光の届かない場所 06

 水底を這うように、身を屈めて水中をゆっくりと進んで行く。

 汽水域から浅瀬へ行くと、凪いだ海の中にいくつもの細い水の流れがあるのが分かる。表面上は凪の状態であっても、ミレアタンの身体は浅瀬の方にまで影響を及ぼしているらしい。

 とはいえ、それが見えるのは浅瀬の水底にまで月の光が届いているからであり、水流のあるところは塩分濃度が低く、境界がはっきりとしているからである。

 タジはそれらを慎重に避け進んだ。

 幸い、水流はそれほど多くなく、また水流自体が移動している気配もない。息を殺して、陸に上がった亀のようにノロノロと進めばよい。

 浅瀬から急深へと変わる水底は、急斜面になった水底をするすると下りていくのに絶好だった。

 水の流れはミレアタンの身体であり、彼は決して水底にその身を触れさせることはないようだった。浅瀬では接触の危険もあったが、急斜面の水底はむしろ安全でさえある。

 水温は徐々に低くなっていった。

 時々体の芯から震えが訪れたが、今は気にしていても仕方ない。水中に差し込む月の光が衰え、辺りはどんどん暗闇に閉ざされていく。

 タジは時折小さく息を吐いては、海上の様子を確かめた。

 月光が差し込まなくなるほどに深く沈むと周辺を確かめる術がなく、前回水底へ引きずりおろされていた時の感覚……水温や体にかかる水圧の事を鑑みれば、まだ水底へ降り切ってはいないのが分かる。

 急斜面には水流が近寄らないだろうと思っていても、異例は常に起こり得る。できる限り周囲の様子は把握しておきたい。

 タンクの空気をわずかに吐き出すと、水面から青い光が差し込んでくる。夜は昼に代わり、雲一つない青空に太陽がタジを見つけようと睨みをきかせている。

 小動物が捕食者から身を隠すのに草むらを使うように、タジは太陽から身を隠すのに水中に身を潜めている。揺らめかない水面の、ゆっくりと迫ってくるような太陽の光を確認すると、タジはその夜明け前のような澄んだ青色の光の中、周囲を見渡した。

 砂で覆われた急斜面は、片手をかけているだけでゆっくりとタジの身体を水中に沈ませてくれる。塩分濃度の高い海は浮力も高いが、今回は片腕に圧縮した空気の入ったタンクを抱えている。タンクは重く、そのため沈む力が強かった。

 タジが手をかけた斜面から、もうもうと砂が海水に溶け込んでいく。降りかかるよりも早くタジの身体は沈み、周囲を観察すれば下降を阻むものはない。

 タジは呼吸弁を手に取り、もう一度空気を口に含んだ。

 辺りは再び真っ暗闇に閉ざされる。

 海底に足がついたころ、タジはあらゆる光の届かない闇の世界のなかにあった。

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