第3話・屈辱と断罪

 修道院、神の像の御前で『検査』は行われた。薄いレースのカーテンに囲われた空間で。

 とてもよく晴れた日で、正面のステンドグラスがきらきらと美しく輝いていたのを何故かよく覚えている。私は清楚を強調すべく白いドレスを纏っていた。

 周囲の席には立会人たちが詰めている。勿論、アシルも、お父さまやお兄さまも。そしてあの女と男も。


『可哀相に、セレナ。わたしは絶対にあの女性たちを許しはしないよ』

『そうだよセレナ。あの男はぼくが処刑台に立たせてやる』


 館を出る前にかけて下さった、お父さまとセティウスお兄さまの言葉だけが私の心の拠り所だった。修道院に入る時にアシルと顔を合わせたけれど、彼は挨拶をし、『すぐ終わるよ』と言ってくれただけだった。親友のミーリーンは、女同士、私の悔しさと恥ずかしさを理解して、涙ぐみ、『殿下もきっと後で謝ってくださるわよ。それを考えていればいいわ』と励ましてくれたけれど……。


『皇太子殿下ももう少し取り計らって下さればよいものを……このように公開の形にせずとも。皇家の血を引く婚約者のそなたを、あんな下賤な男の言葉ひとつで……』


 お父さまは不満を露わになさっていた。


『い、いいんですわ、全て明らかになりさえすれば……』


 そう答えたものの、私の気持ちはお父さまと同じ。中が見える訳ではなくとも、カーテン越しの影で何が行われているのか周囲には分かってしまう。私は羞恥に耐えながら、目を閉じて院長先生にされるがままになるしかなかった。


 やがて院長先生は黙って私の体勢を元に戻して下さる。てっきり労わりの言葉を頂けると思っていたのに、院長先生は無言だった。

 帝立修道院の院長先生は、元は侯爵夫人であられたけれど、夫君とお子様を相次いで亡くし、信仰の道に入られた方。お歳は60歳くらいだけれど、とてもお元気で、修道院の他に、私費で建設された孤児院の院長もなさっていた。私は日頃から、この方をとても尊敬していた。

 でも、この日は先生の様子はいつもと違っていた。最初から表情は硬く、私の顔をろくに見ようともなさらない。


「先生……?」


 私が目を開け、声をかけると、先生は何故か涙ぐんでおられるように見えた。光の反射だろうか、と思った時、先生は小さな声を震わせながら、


「おお、どうかお許し下さい……」


 と呟かれた。


 どういう意味なのか尋ねる前に、院長先生はカーテンの外へ出た。私は不思議に思いながら、身なりを整えてその後に続く。何しろ、私は私自身の潔白を知っているのだから、この時まで、何ひとつ怖いとは思っていなかった。

 詰めかけた人々の好奇の目……いくつものそれに囲まれても、何も怯むことはない。忌まわしい時間は終わり、院長先生は愚かしい告発を無にして下さる。私を辱めたあの女は、何と弁明する気だろう? 私はむしろ誇りを示そうと胸を張り、心持ち顎を上げて立った。


「どうなんですか、結果は?」


 とアシルが問うた。落ち着こうと、努力しているような響きが微かに感じられた。


 院長先生は真っ青な顔で、暫く言葉を探すように宙を見つめておられたけれど、やがて絞り出すような声で仰った……。


「セレスティーナさまは、清らかなおとめではありません……。妊娠の兆候もみられます……」


―――――


 そこから先の記憶は混沌としている。アシルの怒号、「婚約破棄だ、死んでしまえ」という言葉。何かの間違いだと抗議するお父さまとお兄さまの声。他の人々の混乱した声、声……。

 そして。あの女の高笑い。


「ほら、わたくしの言った通りでしょう!」


 私は呆けたように立ち尽くしていたけれど、その言葉を聞いて少しだけ我に返り、


「何故……何故そんな事を仰るのです、院長先生?! わたくしがきよらかである事はわたくし自身が知っています!」


 と叫んだ。だけど、院長先生は私の視線を避けるように俯いてしまう。


 つかつかとアシルが私に歩み寄ったかと思うと、容赦のない平手打ちを浴びせてきた。そんな暴力を受けた事もない私は避ける間もなく床に身を打ち付けた。


「やめて下さいよ、お腹の子に障るじゃないですか」


 あの忌まわしい男の声。わざとアシルの怒りを煽ろうとしているとしか思えない。果たしてアシルは、


「何が腹の子だ! セレスティーナ、おまえを信じていたのに、よくも裏切ったな。しかも、こんな下賤な男と……。孕んだ身でどうするつもりだったんだ! こいつの子を俺の次に皇帝にしようとでも思っていたのか!」

「孕んだなんて……酷い、わたくしは何もしていない! あなただけを愛し、誰にもこの身を許した事などありません!」

「何もしていなくて、何故『きよらかでない』と言われるのか?! 神の御前で行われた検査が間違いであったとでも?!」

「そうとしか思えないわ!」

「保身の為に聖職者を侮辱するか。だが、何を言っても無駄だ。おまえとの婚約は破棄だ。腹の子共々死んでしまえ。勿論、その男もだ」

「こ、皇太子殿下! 私はただセレスティーナさまに誘われただけで……!」


 馬鹿な男の声。いったいなんで、私と結婚出来るなどと思ったのだろう? 皇太子殿下の婚約者を妊娠させて、許される訳がないじゃない……。


「殿下、お待ちください! これは何かの間違いです。セレスティーナの長年の献身をどうか信じてやって下さい。こんな馬鹿げた過ちを犯す筈がありません! 今一度、他の方に検査を……」


 お父さまの声。だけどアシルは、


「宰相、我が娘可愛さに何を言い出すやら。信心深さで知られるそなたまで、聖職者が間違えた判定をしたなどと馬鹿げた事を申すか。いいや、もう決めたのだ。わたしは裏切り者を許さぬ。セレスティーナには死を。そなたは宰相の任を解き、蟄居を命じる」

「恐れながら殿下、それを決める権限は皇帝陛下にあられるのでは?」


 お兄さまの声。だけどアシルは、


「父上は病重く、このような醜聞はお耳に入れたくない。まあいい、母上と相談し、フィエラ公爵家の行く末は考えよう」


 と言い放つ。


 そんな……覚えのない罪を着せられた上に、家にまで影響が? お父さまが罷免? 国の為、休む間もなく尽くして来られたのに!


 おまけにあの女がお父さまに歩み寄り、


「どうでしょう? わたくしを尻軽と仰ったこと、謝罪して頂けるんですよね?」


 などと言う。お父さまは暫し黙っていたけれど、


「……セレスティーナの罪を認めた訳ではないが、貴女を侮辱した事は謝罪する」


 と、頭を下げられた……。


 私は気を失ってしまい、その後のことはわからない。

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