光の届かない場所 10 回想03

 水に溶けだす正四面体が、にわかに熱を持ち始めた。

 熱はやがて湧き出る清水を杯ごと干上がらせるほどに上昇し、形を失った漆黒の正四面体だった液体は、杯の中でうねるような炎となった。

 湧き出る清水は、どういう訳かその炎に触れると同時に炎を燃え上がらせる燃料となった。

 確かに湧き出る液体は水だったはずだ。

 ブレダが未だ王になる以前のこと。

 先の魔獣との戦に疲弊したブレダと彼の数人の従者が、大地に湧き出るその清水を口にふくんで喉の渇きをいやした。

 満身創痍、疲労困憊の彼らに乾坤一擲の力を与え、再び魔獣たちの侵攻からその土地を守ろうという力を得たのが、何あろうこの湧き水である。そこからブレダたちは魔獣に対して攻勢に転じ、やがて一つの大きな国を作る礎となる。

 その国の名前を「眠りの国」と言った。

 清水は杯を象った噴水を作ることによって保護され、さらにその噴水を魔獣の侵攻から覆い隠すように城が作られた。タジはその噴水を見たことがないが、城の地下には、儀式の場として、国の根幹を成す物として、そのような噴水があったのである。

 かつては、の話であるが。

 そう。ブレダが清水を守る杯に漆黒の正四面体を沈めたと同時に、清水は燃え上がった。触れれば火傷では済まされないほどの熱を発し、同時に杯の中で強く発光する。

 まるで、杯の中に小さな太陽が生まれたかのよう。

 正四面体から離脱し、タジの魂だけがその様子を暗い室内の上空からぼんやりとながめていた。

「これは……」

 ブレダのつぶやきも、杯の中の小さな太陽にはわずかばかりの燃料であるかのよう。燃えさかる炎は、チラチラと炎の舌を見せながら、今にも周囲の可燃性のあるものを燃やし尽くそうとしていた。

 しかしブレダは怖れなかった。

 それどころか、自分はその小さな太陽に手を差し伸べて、それに触れられることを証明すべきだと思った。

 虫が炎に飛び入るように、ブレダが夢遊病を患ったように無意識のうちに手を伸ばす。

「我が王!」

 母上の制止しようとする言葉を気に留めることもなく、ブレダはついに杯の中に手を入れ、小さな太陽に触れた。

 チラチラと炎の舌が、彼の腕を舐めまわしていく。

 しかし、彼の逞しい腕が燃える気配は無かった。それどころか、ブレダはその炎の己を包み込むような雄大な力を感じ取った。腕から肌を這うように、彼の全身を炎が包み込むと、やがて炎はブレダの肌に吸収された。

 ブレダの体に力が漲る。

 全身を包み込んでいた炎が、その全てを焼き尽くすほどの力が、ブレダの中に宿ったかのよう。

 その場にいるだけで、他を圧倒する猛々しさが感じられる。

 眠りの国の初代国王は、こうして人間ならざる力を手に入れた。

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