第2話・祝いの日の告発(下)
この愚か者の言う事など耳に入れたくもないのだけど。だけど……男は、想像を遥かに超えるとんでもない事を言ってきたのだった。
「セレナのお腹の中に。セレナは私の子どもを身籠っているのですから」
「は?」
私はあまりの驚きにそれしか言えなかった。狂っているとは思っていたけれど、まさかここまでとは……。何故私が、初めて会う下賤な男の子どもなんか。そもそも、もちろん私は、妊娠に至る行為については、知識としてしか知らない。
けれども、この具体的な言葉は、私にとってどれ程荒唐無稽であろうとも、それを聞いた人のこころを粟立てたようだった。
「ば……ばかな事を申すな。不敬罪で処刑するぞ!」
アシルはそう言ったけれど、その顔は引きつっている。さっきまでの、私への完璧な信用に、まさか、揺らぎでも? そんな事はないわよね……と私は思った。
しかし、シェルリアは、追い打ちをかけるかのように、
「証拠もなく、人を処刑なさるのですか? いくら皇太子殿下とはいえ、帝国とは随分不平等ですのね」
「私の妻になるセシリーナに対し許されぬ卑猥な暴言を吐く事は、死に値する罪だ」
「だから、暴言だという証拠は持っていらっしゃるの? 本当だったら、どうなさるおつもり?」
ここで私は頭にきて、
「いい加減になさい。余程わたくしを追い落としたいようですけど、何故このわたくしが、そんな会った事もない卑しい男の子どもなど身籠るというのですか。その男の口を塞いでおかないと、罪は貴女の身にも及びますことよ」
「貴女さまも、もとは気高いお心をお持ちの公爵令嬢なら、言い逃れは止めて素直にお認めになったら?」
「何故わたくしが、してもいない事を認めなければならないの! その男とは本当に会った事もありません。神にかけて」
「神にかけて、と仰いましたわね。ならば、神の前でその身の潔白を証明して下さい。潔白が証明されればその時は、わたくしは皇家の一員となられるお方を貶めた者として、罪を認めましょう」
「潔白?」
「皇立修道院で検査をお受けになる事よ。我が国では、未婚の娘にこうした疑いがかけられた時に行われますわ」
「検査……」
私は青ざめた。勿論、やましい事があるからではない。処女検査なるものがある事は知っていたけれど、何故私がそんな辱めを受けるようなことを。
「そんな事は嫌です! 何故わたくしが。ねえ殿下、本当にわたくしには何一つ身に覚えのないこと。こんなひとの言いなりに、わたくしはそんな検査を受けなくてはならないのですか?!」
大丈夫、信じている、愛している。嫌な思いなんかさせないから……そんな言葉を期待していた。だけどアシルは一歩下がり。
「勿論きみを信じてはいる。そんな愚かな真似を仕出かす筈はないと……。だが、潔白なら、それを証明してみせれば、誰にも恥じる事もなくなるだろう。潔白が証明されれば、シェルリア嬢とその男はきみの好きなように始末すればいい。彼女たちもその覚悟があって言っているのだろうから」
アシルは私に負けない程に青ざめていた。それは、私とは違い、私がもしも有罪だったらどうしてくれようと、恐れと怒りの感情のようにも見えた。
「そんな!」
「検査をするのは修道院の女院長だろう。女性同士だからそんなに嫌な事でもないのではないか?」
嫌に決まっているじゃないの、勿論男なんて言語道断だけど、同性にだってそんな事をされたくない。たとえ尊敬する院長先生でも。だけど、男の人にはこの気持ちは解らないのだろうか。
くすっとシェルリアが笑う。
「解らないの? 殿下はもう、貴女を疑ってらっしゃるのよ。検査が嫌なら、今ここで全部告白してしまえばいいではないの」
「何を馬鹿な事を。ありもしない告白なんて。いいわ……殿下が受けよと仰るなら、わたくしはそれに従いましょう。潔白が明らかになった時、貴女はどうするお心算かしら!」
―――――
「勿論、ハルバードから来られた女性は国外追放……卑しい男は処刑を。そうして頂けるでしょうね?」
ここで別の声がかかった。今まで事の成り行きを見守っていたらしいお父さまが、ゆっくりと近づいていらっしゃった。
「フィエラ公爵家の名に傷をつけんと企み、皇家の血を引く我が娘セレスティーナへの侮辱的な告発。わたしは娘を無条件に信じています。本当は、いまこの場で、この不埒な輩をともに成敗してやりたいくらいです」
「む……フィエラ公、確かにそなたの言う通りだが、一応、王国からの客人である以上、無条件に成敗する訳にもいかぬ。大丈夫だ、セレナの身の証が立てば、この件は正式に王国へ抗議しよう」
青いびろうどのパーティ服を纏ったお父さまはまだ40歳過ぎ、すらりとして凛々しく若々しく、私の自慢のお父さまだった。皇家への発言力も強い宰相。そのお父さまが、黒い瞳に静かな怒りの炎を宿してシェルリアと男を見据えると、さすがに二人もやや怯んだ様子を見せたが、すぐに気を持ち直したらしく、
「まあ、宰相閣下。人間、誰にでも過ちはありますわ。まして恋の情熱は、周囲から見れば如何に愚かしくとも、時に、どんな優れた方をもとんでもない過ちに誘う事もありますのよ」
「娘の気性はわたしにも亡き妻にも似ています。わたしとて、恋の情熱の事など今更年若い貴女に説かれずとも解ります。娘は皇太子殿下ただお一人をお慕いしています。貴女のような尻軽と一緒にしないで頂きたい」
お父さまの眼は冷たいまま。一昨年、病でお母さまを亡くされて、いくつも再婚話があったのに、お父さまは我が妻は生涯ただひとり、と独り身を貫く決意をされていたのだ。
「まあ、尻軽だなんて。もしお嬢様がそうであると明らかになった暁には、謝罪を求めますわ」
「そんな時は来ませんが、もしもそうなれば、そうするとお約束します」
こうして、ようやく性悪女と狂った従僕は去っていったけれど、私の誕生日パーティは滅茶苦茶になった。誰もが私を信じて同情の言葉をかけてくれたけれど――シェルリアの取り巻きでさえ、彼女の見間違いでしょうと言ってくれた――、私は気分不良を訴えて自室に退き、パーティはお開きになった。
私は自室で大泣きした。アシルに慰めて欲しかったのに、彼は、『後に会議の予定が入っているから、済まない』と言い残して帰ってしまった。ミーリーンが、傍にいようと私に同情し泣きながら言ってくれたけれど、私はひとりでいたいと断ってしまった。
なんて酷い目に遭うのだろう、と私はこの時絶望的な気分でいた。いくら潔白が証明されても、穢された誇りは戻らない、と。
だけど、こんな事は、それから起こる悲劇のほんの序章に過ぎなかった、とすぐに私は知る事になるのだった。
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