第4話・夢の女

 翌朝、サジウスの館の使用人たちは、なかなか見られない程上機嫌なあるじの様子に驚く事になった。セレスティーナの腰を抱き、傍に置いて離さないまま朝餉をとる。


「そなたは最高の女だ、アリア。俺は以前占い師に言われた事がある。いつか俺の運命の女が現れて俺を頂点に導いてくれると。きっとお前がその女だ」


 そうとまで言い、


「昨夜は良い夢を見せてくれたものだ。本当に処女で、しかも……」


 と、がさつに食べこぼしを散らしながら下品に笑う。セレスティーナは嫌悪感の中にも一抹の昏い喜びを感じる。サジウスは昨夜の出来事を夢に例えているつもりだが、彼の体験は本当に夢でしかないのだ。まんまと一杯食わせてやったのだ。彼の期待が大きかったからこそ、彼が夢の中で得た喜びもまた大きかったのだろう。夢の中でアリアは彼の理想通りに慎ましくも淫らに振る舞い、彼を満足させてみせたのだ。


「お褒めに預かり光栄ですわ」


 精一杯の作り笑顔でセレスティーナは応える。


「固いな。もっとくだけても良いぞ。昨夜のおまえのように」

「昼は昼、夜は夜……。昼のわたくしは卑しい踊り娘に過ぎませぬ」


 何しろ、サジウスの夢のなかでアリアがどのように振る舞ったのかなどセレスティーナには分からない。だから最初にこうして隔てを置いておく方がぼろが出る心配も少なくて済むというものだ。それに、そうやって時により全く違った表情を見せることが男心をそそるだろう、と、これはアルト皇子が知恵をつけてくれたことだった。

 果たしてサジウスはにやりとして、


「そうかそうか、お前はなかなか賢い女だな。確かに、ちょっと目をかけるとすぐに図に乗る女もいるが、そなたは弁えているな。それでいてこそ、今宵がまた楽しみというものだ」


 と言った。


 アリアの踊り娘一座は多額の報酬を得て退去してよいと告げられた……彼女ひとりを残して。


「うまく行ったようだね。頑張るんだよ」


 事情を知っている訳ではないが、一座の女たちは、アリアが因縁あって将軍に取り入り、なにかを成そうとしていることは半年の付き合いで察している。その上で味方になってくれたのは、将軍が民草の間で嫌われている事もあるが、何より、アリアがどうやら高貴な生まれであるようなのに、見習いとして素直に働き、必死で皆を真似て溶け込もうとした気立てが好かれたからであった。


「仮面の彼のためでもあるんだろ? 身の安全には気をつけるんだよ。将軍は一旦怒らせると大変だと聞くからね。仮面の彼には伝えておくから」


 アリアを一座に引き合わせたのは無論、街中に様々なつてを既に築いていたアルト皇子である。宮廷とは別な仮面をつけ、気ままな旅の道化を装って一座の長と酒場で親しくなり、アリアを、『急に親を亡くし、家も財産も親類に奪われて行き場のなくなった娘』と紹介して世話を頼んでくれた。長はふたりの様子から、なにかただならない間柄、事情が存在しているようだと感じたが、どうせ一座の女たちも自分も皆それぞれに人に言いたくない過去がある身だと、何も聞かずに受け入れる度量のある女だった。


「ありがとうございます……。誓いを果たしたら、きっとご恩を返しに参りますわ」


 半年の間寝食を共にした仲間たちと離れるのは寂しく不安ではあったが、何よりもこの長がいなければ今自分はここにこうしていられなかったと思い、心から礼を述べる。


「ほらまた、地が出ているよ。仲間うちでそんな話し方したら怪しまれる。礼はいいから、用が済んだら戻っておいで。無事な顔を見せてくれるだけでも構わないからさ」

「はい……」


 こうして独り敵地に残ったセレスティーナだったが、サジウスの寵愛ぶりは日に日に増し、宮廷から帰れば肌身離さず、日中は豪奢な室を与えられ、着飾らされたり湯あみをさせられたり……といった様子で数日が過ぎて行った。

 サジウスの正妻は既に病没しており、館には数人の妾とセレスティーナと同じ年頃の娘たちがいた。中にはかつての知人もいたが、娘たちは父親の放蕩には慣れており、新しい寵姫などに興味はないようだった。サジウスは当初、娘たちの誰かをアシル皇太子の婚約者に、と望んでいたようであったが、生憎娘たちは皆父親に似て容姿も普通以下、機転も気品もなく、セレスティーナの面影を心に残しているアシルのお眼鏡にかなう娘は誰もいなかったらしい。この辺りの話は、ここに来る前に、時折会っていたアルト皇子から聞いたもの。仮に将軍の娘の見目が多少良かったとしても、いま、アシルには既に新たな恋人がいる。それは、セレスティーナが最初から想像していた通りの人物、彼女をこんな境地に陥れた張本人のシェルリア・ミロス伯爵令嬢だった。


『わかっておりましたわ……あの女が、皇太子妃の座を狙ってわたくしを罠に嵌めたこと。思えば、他国者のあの女の後ろ盾はサジウス将軍でしたわね』

『うむ。どういう繋がりなのかはわからぬが……』


 そんな会話をアルト皇子と交わしたものだった。将軍の次はあの女、とセレスティーナは心を決めている。後ろ盾を失えば、彼女を庇う者はなく、彼女の悪意が明らかになれば、アシルは自分をあっさり捨てたように、あの女も捨てるだろう。


 館に住まう側室たちは、いずれも下級貴族や富商の娘であったので、流れ者の娘など、将軍閣下の一時のご酔狂、と捉えた風で彼女たちもセレスティーナに関心を示す様子は見せなかった。

 使用人たちは、たとえ一時のことにしても、あるじのお気に入りの女性の機嫌を損じてとばっちりを蒙ることを恐れ、馬鹿丁寧に接してくる者ばかり。セレスティーナは、


「わたしは夜のお勤めがあるのだから、昼間は自由にしていたいの。ずっとこのお部屋にいるのは窮屈よ。将軍様も、好きに過ごしてよいと仰ったし」


 と彼らをやんわりと遠ざけた。こうして彼女は比較的自由に館のなかを歩き回る権利を自然な形で得て行った。


 だが勿論、それは後宮でのことであり、流石に将軍の執務室周辺に姿を見せる訳にはいかない。なんとすれば……と、考えあぐねながら、毎夜サジウスに夢を見せては喜ばせていた時。


 庭を散策して考え事をしていたセレスティーナは、遠くから聞こえた声にぎょっとした。

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