【番外編】温泉好きの竜 02

 後ろ手で扉を閉め、居間の椅子に座らせる。

 荒野の歌姫が、膨らんだスカートを丁寧に払って椅子に座る。姿勢正しく座ったと思ったら片足を高く上げて組んだ。組んだ足の上に肘を乗せて頬杖にすると、開いた胸元が露わになった。

 ギリギリのところで隠れた女体は、否応なしに男性の視線を集める。

 誘惑を振り払うように、タジは問うた。

「その姿でのこのこ現れて、歌姫が生きていると噂されたらどうするつもりだ、エダード」

 荒野の歌姫は、神話時代の紅き竜エダードによって殺された。

 眠りの国ではそのように語られている。チスイの荒野で起こった歌姫の誘拐事件は、歌姫の死と引き換えに紅き竜エダードを太陽の御使いであるタジが従えたということになっていた。

 もともと、荒野の歌姫はエダードによって作りだされた虚像である。紅き竜エダードは、存在しないものを作りだして遊びに興じていただけなのだった。

「あら、この国に歌姫の姿を覚えている者はもはやアンタくらいなものよ?現金な話ね、人は新たな英雄が見つかればかつての歌姫など簡単に忘れ去る」

「おもちゃ欲しさならもう一回ブン殴るか?ガキの躾は拳骨と相場が決まっているんだが」

「あら、しなをつくった女性に対しては鼻を伸ばして付き従うのが礼儀ではなくって?」

 二人の間で空気が音をたてて軋む。

 そのままいくばくかの睨み合いが続くかというところで、歌姫の姿をしたエダードが眉を上げた。

「まあ良いわ。今回は別に遊びたくって来たのではないから」

「それならせめて歌姫の姿をやめてくれ。いくらエダードが当て推量したところで、見知った人間がいないとも限らないだろ」

「アンタがそうしろと言うのならそうしてあげるわ」

 わざわざ恩に着せるような言い方をする。

 もともとエダードが荒野の歌姫の格好でタジの前に現れたのは、一見して自身がエダードであることを証明すると判断したからだ。そして実際にタジは彼女をエダードだと判じて部屋へ招き入れた。

「どんな姿が良いかしら?姫騎士?修道女?あ、ドレイクなんてのもあるわよ」

 魔法で姿形を自由に変えられるのだから、エダードにとっては着せ替え感覚である。わざわざタジに望みを聞くあたりが如才ない。

 しかしそのわざとらしさが、タジに彼女の来訪の意味を理解させた。

「何か、望みでもあるのか」

「望み?望みというか、お願い、みたいな?」

 衣服ごと体を変化させて、何を思ったのか修道女の服装になった。長い髪の毛を頭巾に収めて、首元までを白布で覆い、その上から体の線が出るような細身の外套をまとっている。

 胸元の十字架をこれ見よがしにつまみ上げて願う仕草をして見せるが、足を組んで座っている状態では均衡も何もあったものではなかった。

「温泉ってアンタ知ってるわよね?」

「温泉?ああ、それは知っているが……」

「せっかくアンタのような特異点がやってきたのだから、アタシのちょっとした願いを叶えて欲しくってね」

「まさか」

「ええ。アタシ、温泉に入ってみたいのよ」

 修道女姿の竜の魔獣は、満面の笑みを浮かべていた。

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