第10話・道化師と踊り娘

「復讐……」


 アルト皇子の言葉は、打ちのめされていた私の心に小さな炎を灯す。そうだ、無念の内に死んだかつてのセレスティーナとお父さまの為に、新しい生を貰った私の成すべき事は、復讐。そして、お兄さまを救う。


「復讐……出来るのですか」

「やってみなければわからない。やらなければ良かった、と思うことになるかも知れない。だが、やってみなければ何も始まらない。運命に負け、愚かで私欲に満ちた者どもに負け、怯えながらただ生きる日を死ぬまで繰り返すだけだ」

「それでは……それでは助けて頂いた意味がありません。わたくしは復讐する為にあなたさまに二度目の生を与えて頂いたのですね。たとえもう一度殺される事になるとしても、修道院でわたくしを見捨てた神に祈って余生を過ごすよりはまし。わたくしは、わたくしとフィエラ家の名誉を取り戻し、わたくしを信じなかったアシルと、彼を利用する為にわたくしたちを陥れたものに復讐する……!」


 アルト皇子はにやりと笑う。


「ならば、今からおまえとわたしは同志。どんな辛い目に遭おうといつか宿願を果たす日まで泣き言は聞かぬ。わたしはアシルの傍にいて奴の全てを見極め、信頼を得、皇家の秘密を探り出すという、やらねばならぬ事がある。おまえはおまえだけの力でおまえの為の復讐を成し遂げるのだぞ」

「はい……でも具体的にどうすればいいのか、まだわたくしには……」

「その手段を考える事や準備については力を貸してやる。フィエラ公からは多額の私財を頂いている。いつかはおまえたち兄妹に返すつもりだが、今はわたしに預けていて欲しい。情報を買う為にも必要だ。どうにかして将軍より先にセティウスを見つけ、助けてやらねば」

「それは勿論殿下が好きなようになさって下さい。でも、どうして兄の事までそんなに?」

「フィエラ公は、同じ年回りの貴族の相手が必要だろうと言ってセティウスを時折わたしのところに寄越していたのだよ。子どもの頃は遊び仲間、そして今はあいつはわたしが誰なのか知っている。あいつはわたしに忠誠を誓ってくれたが、わたしにとってあいつはたったひとりの友人なのだ……」

「まあ。それで兄はすぐに父の遺言の意味を悟り、殿下に届けさせる事が出来たのですね」

「そういうことだ」


 そう言って、アルト皇子はテーブルに置いた仮面をとり、元の通りに被った。そうすると、道化めいた姿ばかりが印象に残り、誰もがまさかその下に尊い顔が隠れているとは思いもしないだろう。


「よいか、セレスティーナ。そなたもまた、このように変わらなければならぬ。仮面を被れという訳ではないが、公爵令嬢として、未来の皇妃として培ってきたそなたの気品には完璧に封をして、町娘としての新たな自分の顔を作らねばならぬ」

「町娘……」

「いや……ただの町娘では駄目だ。皇子であるわたしが道化となったように、そなたも持てる力のすべてを使って、誇りは悲願果たす時まで呑み込み、違う存在にならねばならぬ。そうだな……わたしが道化であればそなたは旅の踊り娘といったところか」

「踊り娘……」


 所謂宮廷舞踏団などと違い、流れ者の踊り娘といえば、殆ど娼婦と同じように扱われるのがこの国の慣習だ。実際に目にした事はないけれど、道化師より下層の存在と言えるだろう。


「いやか」

「……」

「そんな程度で嫌がっていては、そなたの覚悟も大したものではないという事だな」

「そんな! でも、他にないのですか?」

「わたしには思いつかないな。なんならば、本物の娼婦に仕立てあげる方が確実とさえ思うものを」

「そんなものになるくらいなら死んだ方がましですわ」


 私の言葉にアルト皇子はふんと鼻で笑った。


「なんだ、おまえの命はその程度か。命より体が大事とは、存外安い命だったか。おまえの家も、父の死も兄も……おまえはその小さな誇りを貫く為ならこのまま無駄になっていいと言うのだな」

「……! 違う、私は復讐を……!」

「そんな程度の覚悟では駄目だ。いいかセレスティーナ。道化師と踊り娘が、皇帝と皇妃になろうというのだぞ。為したければ、己の全てを捨てる覚悟がなければ駄目だ。おまえのような娘に娼婦になれとは言わん。だが、貴族の娘としての一切は今は封じ、肌の色も髪の色も変え、薄布の衣装を纏って腰を振って踊れ。将軍の館に入り込み、奴の気を引くにはそれが最も手っ取り早い」

「将軍の……」

「そうだ。いまおまえがアシルに対して出来る事はない。おまえの相手は将軍だ。いいか、将軍は、フィエラ公が必死に助命嘆願をする裏で、皇太子に恥をかかせた女を生かしては皇家の恥に繋がると散々説いていたのだぞ。それさえなければ、恐らくアシルはフィエラ公の嘆願を呑んでいた筈だ。そうなっていれば、全ての悲劇は回避出来た。しかも、これが一番重要な事だが、修道院長を脅迫したのは恐らく将軍なのだ。あの頃、修道院の近くに出没していたという男の人相は、わたしの知る将軍の配下の男によく似ている」

「え……」

「あの異国の女と手を組んでいるのか、異国の女の告発を利用しただけなのかまでは判らぬが……」


 アルト皇子の言葉に私の中の憎悪が一気に膨れ上がる。元々、お父さまと不仲の人と、良くは思っていなかったが、それ以上の政治の事は、知識としてはあっても感情としては私の中にはなかった。今までの話を聞き、お兄さまを嵌めた人として憎しみが湧き始めたところだった。だけど、まさか全ての元凶にも関わっているなんて……!


「なんということ……」

「宰相亡きいま、帝国は将軍の意のままに傾いてゆくだろう。フィエラ公派だった者たちは宮廷から一掃され、いくさを好み民を顧みない愚か者たちが将軍に阿り利権を貪るだろう。アシルには何も出来まい。奴はただの自尊心の塊……将軍がおべっかを忘れさえせねば、やがては己の頭で思考する事も忘れ、奴の言いなりになってゆくお飾りの皇帝となり果てよう。そうなれば、おまえの父上が愛し守ろうとした民は不幸になるばかり。フィエラ公の遺志を継ぐためにも、そなたは将軍を倒さねばならぬ」


 そう言ってアルト皇子はくぐもった笑い声を洩らし、


「おまえは暫くこの家に潜み、己を変える特訓をするのだ。わたしはそろそろ宮廷に出仕せねばならぬが、夜には戻る。そうしたら酒場に連れて行ってやろう。流れの踊り娘が集まっているから、学ぶのだ。取り澄ました貴族の男しか知らないおまえにはさぞ刺激的だろうが……目にしたものをすべて吸収し、己に取り込むのだ。わたしもそうだった。宮廷道化師になりたいと言った時、最初はフィエラ公に散々反対され……いずれアシルの代になれば理の解るお方故に事情を汲んで皇家の者として表に出られる日も来るだろうと仰っていたのだが、理が解る男かどうかは今回のことでよく器が測れたな。とにかく、わたしはあの方を困らせぬよう、ただただ肉親の傍にいたいのだと言って説き伏せたのだ。いつか表に出られる日が来れば、仮面を外せば道化師とは他人になれるからと。そうして、今もその日を待っている……アシルと和解する気はなく、奴を皇太子の座から引きずり下ろして自らがとって代わるつもりだがな」

「でも……殿下」


 と私は思わず疑問を口にした。


「殿下を不遇に置いたのは皇帝陛下ご夫妻でしょう? 赤子だったアシルさまは何もご存知ないのでは?」


 私自身は、いまはもう、アシルへの愛は失せ、最後に見た『その顔にも見飽きた、さっさと逝け』という冷たい言葉と蔑みを浮かべた表情しか思い出せず、その後の顛末を考えれば憎いという気持ちしか湧かない。でもこのひとは……何故、自分を捨てた親の事はともかく、双子のきょうだいの事までそんなに憎むのだろう、と不思議に感じたのだ。


「奴は何も知ろうとしない……与えられた地位をわがものとする事を当たり前と思う一方、それに付き添う義務……国の現状を知り、行動するという事をしようとしない。もう子どもではないのだから、自分で考え、病床の父皇帝に代わって宰相や将軍に意見する事も出来る立場なのに、奴の興味は舞踏会や狩りなどの遊び、或いは式典でいかに威厳を見せるかという事ばかりだ! そんな奴の下に立てるものか、同じ生まれなのに。かといって、奴が悔いて素直にわたしの下になるとも思えない。争う運命のもとにわたしたちは双子として生まれたのだ。ある意味、不吉と言う予言は当たっているのかも知れぬな。だがわたしは皇帝となって我が国を良き方向へ導きたいのだ。セティウスを宰相として父の路線を受け継いでもらい、武功派は排除する。アシルには出来ない。なのに分不相応な地位を我が物にしている……憎む理由はこれで充分と思わないか。もう二年も奴の傍にいる。奴の底は知れている」


 雄弁なアルト皇子の言葉に、私は何も返す言葉がなかった。


 こうして……この日の夜から、私は生まれ変わる修行を始めたのだった。

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