凪いだ海、忘却の港町 41

 ムヌーグがタジに向けて突きつけた切っ先は、あっさりと外され、しかしタジは外したその剣先を、喋るのは終わりだとばかりに、再び元の喉元に戻そうとした。

 そこまでする必要は無い、とムヌーグが目で合図を送るので、タジはその仕草に甘えてムヌーグの剣をわずかにずらしたままにした。

 そもそも、ムヌーグがタジを本気で脅そうとするのであれば、タジ自身を標的にするのではなく、イロンディの喉元に剣をあてがえばすむ話である。それをしない時点で、タジはムヌーグが本気で脅迫を行おうとしていないことを察していた。

 では、なぜわざわざタジに向けて剣を突きつけたのか。

 それは先ほどの驚愕の一言から推論すればよい。

 イロンディに魔獣の疑いがかかっている。そのため、タジと共に排斥すべきという命令が眠りの国の頂点から降りてきた。タジがイロンディに与しているという事実は、太陽の御使いという聖性を超えて、魔獣のもつ人間を超えた魔力がタジを打ち負かしたという考えへと至らせたのだろう。

 そこまでいかずとも、操られている、魅了されている、別人になり代わっている、等々、疑い出したらキリがない。世にそういう魔法がないとは言い切れないのだ。

 シシーラの村が、魔獣によって操られていると考えるのと同じである。

 そんなタジに対して友好的に接することは、国に対する反抗心があることを表明するようなものだ。いくら白鯨の騎士団が教会によって成り立つ騎士団だからと言って、国の権力者に逆らってまで個人の自由を許すほどの振る舞いが許されるはずはない。

 こうして夜中に接触し、人知れず二人の荷物を渡すのが精いっぱいなのだろう。あるいは、タジに向けて剣を向けているのは、せめてもの言い訳づくりなのかも知れない。衆人環視の中でタジと接触したわけではないから、他者からの嫌疑をかわせるわけではないが、せめても己に建前の言い訳を提供できる。

 あたかも、紅き竜が魔獣の用いる銀貨を鋳つぶすのにタジに向けて炎を吐いたように。

 嘘の中にわずかな真実を混ぜるのは、うまい嘘をつくコツである。だとしたら、ムヌーグが行っているのはまさしくそう言った嘘をつくための土台づくりだった。

「俺はこの国を追い出されるのか」

 タジのその問いは、落胆した訳ではなく、単純な好奇心からだった。

 海竜ミレアタンを討伐せず、話し合いで事を解決できる道を選んだのがそれほどにおかしいことなのだろうか。無駄に争い血を流す事態を避けることが、国の体裁あるいは王の面目を保つよりも優先度が低いと、グレンダ王も、レダ王も考えているのだろうか。

 だとしたら、それはとても悲しいことだ。

 国民の生活と命を蔑ろにして保つ体裁など、下水にでも流してしまえばいい。

「このままでは追い出されるでしょう」

 ムヌーグは努めて冷静に言った。その冷静さが逆にタジには心地よかった。

「しかし、もしイロンディさんが魔獣に操られているわけではない、と説明できれば……」

「そんなん無理だって、ムヌーグも分かっているからこうしてわざわざ俺のところまでやってきたんだろう?」

 目が慣れて、逆光を背負うムヌーグの顔、その表情がようやくタジにも見えた。

 月光が雲にわずかにさえぎられるように、ムヌーグの表情も、わずかながら翳りが見えていた。

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