荒野に虹を 84

 荒野に溢れる悲喜交々の声を全て平らげて、空を分厚く覆う雲から豪雨は降り続けた。

 昆虫型の魔獣に声帯はなく、その悲鳴はもっぱら威嚇行動に似た体の動かし方だ。あるものはハサミを鳴らし、あるものは翅を震わせ、あるものは水の染み込んだ地面から逃げるように体の天地を入れ換える。野犬を思わせる魔獣はキャインと惨めに鳴き、馬や牛のような魔獣はものも言わず頭を低くして逃げ場のない荒野をさまよった。

 ラウジャとその麾下は、鎧をずぶ濡れにしてその様子をジッと見つめていた。

「魔獣が苦しんでいるぞ」

「雨に弱いのか」

「退却していく」

「衰弱しきって身動きが取れずにいるぞ」

「後方で指揮をとっていた魔獣はいつの間にかいない」

「ラウジャ殿」

 口々に言う騎士たちが、その名前を聞いて一斉にラウジャの方を向いた。

 顔を流れる雨の匂いは、鎧の匂いがする。それまでチスイの荒野の臭いは、常に乾燥した砂塵の臭いであった。それが今、彼らの鼻をくすぐるのは、身に纏う鎧の臭いと、降り続ける雨の匂いだった。

「勝ちだ」

 ラウジャはつぶやき、壊走する魔獣から体を背けた。剣を持った腕を大きく突きあげて、高らかに声をあげる。

「我々の勝利だ」

「おおおぉーーーッ!!!」

 豪雨の中で、上げられた勝利の雄たけびは、確かにタジの耳にも届いた。

「ははっ」

 気のきいた言葉も出ずに笑うしかないタジの横顔を見ると、操り人形の糸が切れたようにイヨトンが気絶する。抱きとめるタジの腕の中で、イヨトンは微笑んでいた。

「ったく、無茶しやがって」

 その場をビジテに見張らせて、タジは急いで救護班の天幕へイヨトンを連れ込んだ。幸い、怪我が悪化することはなく、単に緊張の糸が切れただけだということだった。衣服を脱がせて雨を拭き、乾いたベッドに寝かせる。

「まさか、この地で乾いた場所が貴重になるなど思いませんでしたよ」

 救護班の長が困ったように笑った。

 昼を過ぎて、空は嘘のように晴れ渡った。そこかしこに大雨の痕跡が水たまりとして残っている。チスイの荒野に雨が降るはずがない、と高を括っていた行商人たちが揃って荷を台無しにしてしまい、元々枯渇しがちだった物資がさらにカツカツになるという災難はあったが、壊滅の危険性まであったことを思えば些末な心配に過ぎない。

 丘と丘の間には、水溜まりができており、また晴れた荒野に竜巻が現れた。

「おお」

 誰ともなく、感嘆の声があがる。

 竜巻によって水溜まりから吸い上げられた水が、晴天を潤していく。

「タジ殿!」

 救護班の天幕で、イヨトンの様子を見守っていたタジを呼んだのは、ケムクだった。

「タジ殿!タジ殿!外にどえらいものが!すぐ!早く!」

「ったく、救護室では静かにしろよ。大体、どえらいって何だ」

 立ち上がるよりも早く腕を引っ張られて、思わずタジがよろめく。非難の目を向けるも一瞥もくれず、ケムクはタジを天幕の外へと連れ出した。

「あれを見てください!」

 青空に見えるのは、散水塔と化したいくつかの竜巻。

 その向こうに……。

「虹だ」

「なんて大きな虹でしょうか!僕はこんなに大きな虹を初めて見ましたよ!」

 ケムクの言う通り、大きな虹が散水塔の向こうの空にくっきりとかかっているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る