荒野に虹を 73
水は、既に届いていた。
重篤な怪我を負って眠り続けるゴードの代わりに帳簿を預かった別の商人に、タジが水の注文を取りつけると、あっという間に手配してくれたのだった。
取りつけた商人は言う。
「我々の戦場は、常に帳簿と物の流れの中にありますから」
機敏。
ゴードだけが逸材という訳ではなく、その下にもよい人材が眠っている。しなやかで、強い組織だと感じ入った。
「散水塔は見つかったが、それが正しく機能するかを調べるためには実験が必要だ。実験には水が要り、そして水は既に届いている」
「実験……?」
「単なる確認だ。立てるのなら、ゴードも来るか?ケムクを足代わりにしてやろう」
ケムクは、タジが初めてチスイの荒野にやってきたときに同道した騎士で、今ではすっかり救護班に馴染んでいる。
イヨトンを眠りの国に退避させた後に戻ってくるのと、大量の水が届いてくるのは同時だった。ケムクが大量の水を何に使うのか不思議がって聞いてくるので、タジはデコピンして追い返した。
「散水塔はどこにあるのですか?あまり遠いと……」
「ああ、それなら大丈夫だ。時間帯的にも、すぐ近くだろうよ」
「時間帯的にも?」
含みのあるタジの言葉に困惑しつつ、ゴードは随行するのを決めた。
ケムクに背負われながらつれられた場所は、確かに本陣から目と鼻の先とも言える場所だった。起伏のある土地の、すり鉢状になった低地である。
辺りに魔獣の気配はないとタジは言うものの、前線から魔獣側に踏み込むその土地は、怪我を負っているゴードにとっては緊張がいや増す。すり鉢状の低地になっていては、辺りを見渡すこともできない。
荷馬車一杯に積み込んだのは水の入った樽である。
商人も馬も魔獣の領土に踏み込むことを嫌がったから、タジが手づから荷馬車をひくはめになった。
「俺は馬車馬じゃねぇぞ」
呻くような小声で文句を言うタジに思わずケムクが反応してしまい、そのおかげで今、ケムクの眉間には大きなたんこぶができていた。
「しっかし、こんなところに何の用があるんですか、タジ殿」
連れられてきた意味を知らないケムクが問う。
「こういう用だよ」
タジはすり鉢状の窪地の中央に、積み荷の樽を投げ込んだ。
「ああーーーっっ!!?」
大声をあげたのはケムクである。
わざわざ運んできた貴重な水を無下にする行為だ。チスイの荒野に生きる者なら、水の貴重さを痛いほどに知っている。タジの行為は、ほとんど冒涜と言ってよい。
「なっ、なっなにしているんですかタジ殿!」
「何って、実験だよ」
「実験!?そんな実験って何の実験ですか!わざわざ貴重な水を地面にたれ流すなんてそんなのは……」
「お、さっそくおいでなさった」
ケムクの猛抗議が途中で止んだのは、丘と丘の間に、竜巻が見えたからだった。
竜巻は砂を巻き上げてジリジリとこちらに向かってやってくる。すり鉢状になった底には水たまりができており、餌を見つけてにじり寄る蛇のように動いていた。
「タッ、タジ殿!こちらにやってきますよ!」
「おう、逃げろ逃げろ。お前はどうなっても良いが、背負ってるゴードが怪我をしたらお前にも同じかそれ以上の怪我をさせるぞ」
タジは荷馬車を丘の上に放り投げて退避させる。脅しを受けたケムクも、必死になって丘の上へと避難した。
丘の中腹でタジは振り返る。水たまりは、まだ表面にできていた。
「来い……」
「タジ殿!危ないですよ、タジ殿!」
「来い……!」
竜巻が、水たまりを飲み込む。
次の瞬間、竜巻の地面に接している個所から、蛇口をひねったように水が絞り出された。地中に染み込んだはずの水分をも吸いだして、内包していく。
あっという間に、竜巻のてっぺんに水は到達して、上空から水が舞った。
「おお……これが……」
ゴードがつぶやく。
「ええ!?何ですかこれ!?すご、スッゴい!!」
ケムクが子どものようにはしゃぐ。
「実験は、成功だな」
何年かの時を経て、散水塔が復活したのだった。
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