光の届かない場所 09 回想02
溶けた肉体は、再び形を取り戻して、カランと石畳の上に落ちた。
拾い上げた青年の顔は精悍で、綺麗に整えられた髭からは、若くありながら威厳を感じられる。
どこかで見たことのある顔だとタジが思うのと、青年の顔が見る間に驚きの表情になるのがほぼ同時だった。
「どうしたのですか、我が王」
後ろに控えていたのは、ブレダと呼ばれる少年の母親とそっくりの女性だ。やや年をとった女性は、仕立ての良い派手な衣装に身を包み、青年の顔色を回り込んで覗き見る。
「母上」
「突然廊下で足を止めるなど……。廊下は颯爽と……あら、それは」
母親もわずかに驚きの表情を浮かべた。表情筋が衰えたのか、あるいは社交界で動揺を顔に出さない術を身につけたのか、母上と呼ばれた女性は、こめかみをわずかに動かしただけで、青年の……ブレダの持つ漆黒の正四面体と対峙した。
「我が王は、それをどこから?」
「今、ここに突然落ちてきたのです」
精悍な青年は、筋骨隆々たる肉体に、清々しい魂を備えていた。
戦場の修羅、経世の賢人。世を安寧へと導く最初の王。
初めて、レダ王に出会ったときの印象を、タジは目の前の精悍な青年に感じ取った。威厳をたっぷり含んだ表情と、洗練された仕草の一つ一つが、彼を王たらしめている。
端々からにじみ出る所作の高貴さをブレダがいつ獲得したか、タジには知る由もない。しかし、先ほど(タジにとっては確かに先ほどのことなのだ)幼少時代に見たブレダからは相当の時間が流れていることは一目で分かった。既に妻帯し、子を成しているかもしれない。
母と共にいた場所に、偶然タジは再び現れたのだ。
言葉少なに状況を説明するブレダと、それを無表情で聞く母親。森の中で会った幼少期に比べると、そこには石畳の建物と深緑の自然ほどに色彩の差があった。
「吉兆です」
母親が断言した。
おそらく、トライアングルとなったタジと出会ったあの時から、この親子の人生は大きな転機をいくつも迎えたのだ。
その結果、彼ら親子は息子を王とし、その母親が摂政となって一国を治めるほどになったのだろう。石畳の廊下は、おそらく彼らの住まう城の一角に相違ないはずだ。
「我が王、あなたはそれを地下の泉へと奉り、それを神とするべきです」
「神……」
「ええ。あなたに、そしてあなたの治める国に大きな転機を齎すその正四面体こそ、神があなたに与えたもうた神器。あらゆる願いを叶える道具となりましょう」
俺にそんな効能はない。と、口があれば文句の一つも言いたかったが、しかしトライアングルと化したタジの現状では差し挟む口もない。
ブレダは、正四面体と化したタジを恭しく両手で持って、母親と共に従者の一人も連れずに城の地下深くへと下りて行った。
そこには一つの噴水が、勢い無く清水をチョボチョボと流していた。
大理石のような表面の滑らかな石で作られたその噴水は、杯のような形をしており、清水は杯の中に水溜まりを作って、縁からあふれ出すように水をこぼしている。
「さあ、水溜まりの中央へ」
母親に言われるがままに、ブレダはタジをその噴水の杯の中にゆっくりと沈めた。
ひんやりと冷たい清水に浸されると、漆黒の正四面体は再び形を保てなくなり、ゆっくりと溶解していく。
「母上」
「いいのです」
タジは再び意識を失った。
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