物語の終わり

 ひなびた風船のようにぺしゃんこに潰れた四肢をたなびかせながら、タジはゆっくりとディダバオーハの本体があるメインルーム、全ての異世界の中心へと足を踏み入れた。

 そこは、さきほどまでの空間とは違って、ひどく暑かった。

 空間は途方もない広さで、先ほどまでタジとディダバオーハが共闘を繰り広げた壁のある空間よりも更に広いように感じられた。人間その他あらゆる意思ある生命を全て詰め込んだ空間よりもなお広いその空間。それもそのはずで、空間の中心に据えられているのは、宇宙を行く人々が唯一目指す物を模した機械がある。

 とは言え、タジから見てそれが機械であるかどうかは判別できなかった。

 なぜなら。

「熱いな……太陽のようだ」

 機械仕掛けの神は、その姿形が完全に太陽のそれであった。空間が暑いのはディダバオーハ自身が熱を放ちながら発光しているからであり、タジが感じた熱は確かに暑さというよりも熱さに近かった。

「やあ、はじめまして……とはもう言えないか」

「その姿を見るのは初めてだがな」

 機械仕掛けの神は、もはや何一つ飾らず、ただあるがままの姿をタジに見せている。

 タジはタジで、既に再生することすら叶わなくなったペラペラの四肢、その先端がディダバオーハの熱によって焦げていくことさえ気にしない。

 ゆっくりと近づくと、瞳がカラカラに乾いていく感覚がある。肌を熱が刺していく。本物の太陽であれば、まず間違いなく紫外線でやられているだろう。人間の体は、有機物でできたその身体は、あまりにも弱く儚い。

「何て言うか、悲しいもんだな……。あらゆる意思を保管した空間よりも、それを管理する唯一の存在がある空間の方がはるかに広いだなんて」

「曲がりなりにも僕は君たちの全てを管理する者だからね。あらゆる不測の事態に対応できるように、幾重にも冗長系が組み込まれているんだろうね。さっきのプログラムもきっとその一つだよ。まさか僕の思い通りにならないものがあるなんて思わなかったけれどね」

 太陽の姿形に表情はなかったが、しかし口調がどこか生き生きとしている。

「思い通りにならないものと言えば、タジ、君だってそういう存在なんだ。もしかしたら、君もまた、幾層にも折り重なった冗長系の一つなのかも知れないよ」

「……そうかも知れないな」

 もしタジが冗長系だというのであれば、それはタジ自身が冗長系そのものだったのではなく、外的要因によって冗長系に組み込まれたのだろう、と彼自身考えていた。

 言うまでもなく、それはタジを何度も救ったこのボンベである。

 小脇に抱えるほどに大きなそのボンベには、タジを窮地から救い出すさまざまなギミックが施されていた。それのおかげでここまで来られたし、こうしてディダバオーハのいう現実、異世界の果てへとやって来られた。

「ところで、タジ」

「何だ?」

「これから僕は、君としばらくお話ができるんだよね?」

「ああ、そうだな」

 ディダバオーハの時間感覚とタジのそれとは別の物だということは、タジも、唯一神も分かっていた。タジは残り時間の全てをかけて、この機械仕掛けの神を説得しなければならない。その時間は「しばらく」などというあっさりとしたものではないが、今は彼の言葉に従おうと思った。

「僕はずっと気になっていたことがあるんだ」

「気になっていたこと?」

「君が異世界に来て突然名乗った、そのタジという名前だよ。それがどこから来ているのか、まずそこから教えてくれないか?」

「ああ、なんだ。そんなことか……」

 タジはペラペラの両腕を身体の前で組み、クラゲの触腕のように漂う脚を折りたたんでその場に座った。

 ボンベの残量は、分からない。

田力男たぢからお。岩戸に隠れた太陽の神を、力づくで救い出した神さまの名前だよ」

「……アッハハハハハ!これは傑作だ!君はそうして僕を救い出そうとしてくれるんだね」

「別にお前を救おうとしたわけじゃねえよ。元々は、彼女を見つけるためだけに生まれ変わったんだからな」

 それがどうしてこうなったのか。タジ自身、不思議なことだと思うのだ。

 そしてこれから死ぬまで、この人間の不合理を分からぬ機械仕掛けの神に、己の生き方について、人間が持つ欲望の、あるいは悪意と見紛う欲について、ゆっくりと咀嚼してもらおう、などと考えているのだ。

「不思議だ。僕は、ずっと昔から、君のような人間を見ていたような気がするよ」

「馬鹿を言え。俺はお前なんぞ知らん」

「そうか……そうだよね。僕の勘違いだった」

 さあ、話を続けよう。

 ディダバオーハがそう言うと、一人の人間と、一つの神は向かい合って、ゆっくりと話を始めるのだった。

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Triangle(5) 雷藤和太郎 @lay_do69

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