第4話・公爵令嬢の死

「セレナ……おまえを護ってやれなかったわたしを許しておくれ。世界中がおまえを浮気女と謗ろうとも、わたしだけはおまえを信じているよ」

「お父さま……」


 私は、牢の中で、お父さまとの最後の面会を許されていた。お父さまはやつれ果てて老け込んでしまわれたように見えた。すべて、私のせい……。私は泣きながら、


「ごめんなさい、お父さま。全ては、わたくしが皇太子殿下から絶対の信用を勝ち得ていなかったから起こった事ですわ……フィエラ家の名に傷をつけて、なんとお詫びしたらよいのか……」

「そんな事はない、おまえはよく頑張っていたよ。家の事など気にしなくてよい。こんな若い身空で何故こんな……」


 お父さまは私のお母さま似の金の髪を優しく撫でながらも涙を流していらっしゃった。


「セレナ、殿下を恨んではいけないよ。殿下はその生い立ちから、無償の愛を知らないお方。そして裏切りにより、命や地位を失う危険に常に晒されてこられた。いつか、おまえの潔白、おまえの愛を知り、後悔なさるだろう」

「わたくしは本当に殿下だけを……なのに」

「解っている、解っている……! だけど、恨みを抱いて死ねば、おまえの魂は死してもその恨みに繋がれる。だから、清らかな心で……」


 けれど、この時衛兵が、


「お時間です」


 と容赦もなく、最後の対話を打ち切った。


「お父さま、お兄さまは……?」

「連日、おまえの無実を証明すると飛び回って……まだ戻らない……間に合えば良いが」


 そう言ってお父さまは涙を拭おうともせずに私をぎゅっと抱きしめて、


「わたしの可愛いセレナ、わたしの宝……きっと天の国でお母さまに会える」


 と仰った。


―――――


 あの修道院の日から、僅か一週間。

 皇妃陛下と皇太子殿下の協議の末、私は服毒による死を賜った。処刑ではなく自死、有難く思え、と言われても、有難いなんて思える筈もない。何の咎もないのに、私は死ななければならない。

 おまけに、あのヴェノマニという男は脱獄したという。私を罠に嵌めた者はのうのうと生き延びて、私だけが死なねばならない。

 恐らく、あの女、シェルリアが手引きして逃がしたに違いない。最初からこうなる予定だったのだろう。あの男は、狂ってもおらず馬鹿でもなく、巧妙に罠を張ったのだ。お兄さまは、絶対に見つけ出して処刑台に送ると仰っておられたけれど、今頃は国外かも知れない。


 この一週間、お父さまは方々を回って助命嘆願書を、お兄さまは無実の証明を――私がシェルリアの館へなど行った事もないという――、寝る間もなく駆けまわって集めようとして下さった。

 私もお父さまも皆に好かれていた。助命嘆願書はたくさん集まった。皆、おかしいと感じてはくれているのだ……私とシェルリアは元々挨拶程度の間柄だし、シェルリアは評判が良いとはいえない他国者。なのに何故その従僕なんかと? 密会するならば、私が出向くよりも男が来ればいい……シェルリアが目撃したという話を作る為のでっちあげでは、と。そして、わざわざ殿下の前で男が自ら罪を、まるで手柄でもあるかのように吹聴した事、やましい事があるにしては、検査の前の私の態度は怯えてもいなかった事……少し考えれば解る事だ。

 だけど、殿下は頑なだった。これまでの私の献身はすべて演技で、陰ではあんなつまらない男と逢瀬を重ねていたのだと思うと、理性は吹き飛んでしまうらしい。そして、皇妃陛下は、息子が可愛いばかりのお方。そなたの好きになさいと、今まで私を可愛がってきて下さっていたのに、殿下を止めようとはなさらない。机に山と積まれた助命嘆願書は、殿下の心ひとつで、無駄な紙くずと成り果てた。

 証明の方は殆ど成果がなかった……シェルリアの館の使用人は皆、女主人を恐れ、何も喋らなかった。ああ、それでも、セティウスお兄さまにもう一度会いたい……。


 だけど、衛兵はやや同情するような表情を浮かべながらも、職務をまっとうしようとする。促されて私は立ち上がる。


「セレナ……ああ」


 お父さまの呻き声。でも、涙を拭った私は、もう泣かない、と心を決める。お父さまは恨むなと仰るけれど、それはとても難しい。ならばせめて、フィエラ家の娘としての誇りをまっとうし、毅然として、無実の罪に命を捧げなければならない私の姿を、殿下の胸に焼き付けようと思ったのだ。私はあの誕生日パーティの為に作った白銀のドレスを着て、金の髪を結い上げている。大丈夫、怖くない……お母さまのところへ行くだけなのだから。


 両脇を衛兵に挟まれて、私の眼の前で王宮の広間の大扉が開く。中には、喪服を着た要人たちが待っている。正面には、アシル=クロードと皇妃陛下。私の後ろからお父さまが入って来て、大扉は重い音を立てて閉められた。

 アシルの傍には何故かあの女、シェルリアがいる。あの女だけは喪服を着ていない。私のパーティの時には黒いドレスだったのに、今は真紅の華やかなフリル。場違い……なのに、その姿は、沈んだ場に添えられた手向けの美しい薔薇のようで。


 憎い、憎い、憎い……!!


 私の手枷がゆっくりと外される。私は、あの女への憎しみで壊れてしまいそう。何故アシルの隣にいるの。そこは、私の居場所だったのに!

 駄目だ、私は清らかな安らかな気持ちで逝く事なんて出来ない。あの女と同じ空間では!


「何故あの女がいるのです? この儀式は帝国の関係者の方々にお見届け頂く為のもの。異国の伯爵令嬢が、何故」

「彼女は功労者だから、特別に私が招いたのだ」


 と、アシル。


「功労者ですって?」

「ああ。自分が裁かれる危険もあったというのに、我が帝国の為に身を挺して真実を明らかにしてくれた。貴様に裏切られ、何もかもに不信に陥っていたわたしを甲斐甲斐しく慰めてくれた。これぞ無償の愛。貴様は知らずに死んでいくのだがな」


 やはり。やはりあの女は、アシルを我が物にする為に、私を……。

 取り乱し、騒ぎ立ててあの女を罵りたい衝動を辛くも耐える。いくらそうしたって、何も変わらないし、自分の死に様が醜くなるだけだから。


「殿下」

「なんだ。今更謝罪しても遅いが、聞くくらいは聞いてやるぞ」

「わたくしが謝罪するのは、殿下がお考えのような事ではなく、殿下の無償の信用を得る事が出来なかったわたくしの力不足についてですわ。そして、殿下の為に生きたこの17年の生涯の終わりに、殿下の為にひとつだけ申し上げたいのです。この先、もうわたくしは殿下のお役に立つ事は出来ません。ですがどうか殿下、真実をご自分の心の目で見抜くお力をお持ちになって下さいまし……そして歴史に残る素晴らしき皇帝陛下となられますよう、願っておりますわ」


 半分は本当の気持ち、半分は飾り……。立派な皇妃となるべく努めてきた気持ちはそう簡単に消えるものではない。だから、彼には後からでもいいから過ちを知り、これを生涯忘れぬ反省と成して、立派な皇帝になって欲しいという気持ちもある。だけど、同時に、それは悔しいと……私の命は彼の成長の為の捨て石でしかないのかと、それくらいならいっそ、彼も愚かなまま自滅してしまえばいいと呪う気持ちも胸の奥からどす黒く湧き上がる。けれど、私の健気な言葉に、私の無実を信じてくれているのか、幾つかの啜り泣きが室内に湧く。


 しかし、この私の願いも、今の彼には侮辱ととられたようだった。私が己の罪を認めず、真実を見抜けるようになって欲しいと言ったことに怒りを覚えたらしかった。


「この場に及んでもしらを切る気なのか。真実は誰の目にも明らかになったではないか!」


 と叫ぶと、紫のマントを翻して私に近づき、小姓の持った盆からグラスをとる……私に与えられる、毒入りのワインが入ったグラス……。


「取り澄まして平気で嘘を吐くその顔にも見飽きた。さあ、さっさと逝け」


 グラスを私に突きつける。


「ああ、殿下、お慈悲を……」


 お父さまの呻き。でも私は振り返らなかった。お父さまのお顔を見たら、涙が零れてしまいそうだったから。


 この時、もうひとつ、女性の声が響いた。


「セレナ! わたくしは貴女を信じているわ! ずっと忘れないわ!」


 ミーリーン……私の親友。誰もが皇家怖さに口をつぐんでいるというのに、この、普段は内気な親友は、最後の手向けの言葉をくれた。……すぐに隣にいた父親に口を押えられてしまったようだったけれど。


(……ありがとう、ミーリーン……)


 私は、手が震えないよう努力しながら、そのグラスを受け取った。さようなら、お父さま。さようなら、お兄さま……もう一度お会いしたかったのに。


「アシル=クロード殿下の真なる妃となる筈だったわたくしは、誠実のあかしとして、殿下のご要望に従い、在りもせぬ罪を飲みましょう……」


 そう言い放ち、グラスの中の液体を一気に飲み干した……。


 息が出来ない。身体が熱い。


「がはっ……」


 私は血を吐き、喉を押さえる。グラスは床に落ちて割れたけれど、その音も聞こえない。ただ、お父さまが「セレナ、セレナ!」と悲痛に叫ぶ声だけが耳に残る。

 アシルも実際に私の苦しみようを目にして、思わず後ずさったようだった。私は膝を折り、床に倒れ伏した。


 最後に微かに聞こえたのは、大扉を開く音。


「待って下さい! 妹の無実の証明がいま!」


 おにいさまの、声……。きて、くださった……。

 そのまま、私の意識は闇におちた。

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