凪いだ海、忘却の港町 11
天幕の中には用意周到にも飲み物と肴がいくつか用意されていた。
机の対面にイロンディを促し、タジが座って飲み物の中から飛びぬけて度数の高い酒の小樽を鷲掴みにした。
小樽になみなみと注がれたそれは、火を近付ければ燃えると言われているほどに度数の高い酒だ。一緒に用意されていた鮭の腹身干しを炙ったものと交互に口に入れると、えもいわれぬ旨味が口の中に広がる。
「健啖ですね」
「まあな」
イロンディが手にしたのは果実と薬草を入れて成分を水出しした薬療水と呼ばれるものだ。
「どこか体でも悪いのか?」
「いいえ。これまで潮風の強い土地にいたので単純に優しい甘味の水が恋しいだけなのですよ」
潮風に満たされた土地では、身体に入るものの全てが潮風にさらされてそのものが本来持っていた淡い味わいなどが消されてしまうのだという。それゆえ、甘いものはより甘く、酸っぱいものはより酸っぱく、とより刺激の強いものを求めがちだ。淡い味わいの薬療水は、潮風の強い土地では水と大差なく、重宝されない。
「酒に関しても、味の濃いものが重宝されていましたね」
「なるほどな」
ガジリと炙った腹身を齧る。眠りの国で出される海産物は、大抵の場合干物にされてやって来る。水分の減った干物は腐りにくく、生のままよりも輸出が容易という理由もあるが、それ以上に、強い潮風にさらされた海産物は旨味が増すのである。一度干して旨味を凝縮されたものは、再び戻しても旨味が詰まっているし、戻した水は出汁になる。
タジの目の前にある腹身干しは川魚のものだが、川魚でも干して焼けば旨味はギュッと凝縮され、噛むほどに旨味が口いっぱいに広がる。
「それで、イロンディの密命は何だ?まさか、食文化の調査という訳でもあるまい?」
「……食べ物に関する話でお茶を濁そうとしていたのですが、バレてしまいましたか」
陶器に入っている薬療水を一気に飲み干して、イロンディは今回の調査の本当の目的について話し始めた。
「シシーラは小さな漁村です。それこそ、不漁が起こればすぐにでも廃れてしまうほどに、小さく貧しい漁村なのです。それでもやっていけたのは、ポケノの山向こうには、シシーラの村がそれでもやっていけるための港町があったからなのです」
「その港町は、眠りの国とは別の国……言ってしまえば王国の領土ではない、ということか?」
「いいえ。そもそも、そんな港町は存在しないのです」
「存在しない?さっきと言っていることが食い違っているじゃないか」
小さく貧しい村であるシシーラの村は、眠りの国への輸出の他に、眠りの国とは別の領土にあるとされる港町と経済的に繋がっているはずだった。
しかし、イロンディがシシーラの村の周りをくまなく調査したところで、それらしい港町はどこにも見当たらない。
「なら、眠りの国との……まあポケノの町だろうが虹の平原だろうが交易路はあるだろうが、そういう交わりの中ギリギリでなんとか自活しているんじゃないのか?」
「それはあり得ません」
「なぜだ」
「理由は二つ。一つは、シシーラの村で使用されている漁具の材料が眠りの国のそれと異なること。もう一つは、シシーラの村で取引に使われている銀貨が見慣れぬ国の銀貨であることです」
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