光の届かない場所 16
水の流れが、ぞうきんを絞るように、あるいは糸を拠って綱になるように、形を作っていく。
タジはその様子を一艘の小舟の上でのんびりと眺めていた。
透明な水が圧縮され、不透明度が増していく。骨ができ、肉ができ、表皮ができると、水流は一体の巨大な竜と化して、タジに相対した。
(まったく、キミには驚かされるよ)
頭の中に直接響いてくる声は、目の前で実体化したミレアタンのもの。彼が向ける頭は、正確には頭ではなく、目や鼻や口が模様として描かれた頭の模造品。生物ではなく、力の流れそのものであるから、そもそもこうして受肉するように実体化することこそが奇妙なのだ。
(ボクの牢獄を破るなんて、思っても見なかった。アレは確かに現実だっただろう?どこにも綻びなんてなかったはずだ)
シシーラの村と沢との往復は、ミレアタンをしてもやはり牢獄という認識だったらしい。ある時間帯を永遠に繰り返し、そこに閉じ込める。
迷路に見えるようで、出入口のなくなった一方通行の世界。それが、あの世界の真実だ。
ミレアタンは時間さえも操れるのだ。いや、操れるなどという言葉は彼の行動をあまりに矮小化している。子どもが積み木を積み上げて小さな城を拵えるような手軽さで、この力の流れそのものである竜は、時間を弄ることができるということだ。
「綻びは、あったぜ?ほんの小さなものだったけどな」
タジは、それが何であるかは説明しなかった。
牢獄の中で、たった二度だけ現れたあの特殊な空気の入ったタンク。あの存在こそが、ミレアタンの言う綻びで間違いない。間違いないが、それが一体何によって作られた綻びなのか、タジは分かっていなかった。
(おかしいな。ボクがそんな簡単に誰かに出し抜かれるはずはないんだけど……)
ミレアタンは無表情の顔の模様を器用にくねらせて、思案の模様を浮かび上がらせる。
(これでもね、ボクはこの世界における責任者の一人なんだよ)
「責任者?」
(そう。この世界が壊れないように、アレコレ任されているの。この世界が、この世界のままであるように、ボクが手入れをしているって訳さ)
「ほう、まるで神さまみたいなものの言い方をするんだな」
(神さまっていうほど万能じゃあない。神さまは指先だけで世界を変えられるけれど、ボクは色々とこの世界を駆け巡らなきゃならないからね)
与太話だと切って捨てるには、ミレアタンの力は常軌を逸している。時間を操って脱出不可の牢獄へ変貌させるだけの力があるのなら、なるほど確かに自身をこの世界の「責任者」だと自負するのもうなずけた。
「まあ、確かにお前は神さまってほどでもないだろうな。ここで俺にブン殴られるんだから」
(ハハハ。そんなことしても意味がないのは分かってるだろう?雨粒に恨みをもって殴りかかるようなものだ。あまりに無意味すぎる)
「そうか?……俺が殴ってお前に芽生えた意思がなくなっても、お前は同じことが言えるか?」
小舟の上で不敵に笑う顔に、ミレアタンの表情がわずかに曇ったようにタジには感じられた。
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