虹の平原

「それにしてもタジ殿はよい掘り出し物を見つけましたな」

「掘り出し物?」

「荒野の英雄のことですよ」

 空になった男性の白磁にすかさず紅茶が注がれる。特別室には常に給仕が一人おり、食事の取り分けや皿の上げ下げなど色々と世話をするのだ。

「ああ、ラウジャのことか」

「荒野の歌姫が紅き竜にさらわれたときに殿を務め、こたびの献策においても最後に現れた魔獣相手に大立ち回りをしたとか。新たにやってきた指揮官が魔獣側についていたのを知るやタジ殿と協力し、裏切者の騎士どもを誅滅、手勢を引いて最後の反攻に果敢に立ち向かったとか」

 脚色と歪曲、改ざんの入り混じっていて、何をどこから改めるべきか面倒になったタジは、曖昧に相槌を打つにとどめた。

 物語は必ず尾ひれがつく。尾ひれどころか華美な装飾までついて、姿形が判然としなくなることもある。真実が含まれる以上、その話を端からデタラメだと切って捨てる訳にもいかず、またタジとしては、ラウジャが英雄に仕立て上げられることで相対的に自分の存在が目立たなくなるのが好都合でもあった。

「まあ、ラウジャが英雄であることは確かだ」

 満身創痍の人間側で士気を高め、最後の窮地を一合で出鼻をくじき、魔獣たちを壊走せしめたのは間違いなくラウジャの功績だ。彼がチスイの荒野に骨を埋める決意でなければ、眠りの国に戻って一角の人物になれることだろう。

「ただ、アイツは眠りの国に戻ることはないだろうし、一生をチスイの荒野に捧げるかも知れないな」

「なんと!それは勿体ない。兎を捌くのに牛刀を用いるようなものです」

 適材適所は確かに金言だが、それを理由にして個人の意志を曲げることはすべきではないとタジは思う。ラウジャが決死の覚悟で窮地に立ち向かったのは、チスイの荒野が彼の故郷であるからだ。

 それについては既にレダ王にも報告してある。

 ラウジャは異例の若さでチスイの荒野の総指揮官になった。その采配について異議を唱える者はおらず、名実ともにラウジャは荒野の英雄である。

「戦って初めて勝ち取った、チスイの荒野の本当の平和だ。荒野の魔獣は大きく後退し、人間と魔獣の領域を散水塔となった竜巻が隔てる。いたずらに魔獣のやってくることもあるだろうが、数は多くなく、チスイの荒野の総指揮官は、権力争いにおいて旨味のある場所ではなくなっただろうな」

「代わりと言っては何ですが、現在はニエの村方面が喧しいですな」

「まあ、そっちはムヌーグとアエリが上手くやるんだろう、なぁ?」

 タジの隣で静々と座るムヌーグが小さく頷いた。

 アエリはニエの村の村長だ。策謀や交渉に長け、タジが今回の騒乱に巻きこまれたきっかけを作った張本人でもある。

「とにかく、これで荒野に関しては一件落着だ。俺もしばらく落ち着いて、嫁でも探すかねぇ」

「なんと!太陽の御使いは嫁を所望しておられる!」

 ハハハ、と豪快に笑い、男性の隣に座る女性が、タジとムヌーグに対して申し訳なさそうな表情をしていた。

「冗談だよ。まあ、しばらくは眠りの国周辺を見てまわって、それから……」

「それから?」

 問うたのはムヌーグだ。

「海に行こうかと思っている。どうやら、俺を求める何かが海にあるらしい」

 木窓の向こうに見える空は快晴。

 海のように青い空には、わずかに虹がかかっている。

「チスイの荒野には今日も虹がかかっているようですな。いや……荒野と呼ぶのも間もなく終わるのでしょうな」

 水を得た荒野はたちまち植物が生え始めるだろうと、学者たちは予想しているのだそうだ。それによってチスイの荒野も名前が変わるらしい。

 度重なる魔獣との戦争によって染み込んだ血は、虹で洗われる。

 チスイの荒野は既に、眠りの国の民の間で「虹の平原」と呼ばれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る