凪いだ海、忘却の港町 64

 それだけ告げると、タジの座っていたミレアタンの身体は急激にその形を変え始めた。薄皮一枚向こうの水の流れが激しくなり、竜の身体が太く膨らんだかと思うと、弾けるように幾筋もの水流の束にほどけていった。

 ほどけた水流はさらに膨らみ、ほどけ、ぎゅうぎゅうに詰めた三つ編みの髪が破裂するように四方八方に散らばる。ミレアタンの形をしていたものはすっかり消え、タジは流されるままにシシーラの村へと戻されてしまった。

 それまで凪の状態だった海は、その時だけ激しい時化の姿となって、荒々しい表情を見せた。激しい波しぶきが久々に砂浜を洗うと、海を彩るあの波の音がタジの耳を襲う。

 そうだ、海とはこんな風にうるさい場所だった。

 浜辺にうちあげられたタジは、塩からい波しぶきを全身に浴びながら、大波の奏でる海の音を聞いていた。

(さあ、ゲームオーバーです。大人しく国へ戻って、太陽の御使いとやらをしながら過ごしたらどうだい?)

 徐々に引いていく波の音に混じるように、ミレアタンの言葉が脳に響いた。

 台風の通る日の海のように激しく荒々しい様子だった海は、あっという間に波がひいて、タジが最初に見た凪の海へと戻っていく。

 砂を洗う波の音が消えると、耳に痛いほどの静寂が訪れた。

 海面が照り返す太陽光が、鏡のように輝いている。塩からい海水で濡れていたタジの身体はたちまち乾き、その表面には真っ白な塩がふいた。手でぞんざいに払うと、肌に塩を塗りこめているようで、気持ち悪い。

「もし」

 真水で体を洗いたいな、と思ったところで、突然後方から声をかけられた。

 驚いてふり向くと、そこには浅黒い肌の女性が大きな籠を背負って立っていた。浅黒い肌にはタジと同じように塩の粉がふいており、やや茶色くなった黒髪にも、塩が絡みついている。

「……アンタ、見ない顔だな。どこから来たんか?」

 背負った籠を負い直しながら、女性が問う。負い直した籠から、殻のこすれ合う音が聞こえた。中に貝類が入っているのだろう。

 女性の言い方は、よそ者に対する警戒のそれだ。まさかと思いながらも、タジは聞き返さずにはいられなかった。

「もしかして、シシーラの村の者か?」

「そんなん、いちいち言わなくても分かんべや」

 眉間にしわを寄せて訝しむ女性の顔を見ながら、タジはその正体を探っていた。

 いや、探る必要などなかった。

 おそらく、シシーラの村に来た時から、タジはミレアタンに白昼夢を見させられていたのだ。あるいは、白昼夢に似た魔法をかけられていたのだ。

 いや、と一呼吸おいてタジは考える。

「どちらが、本当の姿なんだ……?」

「アンタ、何言っとんじゃ」

 声をかけなければよかった。そんな表情が女性の顔にありありと浮かんでいた。

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