【番外編】温泉好きの竜 37
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
まどろみの中でエリスがゆっくりと腕を持ち上げた。天井に向かって何かを握りしめようと指を動かしてみる。
手に入るのは暗闇ばかり。
自身に取り込んだ漆黒の正四面体は、酒よりもエリスの身体をてきめんに悪酔いさせた。普段は取り込まない邪な力を取り込むのは、栄養剤を飲んで元気の前借りをするようなものだ。
後で必ず反動が来るし、不健康そのもの。
「それで生み出した魔法が虹と妖精っていうんだから、世の中は因果なものよね」
持ち上げた腕を額に置いてつぶやく。
外は耳に痛いほどの静寂に包まれていた。山肌を下ろす風もなく、たとえあったとしても、風になびく植物もなし。ただ、安普請のこの小屋のそこかしこから隙間風が笛の音のように聞こえてくることはあるかも知れない。
しかし、そういったこともなく、外はまどろみのように柔らかだった。
月の光が窓から入ってくる。
山頂に近く、空気が澄んでいるからか、月の光は篝火のように明るかった。
こんな日が、あとどれくらい続くのだろうか。自身に求められた生命の長さを思うと、この一夜でさえごく一瞬の出来事のよう。
長き生命のほんのわずかな時間の中に、エリスは時々、永遠を思うのだった。
「一人でいる方が長かったものね」
刺激が欲しい。
それは別に温泉でなくともよい。この世界の、脆弱な人間たちを使って人形遊びに興じたのも、元を糺せば彼女の中にある永遠を少しでも消費したいがためだ。
「タジはどこに行ったのかしら」
起き上がる力もなく、首だけをわずかに起こして小屋の中を見回してみるものの、タジの気配もなければ革袋や背嚢が置かれている様子もない。
「そう言えば、場所を詳しく言わなかったわね……」
不遜なふるまいに怒ってエリスを置いてどこかへ消息を絶ってしまったのだろうか。人の理の中で生きるために魔獣を殺すことをためらわないのだから、それもまた仕方のないことかもしれない。
「ふふふ」
そう考えると、なぜかエリスは笑みが漏れてしまう。気まぐれのような、一瞬の今日の出来事を反芻して、またしばらくは生きていられそうだと思った。
すっかり更けた夜は、標高も相まってかなり涼しい。夜が明ける前に、竜の姿になって素に戻ろうかなどと、まどろむ頭で考えていたその時だ。
――ドォン!……ドン、ドドォン!!!
轟音が、エリスの耳をつんざいた。
虫の呼吸音さえ聞こえてきそうな静かな夜更けをブチ破る爆発音に、少女の姿をした竜は驚きのあまり寝床から全身を宙に浮かせるほどにこわばらせた。
音だけではない。
月の光を遮るように、青い光が夜を照らした気がした。
「せっかく気持ちよいまどろみの中にいたっていうのに!」
エリスはやにわに立ち上がると、狼藉者の気配がする方へズカズカと歩を進めた。自身が少女の格好をしており、普段の力を十全に出せないことも、ミミズ腫れの足がジンジン痛むことも気にしなかった。
小屋の入口から回り込むように音の方へ向かうと、エリスが目にしたのは、月明かりを背にした影法師だった。
「竜の魔獣の眠りを妨げるとは、いい度胸じゃない、タジ」
「凄んだところで大した力もないだろうが。それよりほら、ちょっと見てろ」
「それより、ですって!?」
逆光のタジの胸倉を掴んでビンタの一発でもお見舞いしてやろうかと不用意に近づくエリスを無視して、タジは手に持ったそれに火を点けた。
火を点けると同時に、足を振り上げ上空に向かってそれを思い切り投げ飛ばした。
――ドォン!
破裂音と共に、空に真っ青な火花が散った。
燃えているようでもあり、瞬いているようでもあり、空に浮かんだ火花はほんのわずかの間だけ空中に光を留めて、すぐに消える。
「やっぱり硫黄だけだと青い光になっちまうな……マグネシウムなんかがあれば色味が変わって引き締まるんだがなあ」
「……何してるの?」
「ん?花火だよ、花火。知らないのか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます