第9話・道化の真実

「髪を染め、声色を使っていたのだよ、セレナ」


 彼は、自虐的に、だけどこれまでと違う声でそう言った……かつて好きだった声……そして最後に聞いたのは『さっさと逝け』という声。

 アルトはことりと仮面をテーブルに置いた。私は息を呑んだ。そこにいたのは、愛していたひと、恨むまいと努力したひと、だけど死の瞬間、確かに憎んだひと……アシル=クロード皇太子と同じ顔を持ったひとだった。


「わたしは、アシル=クロードと双子として生まれ……かつてより予言されていた『帝国暦三百年に生まれる皇家の双子は不吉』という言のもと、貧民窟に投げ捨てられたのだ。皇子は双子ではなく、アシル一人が生まれたとする為に。そして、皇家の者を殺す訳にはいかぬから、勝手に飢えて死ぬようにと……」

「そ、そんな……酷い」

「だが所詮宮廷人の考える事は愚か。高価な絹のおくるみに包まれていたらしいわたしは、その絹の衣装だけを奪われて凍えて飢えて野垂れ死ぬ事を期待されていたようだが、貧民窟の夫婦は、わたしがどこぞの屋敷から攫われて捨てられた貴公子に違いないと考え、いつか身元が明らかになれば報酬を得られるだろうという期待のもとに、わたしを養育したのだ……勿論、無駄飯喰らいにならぬよう、物心つく頃から、物乞い、すり、色々とろくでもない技術を叩きこまれながらな。だが貧民窟の暮らしは厳しい。彼らもやはり実子の方が可愛かったのだろう、食べ物が少ない時には、自分だけが何日も殆ど食べさせて貰えなかった事を今でも覚えている。<捨てっ子>としか呼ばれず、雨漏りのひどい小屋の隅に蹲って、仮の家族が粗末な粥を啜っているのを物欲しそうに見ていた事も」

「…………」

「わたしが五つになる頃に転機が訪れた。宰相フィエラ公爵は貧民窟で定期的に慈善事業を行い、時には自ら視察に赴かれていた。そこで、皇太子と瓜二つなわたしは公爵の目にとまり、拾われた……。そうでなければ、恐らくわたしは育ち切れずに結局弱って死んでいただろう。宰相にすら知らされていなかった皇家の秘密をあの方は探り、確かにわたしを皇子と知って、わたしの悲運を嘆き、忠誠を誓って下さったのだ。望み通りに多額の報酬を得た養い親は大喜びでわたしを手放し、それからわたしは密かに、公爵が手配してくれた館に匿われ、最高の家庭教師を付けられ、貴公子として育てられ、アシルに劣らぬよう教育を受ける事が出来た、という訳だ。わたしがそなたの父上に恩義を感じる理由が解ったか」

「はい……」


 なんという運命だろう! 赤子のまま打ち捨てられて死ぬ運命だったアルト皇子……。そして、お父さまがかれを助けたおかげで死から救われた私。

 だけど、言わば私たちふたりの命を救ったお父さまは死んでしまった……まるで私の身代わりのように。

 アルト皇子の悲惨な過去の話は私の胸を強く揺さぶったが、かれは先手を打つように、


「同情の言葉などいらぬ。わたしは生き延び真実を知った。そなたもただ知っておけばそれでいい」


 と強い口調で言う。

 なので、私はそれ以上その事には触れず、一番気になっている事を尋ねてみた。


「あの……それで、兄はどうなったのでしょうか?」


 残る家族はもうお兄さましかいない。ふたつ年上で、お母さま譲りの金髪の私とは違って、お父さま似の黒髪の優しいお兄さま。能力も性格も容姿もお父さまによく似て、将来が楽しみだと誰からも言われていた私のたったひとりのお兄さまは、お父さまを殺した疑いをかけられて……?

 もしも恐ろしい事を聞かされたらどうしよう、と私は思わず震えたけれど、アルト皇子は冷静に、


「大丈夫だ……今は。おまえの兄は聡い。父上亡きいま、宮廷は将軍に引っ張られ、皇家が口を挟む事もないだろう……おまえすら切り捨てた宮廷の現状で正しき裁きなどあり得ないと解っていた筈。政敵の死で気の緩んだ将軍の、配下の監視の目をくぐって、館の二階の窓から脱出し、行方知れずになっている」

「ああ……では無事で」

「今は、な。だが、セティウスの現状は、どちらを向いても崖っぷち……大人しく捕まれば無実の罪を飲まされ、逃亡すればやはり罪びとだからと言われる。逃げ切れずに捕まれば、斬首は免れまい……」

「そんな……ああ、どうすれば……」

「将軍は、公爵が自死なさった証拠である息子への遺書を処分した事で勝った気になっているだろう。だが、遺書はもうひとつ、ここにある」


 アルト皇子はそう言って、先ほどの書状を私の手から取った。


「ああ、そうだわ。アルト……殿下が、それを証拠として出して下されば」

「馬鹿を言うな。アルト=クロード皇子などというものは存在を認められていないのだ。いるのは、アシル=クロード殿下の道化師であるアルトだけだ。わたしの両親は、名前さえ付けずにわたしを死地に捨てたのだ。この名は、アシルの兄弟として相応しいものをと公爵が考えて下さったものだ。誰もわたしの生存など知りもしないし、知られれば消されるだけ」

「…………」

「いいか。わたしとおまえ、おまえの兄、皆、何ひとつ罪も犯していないのに、本来の姿で表に出れば捕まり、殺される運命にあるのだ。おまえが名乗り出てみたらどうなると思う。己の娘を皇太子妃としたい将軍が許すと思うか。今や父宰相の後ろ盾を失ったおまえなど、将軍が、『墓から這い出た忌まわしき亡霊』と叫べばそれまでだ。再び殺され墓の中へ逆戻り……。このような不条理、何故まかり通ると思うか」

「それは……わたくしと家族の場合は……そもそも、あの異国の女の告発がもとで……」

「では、わたしは?」

「……わかりません……」

「正直でいい。おまえたちの問題とわたしの問題は繋がっているのだ。即ち、これは、長い年月の間に疲弊し腐った皇家の問題だ。寝たきりで何もしないのに退位しない皇帝、そのおかげで放蕩三昧、感情のままに物事を決める皇妃、そして母譲りの愚かな皇太子……これがこの国の頂点に居座り、実務は全て宰相と将軍に投げっ放し。いくら宰相が有能でも、この国には使える人材が少なすぎるのだ。下の者が少しでも皇家を悪く言えば、追放か死罪。これでは、まともな人間が残る筈がない。そして、黴の生えた昔からの掟に何の疑問も持たずに従う。なあ、こんな国でわたしたちが生きていくには、どうすればいいと思うか?」


 テーブルの上に置かれた蝋燭の灯りがちらちらとアルト皇子の貌に複雑な影の文様を描いている。こうして見ると、彼はアシルと同じ顔なのに、あまりにもその浮かべた表情が見知らぬもので、似ているとすら感じさせない。時刻は朝だけれど、小さな窓ひとつにカーテンを閉め切ったこの部屋は暗い。


「……変えなければ」


 無意識に、そんな言葉が私の口から出ていた。


「そう……そうだ。変えるのだ。わたしたちの手で」


 アルト皇子の紫の瞳が、じっと私を見据えた……皇家の直系だけが持つ、紫の瞳。今まで、仮面の目の部分に入れた変色硝子のせいで判らなかったのだと気づく。


「おまえはあの方の娘。最初は、アシルなどに惚れ、皇太子妃の地位を夢見るただの小娘だと思っていたが、死を乗り越えた事でおまえは本来の自分に目覚めたように思える。状況を素早く呑みこみ、次の事を考えられる……」

「わたくしはただの小娘ですわ。でも、なにか出来る事はある筈、と思っただけに過ぎません」

「普通の娘なら、絶望し、なにも出来はしない、と嘆くばかりなものだろう。もしもおまえがそうであれば、わたしはおまえをどこかの修道院に連れて行き、ひっそりと生きてゆけるよう手配してやる気でいた。だが、おまえはわたしと志を共にし、前を向いて生きる力があるようだ」

「志……?」

「復讐だ。おまえは憎い筈だ。アシルが、あの女が、将軍が、皇家が。だから全てに復讐するのだ。やつらを葬り去り、わたしが真の皇帝として立ち、腐った宮廷に新しき風を入れ、この国を一新する。そしておまえはわたしの皇妃となるのだ。おまえの兄は宰相に。これこそ、おまえの父上が本当に望んだ未来の筈!」

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