【番外編】温泉好きの竜 36
夕食代わりのサンドイッチを食べ終えると、エリスは大口を開けてあくびをした。
半分湯あたりしながら温泉に入り、良いだけ酒を飲み、それから飯を食ったら後はもう寝るだけだそうだ。
「子どものような自由加減だな」
「あら、子どもは酒を飲まないのだから、言ってしまえば完全に自由な大人の所作よ」
果汁と干し肉の脂でべったりだった口の周りと両掌は、革袋の中に残っていた飲み水で洗い流した。
「温泉の向こうに湧き水の気配があるの。アンタちょっと行って汲んできてよ。どうせ今日はここで泊まる気でいるんでしょう?」
そう言って、道中の飲み水を入れていた革袋二つと、密かに酒を入れて持ってきた革袋二つをタジに向けて放り投げる。
「見返りは?」
「隣で一緒に寝てあげる」
呆れてものも言えないタジであったが、対するエリスは満面の笑顔だ。
「温泉に入れたからアタシは満足して巣に戻っても良いのよ?場所も分かったし、これからはいつでも竜の格好でここまでやって来ることができるわ」
「見返りじゃなくて恐喝じゃねぇか」
言うことを聞かないと、この国の理を破ってでも、それこそチスイの荒野で戯れに歌姫を自演して遊んだように自由にふるまうぞ、と言っているのだった。
荒野の一件をようやく鎮めたタジにとっては、虹の平原の上空を舞って教会の禁足地である温泉に赴く神話級の魔獣が、眠りの国の日常に与える被害の方がよほど恐ろしい。
「でも、アンタはそうやってアタシにパシらされるのを自分の理だと思ってる」
良い気味だわ、と言ってエリスは木綿の寝床におもむろに寝転がった。仰向けになり、はしたなく両腕を大きく広げて本当に気持ちよさそうにニヤニヤと笑っている。
「食べてすぐ横になると牛になるぞ」
「眠らなければいいのよ。それより早く行ってきなさいよ」
片腕を持ち上げて手首を二回払うと、タジに背を向けてそれ以上取り合おうとはしなかった。
「分かりましたよ」
空の革袋を背嚢に詰め込んで、タジは小屋を後にした。
西に傾いていた太陽は、今やわずかに稜線の向こうに頭を覗かせているくらいで、辺りはすっかり群青色に染まっている。
手を伸ばせば届きそうなくらいに大きな月が浮かんでいる。雲一つない空は、月明かりが頼りだ。大きな月は、夜目に慣れてしまえば電灯などなくとも十分に明るく感じられた。
湧き水の場所を詳しく教わっていない。
石化の時と同じように、詳しい説明を受けていないのだから、自力で探し当てるしかなく、月光の明るい夜だとは言え、それを夜間に探すのはタジにもためらわれた。というよりも、端的に面倒だった。
しかしそれでよかった。分からないのならば、分からないなりに方策がある。
それに……。
「さあ、意趣返しと行きますか」
この国の夜は、静かだ。太陽の御使いという二つ名なのに積極的に動くのは夜じゃないか、などと自虐めいたことを考えながら、タジは空を駆けるように一目散に下山するのだった。
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