期だった。最初から嫌がっているのも気弱すぎるが、囚人の姿を見たらいよいよ恐ろしくなって……と。ミーリーンは彼女なりに見計らっていたのだ、とセレスティーナは知る。


 だが、酔った将軍は豪気に笑ってミーリーンの肩を抱く。


「おおそうか、怖いのか、まあ貴女はこうした事に慣れなくとも仕方がない、深窓の姫だからな。別室にて休まれていて構いませんぞ。おい、侯爵令嬢に休む間を」


 と執事に言いつける。若く美しく身分のある、お飾りの正妻となる娘……表面上は大事にしても、その進言を聞く気はまるでないようだった。


「そんな。わたくしは……」


 ミーリーンは、とっておいた切り札が全く効果がなかった事に更に青ざめて将軍に取りすがろうとするが、まだ観客はシェルリアとアリアがいるので、もういいとばかりに、乱暴にならぬ程度にその腕を振りほどいて、サジウスは啜り泣くミーリーンを、執事に命じて強引に別室に連れて行かせた。


(ああ……神よ)


 もうこれで、救いの目はなくなった。セレスティーナは涙を堪え、床に這いつくばされた兄を見つめた。その視線に気づいたようで、兄は腫れ上がった目を懸命に開けて、彼女を見返した。


「……セレ……?!」


 言いかけて止めたのは、まだ兄に正気がある証拠。だがサジウスは愉快そうに笑って、


「これは俺の女。『売女セレスティーナ』と見間違えたか。だが、このアリアは、夜な夜な手管を使って俺を楽しませてくれる磨かれた極上の女ぞ。下層の出ではあるがな」


 と言った。


「……アリア? では……」


 セティウスの心には昨夜の事が甦ったようだった。どこまで事情を察したかは判らなかったが、これ以上口を開くと、彼女を困らせる事になると思ってか、もう何も言わなかった。


「そこになおれ」


 という将軍の言葉に従い、左右から取り押さえられた公爵の息子は、諦めきった様子で静かに俯せる。


「さらば……」


 将軍は刀を振り上げた。

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