第7話・仮面の奥底

「道化さん、あの子は無事に館に届けてきましたよ。将軍も随分な気に入りようで、危険なこともなさそうな様子」

「そうか。あなたには本当に世話になった。ありがとう」

「いえいえ、あの子自身の力ですよ。最初は本当にびっくりする位もの知らずだったのに、一生懸命私たちを真似て、見事に評判の踊り娘になった。あの子がいなくなって、うちの一座には痛手だけど、将軍からたくさん褒賞を頂いたので、それを元手にまた出直しを頑張らなくてはね」


 仮面のアルト皇子に酒場の隅で一杯やりながら話していたのは、踊り娘一座の座長。50歳前後と思われるこの女は未だ艶やかさを保ち、同時にしたたかさを備えている。アルトやセレスティーナの素性に触れるような事は決して話題にしない。『売女セレスティーナ』……本人であろうと、薄々察してはいても、それを知る事は、関係を壊す事であり、要らざる危険を招く事と見抜いている。密告の危険があると思えば、この道化は躊躇わず自分の命を取るかも知れない。道化は、一見人当たりがよいものの、どこかそのような危険な匂いを隠していると、世間で揉まれて生きて来た女は感づいていた。

 それでも生来の人の好さで、女はくすくすと思い出し笑いをし、


「あの娘にはほんと、驚かされる事ばかりでしたよ。最初に踊り娘の衣装を渡した時、いつまでも着替え場から出て来ないものだから、何をぐずぐずしているんだろうと思って見に行ったら、『下着しか頂いていないので……』って困った顔をしてたのさ。見てるのと実際着てみるのは違ったんだろうね。でも、『これが衣装だよ! ちゃんと着てるじゃないか、さっさとおいで』って言ってやったら、すぐにちゃんと言われた通りにやってた。初めはお高くとまってるように見えたんで、皆からいじめられていたけど、洗濯の仕方も知らなかった癖に全員分を引き受けようとしたり、とにかく、卑屈ではないのに健気なもんだから、段々敵意はほどけていったのさ。あの娘は人に好かれる資質があるね。普通は、綺麗過ぎる女はそれだけで弾かれる事も多いんだけどね」


 などとよく喋る。アルトの奢りという事で酒杯を重ね、気分を良くしているのも影響している。


 セレスティーナが過去を匂わせない為に新しい生活に馴染もうと必死になっていたのは、半年間、度々会っていたアルトにもしっかり伝わっていた。最初は、受けた理不尽と悲劇から自分を奮い立たせてはいても、いずれ挫折するだろうとかれは見ていた。貴族の最高位、いずれは皇妃の座を約束されていた娘が、全てを隠して底辺の踊り娘に成りきる、など、口で言うのは簡単でも、努力をしてみたから成せる、というものではない。『なににでもなれる、目的の為ならば』……共感する力、素早く理解する力がなければ、そして、身分に拘らずにおのれの矜持を内に秘める事が出来なければ、到底無理な筈だ。苦しい暮らしをする庶民たちは、異物に対して敏感に反応する。彼らは、皇族貴族が自分たちに手の届かないところにいるから、自分たちとは違う生き物なのだと諦念を持って眺めているだけで、それが手中に堕ちてきたならば、容赦なく日頃の不満や憎悪をぶつけるだろう。帝国の平民の不満はそれ程に募ってきていたのだ。だから、彼女が高位の貴族だと見抜かれれば、たとえ『売女セレスティーナ』とまでは特定されずとも、散々な目に遭わされるかも知れない……とアルトは思っていた。命を絶つか、泣いて修道院に駆け込むか……。そうなってしまうのなら、それは仕方のないことだ、とも。

 自分は道を示しただけで、選んだのは彼女自身。たとえ恩人の娘でも、力のない者を傍に置いても無駄なこと。だが、彼女が使える人間である可能性に賭けてみた。理由は極めて利己的で、単に、フィエラ公という庇護者を失ったかれは、少しでも手駒を持っていたかった、というだけのもの。おのれの復讐心に囚われていたアルトは、利用する為にセレスティーナの心に火をつけたのだ。兄のセティウスには友情を感じてはいたが、その妹には特に思い入れはない。


 だが、かれの予想に反して、セレスティーナは本当に愚痴のひとつもこぼさず、会う度に与えられた役割に馴染んでいくようだった。利用されているなど夢にも思わず、アルトを信じ、ともに国を建て直す同志だという言葉を信じ、自分の恨みもあるが、アルトの望みの為にもサジウス将軍を排除したいと願う娘。

 外ではいつも作り笑い。けれど、アルトの前でだけは、時折、心からの笑顔を見せるようになった。


(これでよかったのだろうか……)


 初めてアルトは自分の考えに疑問を感じ始めた。この明るく優しい笑顔は、自分が教えた『復讐』という言葉を支えにしている。それで良いのだろうか。そんな支えは、彼女の笑顔に似つかわしくない……。最初は手駒だと思っていたのに、いつの間にか、もっと柔らかな生き方を与えてやれなかったものだろうか、と考える自分がいるのにアルトは気づき始めていた。

 刺々しく不快な宮廷勤めから帰ってセレスティーナに会うと気持ちが緩む。自分は元々、生まれながらに親兄弟を憎んで生きるさだめだが、彼女はそうではなかった……。彼女は修道院に待たせておいて、自分が全てをやり遂げ、アシルを排斥し、皇妃として迎えに行ってやれれば……そんな夢のようなことまで心に浮かんだ。

 自分は物心ついた時から5歳まで、愛を知らなかった。それを、亡きフィエラ公が与えてくれた。かれの事は父親のように思っている。だが、同時に、フィエラ公はアシルにも忠誠を誓っていた。いずれはふたりを和解させ、アルトを次期皇帝アシルのきょうだい、大公として表に……そんな事をいつも語っていた。


(公の忠誠は、皇家への忠誠……そう思うと、わたしはアシルが憎かった。アシルさえいなければ皇子はわたしひとりと、まるで子どものような妬心……本当は、公は最期の瞬間までわたしを案じ、わたし自身を思っていて下さったのに……)


 最近になって、ようやく自分の心の底が見えてくる。父親譲りの優しい碧い目の娘の笑顔を眺めていると。


 だが。もう闘いは始まっている。セティウスも取り戻さねばならない。あとにはひけない……弱さを持ってはならないのだ。

 だから。敵地へ、たったひとり、送り出してしまった……失ってはならないひとを。首尾はどうなっているだろう。夢を見せる薬はもうそんなに残っていない筈だ。それがなくなれば、彼女はきっと……。


「次の週にでも、あいつの様子を窺って来てもらえないだろうか? 忘れものでも届ける態で……」


 気付けば、女座長にそんな事を頼んでいた。

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