凪いだ海、忘却の港町 65

「アンタァ、眠りの国から来たんか。遠いところからよく来たもんだ」

 女性の代わりに籠を背負ったタジは、連れ立ってシシーラの村へと招待された。

 軋むような音のする茶色い黒髪を手で梳きながら、彼女は名前をコンと名乗った。

「コンっていうのは、この辺りに生える植物の一種でな?それが薄紅色の花を咲かせると漁の季節になるってんで、縁起のいい花なんだわ。花も小さくって可愛いんだこれが。だから、ウチは気に入ってる」

 無邪気に語るコンの表情を見ていると、その話が素朴な地域語りに聞こえてくる。彼女が素潜りで獲ったという、アワビに似た一枚貝のたっぷり入った籠を、見ず知らずの人間に持たせて何も動じないのだから、おそらく心根が呑気なのだ。

 こちらの姿の方が、ずっと本物らしかった。

「タジは、何しにここへ来たんね?」

「何をしに、か……難しい質問だ」

「なーにが難しいもんかね。普通に理由を答えればいいだけだわ。見たところ商人って訳でもないし、かといって海を見に来たって訳でもなかろ?そういうヤツは、大抵、国から爪弾きにされたヤツ腹やけ」

「そんな悪そうなヤツに今日の収穫を持たせて、コンは平気なのか?」

「ハハハ。シシーラの村は昔っから、国から爪弾きにされた悪いヤツらが寄り合って作った村じゃもの。みーんな、その辺の野盗や傭兵なんかよりずっと強いんよ」

 コン自身は、シシーラの村で生まれ育ったらしいが、その引き締まった肉体は、海に生き、海に育てられたと言わんばかりだ。

「さすがに、騎士サマや、海を我が物にするウデカツオなんかには敵わんが、それ以外なら、丘でも海でも負けはせんよ」

「なるほどね」

 タジに向かって腕を振り上げ、コンが力こぶを作ってみせる。隆々とした筋肉は、普通の男性が思い描くような女性らしさは無かったが、タジはそこに生命の輝きがあるように感じた。

「ウデカツオ、だったか?あの不自然に腕が生えた魚型の魔獣だろ?村人はアレに何人か殺されたりしたのか?」

「今はもう殺されることもなくなったやね。初めて出会ったときには大変な騒ぎになったけんど、アイツらは海を縄張りに集団で狩りをするんよ。さながら海の狼なんな」

 確かに、集団とまではいかないものの、数匹のウデカツオによってタジは水底まで引きずり込まれた。普通の人間ならば、あの膂力で海に引き込まれた時点で死を覚悟するだろう。

「海底が深くなるギリギリんところで漁をするようになって、住み分けができるようになったんよ。ウチも今ではすっかり一枚貝を獲るだけになってな」

 コンの乾いた笑いを聞いているうちに、二人はシシーラの村へと戻ってきた。

 タジが先ほど目にした村の姿。無人であったこと、漁具が乾いてかなり時間が経っていたことを除けば、その姿は変わらないようだった。

 もっとも、そこが一番重要な部分である。二人の姿を見つけた数人の村人が、まずコンを見て、それからタジに視線をやる。

 不審そうな目で見られることはなかった。

「荷物持ってくれてありがとな、タジ」

「お安い御用さ」

「ああ、ところでその塩だらけの身体、落としておかないと日焼けが酷いかんね。あとで一緒に沢さ行こう。案内したる」

「それは助かる」

 コンに一枚貝の入った籠を返すと、彼女はそれを軽々と背負い直して、村の中央に作られた人の輪の中へと混ざるのだった。

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