凪いだ海、忘却の港町 36

 説明を聞けば理解は出来るが納得は出来なかった。

「出来る出来ないじゃなくって、するしかないって感じだな」

 タジが汲んできた眠りの国にある貯水池の水を頭からかけられて、イロンディはようやく熱中症状態から回復した。それでも身体のだるさは抜けきらず、委縮しながらムヌーグにもたれかかっている。

 貯水池から水を汲んでくる際に、タジ自身も体を池に飛び込むようにして冷やしてきた。周囲の水が沸騰して気泡と化す感触を肌で感じるというのは新鮮な感覚だったとムヌーグに笑いながらタジが話をした。

「それはそれとして、竜の意匠が描かれた銀貨は魔獣によって鋳造されたことが確定となった今、次に考えるべきは、なぜシシーラの村にその銀貨が流通していたか、ということだ」

 もたれかかってはいても、頭は働いているらしい。ムヌーグが口をつぐんで沈思黙考する間に、イロンディがいくつかの仮説を口にした。

「一つ、シシーラの村は魔獣と交流があった。二つ、シシーラの村は人間ではなく魔獣の棲む村である」

「イロンディさん、前者は別としても後者は無理があるのではありませんか?」

「可能性として否定はできない、ということです」

「とは言っても、イロンディはこれまで数年間をシシーラの村の調査にあたってきたんだろう?それで村人に違和感を持たなかったというのなら、ムヌーグの言う通り、後者はやはり無理があるとは思わないか?」

 イロンディには、本心を見抜く技術がある。それを用いれば、誰がどのように嘘をついているとか、そういった言外の情報を相手の様々な仕草から見つけることができるはずだ。

「それに関しては、私の技術が魔獣に通用しない可能性と、そもそも私が魔獣を人間として認識していたという可能性の二つが取り急ぎ考えられます。他にも可能性はあるかもしれませんから、固執する訳にはいきませんが」

「認識をズラすという魔法は、おそらく不可能ではありません」

「幻を本物に見せるようなものか」

 タジの補足にムヌーグが頷いた。幻を見せられているということを、当人が認識していなければ、相手の仕草などから情報を得ようとするイロンディの技術も通用しなくなるかもしれない。彼女の推測した二つの可能性が、複合して作用していたという考え方だ。

「とはいえ、数年の間幻を見せ続けるというのは相当に腹の据わった騙し方をしているな」

 タジが唸る。

「それに、そこまでしてイロンディさんを騙す理由も分かりません」

 ムヌーグが付け足す。

「騙した結果、眠りの国がシシーラの村の窮状を知って援助に来ることは予想できるはずです。そうしてのこのこやってきた人間を殺すために……?」

「それこそ非効率的だろう。一度目は奇襲のようにうまく事が運んだとしても、それ以降は村にやってきた人間を一人も逃がさないようにしようとしても角が立つのは、少し考えれば分かるはずだ」

「シシーラの村が魔獣と交流があったという線の方が、考えることは単純なんですけどね」

 苦笑いを浮かべながら、ムヌーグが言った。

 村が魔獣と交流があってイロンディに銀貨を渡したのであれば、それは眠りの国に対する救難信号に他ならない。しかし村が魔獣に支配されていたのであれば、それは完全な罠だ。

「どちらの蓋然性が高いか、なんて議論しようがないな」

「すいません、タジさん……私の情報が粗雑なばかりに……」

「いいえ、銀貨を手に入れただけでもイロンディさんは十分な情報を手に入れていますよ」

 ムヌーグの言葉は慰めでなく本心からだった。

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