第一部

第1話・祝いの日の告発(上)

 私はかつて公爵令嬢セレスティーナ・フィエラと呼ばれた者。

 母は皇家の姫で、つまり私も皇家の血をひいている。最高位の貴族の姫として私は幼い頃に皇太子の婚約者として立ち、以来ずっと未来の皇妃として大変な努力をして研鑽してきた。

 だけど、あの女が全てを叩き壊してしまった。あの女――隣国ハルバード王国から、宮廷作法を学ぶ為にと称し、伯爵令嬢シェルリア・ミロスと名乗った女が現れてから、全てが狂ってしまったのだ。

 最初は宮廷の多くの貴公子が、そして遂には、幼い頃から慕い、そんな私に優しい愛情を返してくれていると信じていた皇太子アシル=クロードが、美貌の魔姫の虜となっていったのだ。


 忘れもしない、私の17歳の誕生日パーティでの断罪。

 あの日までは、アシルは、シェルリアの美貌にもさほど興味も持っていない様子だった。未来の妻である私を重んじ、いつも優しく紳士然とした微笑みをくれて、私も彼を愛していた……いまとなっては、あれが愛だったのかどうかよく解らないけれど、あの頃は、自分ではそう思っていたのだ。

 だけど、あの日、シェルリアは、招んでもいないのに私のパーティに現れた。煌びやかな宝石を散りばめた黒いドレスは、私の新調の明るい白銀のサテンのドレスとは対照的で、見るなり本能的に私は不吉を感じたけれど、男たちは招かれざる客とは知らず、艶やかな黒髪が良く映えるドレスだと彼女を褒めたたえていた。


「セレナ、シェルリアを招待していたのか。いつの間にそんなに親しくなったんだい?」


 傍らのアシルが機嫌よく問いかけてきたけれど、私は小首を傾げて、


「招待したつもりはないのですけれど……間違えてリストに載っていたのでしょうか。まあ、折角いらして下さったのですから、この機会に親しくなれたら、と思いますわ」


 ひとの婚約者の心を次々奪ってゆくというシェルリアの悪い噂を聞いていなかった訳ではないけれど、それよりも、それを恨んだ令嬢たちから、他国者と苛められているという話の方が気になっていた。ひとの心は移ろうもの、婚約者を奪われたのは自分の落ち度でしょうに、逆恨みして苛めるなんておかしいと、貴族令嬢の頂点である私が庇護してあげたいと、今思えば愚かなことを思っていた矢先でもあった。


 シェルリアは紅い唇に妖艶な笑みを浮かべて私たちの方へやって来た。私もアシルも笑顔で彼女が挨拶してくるのを待った。彼女はまずしとやかにアシル皇太子に完璧な淑女の礼をして、それから、


「お誕生日おめでとうございます、セレスティーナさま」


 と私に向き直った。


「わざわざご足労頂いてありがとう、シェルリア嬢。どうぞパーティを楽しんで下さいね」


 と私はにこやかに返した。


「ええ、楽しませて頂きますわ。そして、実はセレスティーナさまに、プレゼントを持参しましたのよ」

「まあ、嬉しいわ、なんでしょうか」


 この時、アシルが、


「セレナ、彼女の後ろにいるのは誰だい? 宮廷で見た事のない顔だが……」


 と囁きかけてきた。


「さあ……わたくしも全く存じ上げない方で」


 顔立ちや髪の色などから、どうやらシェルリアと同じ王国の人だろうとは思った。けれど、私の誕生日パーティに私の知らない人を同伴するとはどういう事だろう? やはり「王国の方は礼儀を判っていない」という噂は本当なのかしら? などと考えていた時。


 全てを私から奪うきっかけとなる一言が、彼女から放たれる。


「彼ですわ。彼をわたくしの従僕である事から解放して、貴女さまに差し上げます。嬉しいでしょう? うふふ、もう隠れて逢わずに済むのですもの」

「……は?」


 王国人の常識は我が国のものとは違うのだろうか。会った事もない男性を、差し上げます、って? 隠れて逢わずに済む、って? 会った事もないのに?


「あの……意味がよく……」

「セレナ! ようやくお嬢様からお許しが貰えたよ! きみも早く皇太子殿下にお許しを貰って自由の身におなり! そうしたら結婚だ!」


 私の疑問を遮ったのは、その見知らぬ男性。伯爵令嬢の従僕の分際で、なんという口のききよう。それにしても、この男は頭がおかしいのだろうか? 何故私がこの男なんかと?

 呆気にとられてものも言えないでいると、男はなんと私を抱擁しようとしてきた。


「ぶ……無礼者っ!」


 私は思わず男の頬を平手打ちし、シェルリアに向き直った。


「いったいこれは何の茶番ですの?! どういうおつもり、こんな卑しい男が贈り物とは? 王国ではこれがユーモアで通るのですか? わたくしは大変不愉快です。さっさとこの従僕を連れてお帰り下さいませ!」

「まあ……折角びっくりさせて喜んで頂こうと思っていましたのに」

「こんな無礼なびっくりは要りませんわ。やはり貴女はもう少し宮廷作法をしっかり学ばれた方がよろしいようですね」

「そんなに不作法でしたでしょうか。本当の事なのに? 貴女様はただお恥ずかしいだけなのでは?」

「本当の事、とはどういう意味ですか? わたくしはこんな男とは会った事さえありません。貴女の従僕は頭がおかしくて、その妄想を貴女も信じておられる、という事かしら?」


 言っているうちに、ああなるほど、そうに違いない、と自分でも思えてきた。だけれど、それでも失礼極まりない話。いずれは皇妃となる私が、こんな下賤な男と結婚、だなんて、シェルリア自身も頭がおかしいのだろうか、と思った。


 このへんてこな言い争いに、広間の客も談笑を止めて注目し始めている。折角の誕生日パーティで招待してもいない人間から酷い侮辱を受けたと感じた私は苛立った。

 その私の苛立ちはアシルも共有したようで、私の肩に手を置いて、


「シェルリア嬢。わたしの婚約者に対してなんという侮辱を。王国では、伯爵家の娘が、いずれ王家の一員となる目上に向かって、そのような物言いが許されるのですか? そうであるならば、わたしはハルバード王国の程度に失望を感じるが……。とにかく、我が帝国ではそうした事は許されない。目出度いパーティの席でこれ以上の口論もよろしくないので、まだ言いたい事はあるが、とにかくその男を連れてお帰り願えないか」


 と冷静に対応してくれた。私はアシルを頼もしく思い、苛立ちも少し薄れる気がした。


 けれど、シェルリアは立ち去ろうとしない。


「皇太子殿下。わたくしは、お二人の為を思ってこのように致しましたのに、話をお聞きにもならずに一方的に追い返そうなどとは、わたくしの方こそ、帝国の程度に失望致しましたわ」

「なにっ!!」


 アシルの貌に怒色が走る。広間の人々は大きくざわめいた。この帝国の第一帝位継承権者たるアシル=クロード皇太子に面と向かって、『程度に失望した』などと……。


「貴女の話とやらは、その卑しい狂った男を我が婚約者へ貢ごうという事なのだろう。先ほどの言動だけでも充分に、不敬罪として投獄に値するが、目出度い席ゆえ敢えて座興として見逃してやろうというセレナと私の温情を無にするつもりか」

「このヴェノマニは卑しくとも狂ってはいませんわ。わたくしもこの目で見ましたもの。我が館の中庭で深夜にセレスティーナさまが忍んで来られて、お二人でヴェノマニの小屋に入ってゆくのを」

「……そなた、自分が何を言っているのか、本当に解っているのだろうな?」

「解っておりますわ。未来の皇妃の身でありながら、下賤な男と軽々しく情事に溺れるような令嬢は皇太子殿下には相応しくない……だから、セレスティーナさまにはヴェノマニを差し上げて、ご自由にされればよいと……こんな事が明るみにされて、まさかそのまま殿下の婚約者の座に居座れるとは、ご聡明なセレスティーナさまとて思いはなさらないでしょうから」


 この女は少なくとも狂ってはいない。明確な悪意を持って穢らわしい罪、全く覚えもない罪を私に被せようとしている……。一体何のために? まさか私に代わってアシルの婚約者の座を乗っ取ろうとでもいうつもりなのだろうか? 


『あの女は、たくさんの貴公子を虜にして、その婚約者である令嬢を泣かせてきた魔姫ですのよ』


 噂話を思い出す。私の親友のミーリーン……定められた侯爵家の子息との縁談が破れて、彼女は恥晒しと父御に酷く罵られたという。でもシェルリアと彼への恨み言はなく、自分が至らなかったせいだと言って……。だけど実はこうして嘘をでっちあげて彼の心をミーリーンから引き離したのかと思うと、私の胸にまた激しく怒りが湧いた。……だけど、そこらの貴族の子息と皇太子殿下を同じように操れると本気で思っているのだろうか?


「まさか、何の証拠もなく貴女の証言だけでそんな告発をなさって、御身が無事で済むとお思いですの? それともこれはハルバードの陰謀? もしくは我が国とハルバードとの関係を危うくする為の他国の画策かしら? 取り調べが御身に及びますことよ」


 腹立たしい……折角のパーティが台無し。一刻も早く消えて欲しい。


「シェルリア嬢。セレスティーナへの侮辱は私への侮辱に等しい。屋敷で謹慎していたまえ。後ほど取り調べ官を遣わす。逃げようなどとは思わぬ事ぞ」


 とアシルも同調してくれる。


 だけど、この時、ヴェノマニという男が身の程知らずにも口を挟んできた。


「証拠? 証拠は目の前にありますよ」

「目の前とは?」

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