凪いだ海、忘却の港町 10

「何なら今すぐグレンダ王とかいうのに直談判してきても良いんだぜ?イロンディという地図師をシシーラとかいう漁村に調査に向かわせた理由は何だ、とな。首を引っ掴んで持ち上げれば一切合切話してくれるだろ」

「やめてください!」

 タジが腕を持ち上げ誰かを吊るし上げるような仕草をすると、イロンディは机を叩いて大声を上げた。別の机で夕食を取る衛兵や、交渉帰りの商人が、二人に視線を向ける。

「それなら正直に言ってくれればいい。ここじゃあ人の耳目が邪魔か?だったらラウジャにでも言って部屋を一つ用意させるが」

「総指揮官殿のお手を煩わせるなど」

「しかしそれが一番信頼できるだろう?ちょっと待っていろ」

 言うが早いかタジは立ちあがり、二人分の会計を済ませると、さっさとどこかへ歩いていった。あっという間の出来事に茫然としていたイロンディは、しかしタジに厄介になる以上、迂闊にこの場を動くわけにもいかない。

 店先の篝火に火が点るころ、タジは一人の騎士を従えて戻ってきた。従えて、というよりも耳を掴んで強引に持ってきたと言った方が正しい格好だったが。

「タジ殿!耳がっ、耳がちぎれます!」

「ちぎれたら自分で治せばいいだろ?衛生班なんだから」

「人の身体を痛みのない人形みたいに扱わないで下さいといっているのです!」

「それはもっと乱暴に扱って良いということか?」

 乱暴なやりとりだったが、イロンディはそこにある種の友好的な関係性を見出した。粗暴なふるまいをするタジだったが、その実本当に危害を加えるギリギリのところで留めているし、耳を引っ張られる騎士もまた、タジが本気で危害を加えようとしている訳でないのを心の底から信じている。

 信頼から程遠い関係に見えるのに、か細い信頼の糸で繋がっている。不思議な関係だとイロンディは思った。

「あー、コイツはケムクという。戦場に出て戦う勇気がなくって荒野の戦において衛生班に入った腰抜けだ」

「それは違いますタジ殿!あの時は衛生班に人手が足りないというから、手助けをしなければならないという私の中の騎士道がムグッ!」

「うるさい」

 ケムクの顔の下半分を手で覆って、呼吸さえままならなくさせる。早口でまくし立てていたケムクはそれで呼吸困難を引き起こして危うく気絶しそうになった。

「まあ、ケムクは俺が信用する数少ない騎士のうちの一人だ。コイツを天幕の外に待機させておけば、誰かに聞き耳を立てられるようなこともないだろう」

「ですが、彼は気絶しておりますが……」

 呼吸困難に酔って気絶をしてしまい、だらりと体の力が抜けたケムクを見ると、タジはその背中を壊さない程度に思いっきり叩いた。

 ケムクの目に火花が散って、咳き込みながら目を覚ます。

「これで大丈夫」

「タジ殿は……ケホッ、いつも私に対する扱いがッ……エッフ、酷いのです」

「それで良く今まで一緒にいられますね……」

 確かに、これだけ痛めつけられてもタジを信じる心が揺らいでいない。ケムクのその志に若干の戦慄を覚えながら、イロンディはタジと共に用意された天幕へと入った。

 布扉には篝火が一つ、見張りのケムクとは反対側に立っている。雲はわずかにかかっていたものの、星も月も見える穏やかな夜だった。

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