凪いだ海、忘却の港町 63
(もっとも、それは彼の力のほんのわずかな片鱗に過ぎません)
漆黒の正四面体は、魔獣の強さに関連していた。強い魔獣であるほど、死んだ後に現れる正四面体は大きい。一方で、知性があるかどうかも疑わしい、獣と大して変わらないような魔獣は、正四面体が現れなかった。
あるいは現れていたのかも知れないが、それは砂粒ほどの大きさだったのだろう。
「そうは言うが、じゃああの漆黒の正四面体……」
(ボクらはそれを“triangle”と呼んでいます)
「トライアングル。……じゃあ、そのトライアングルが魔神ディダバオーハの正体だとして、本体は海の向こうにいる?ある?んだろう?」
(そう、確かにそこに彼はいます。ですが、タジは会うことができません)
「どうしてだ?」
(ボクが許可をしないからです)
「は?」
(ボクは、彼に……ディダバオーハに、タジをこの世界の外に出さないよう命じられているんだ。キミはこの世界における特異点。唯一、彼に届き得る人間だからね)
顔を模したミレアタンの頭が、得意そうな表情を作りだす。
タジは考える。
ミレアタンはディダバオーハに肩入れしている。それが神同士の同盟であるのか、意思同士の友情であるかは分からない。
どうあれ、ディダバオーハがタジを近付けたくないのは事実らしく、そのためにミレアタンはタジを海の向こうへ行かせないようにしているのだそうだ。
(ディダバオーハが許可をしない限り、ボクは全力でタジをその大陸から出さない。言っておくけど、無理して押しとおろうとしない方がいい。ボクがその気になれば、タジを水中だろうと空中だろうと迷わせることができるんだから)
どのような方法を用いるのかは分からないが、自信に満ちたその姿を見ると、きっと何らかの方法で成しえるのだろう。それこそ、催眠じみた魔法があれば全て事足りてしまう。
タジは物理的な攻撃や、身体を蝕む、傷つける魔法には強くとも、認識をずらされたり、常識をわずかに書き換えられたりするような魔法には弱い。
そもそもこの世界の常識というものが分かっていない時点で、タジは常に自身の常識とこの世界の常識との擦り合わせを余儀なくされてきた。それが奏功し、こちらの世界に蔓延っていた悪しき習慣を打ち破ることもあったが、逆にこちらの生活に馴染んだことも少なくない。
急激な常識や認識のズレがなくとも、見知らぬ森が道に迷いやすいように、水の流れがあるいは人間を迷わせることがあるかもしれない。
「どうしたら通してくれる?ミレアタンを懲らしめたらいいのか?」
(そんなことをしてもムダだって、分かって言ってるでしょう?どんなことをしても、ボクはここを通しはしないよ)
「どんなことをしても、ねえ」
(そう、タジの冒険はここで終わり。眠りの国に戻って、普通の人間として生きるといいさ)
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