荒野に虹を 70
タジの姿を、モルゲッコーが捉えることはできなかった。
霞がかった月光に照らされたチスイの荒野。騎士たちの間をほんのわずかの影が走り去るだけで、周囲の人間は須く足から崩れ落ち、意識を失った。
不運な者は、意識を失い倒れる瞬間に自らの武器によって、あるいは近くの仲間の武器によって重篤な怪我を負った。そういう者は失った意識を取り戻すこともあったが、体が動くのを拒むのだった。
モルゲッコーはその場を去るべく足を動かそうとした。
しかし自分の意思に反して、体は全く動かなかった。足が、地面に縫いつけられたようにその場に張り付き、関節は微動だにしない。額に玉の汗を浮かべて逃げ出そうと必死に体に命令しようとするも、無駄だった。
「――ッ!――ッ!!!」
気合を入れるために声をあげようとしても、それすらも体が拒む。
そうしている間にも、ゴードとイヨトンを包囲していた騎士たちは、無意識の海へと沈んでいく。累々たる気絶者の絨毯は、倒されたドミノのような虚しさが感じられた。
丘を駆け上る風が、額の汗を吹き飛ばしたと思うと、次の瞬間にはモルゲッコーの体は易々と持ち上げられ、首にはタジの手がかかっている。
「王手。いや、王と言うにはあまりに陳腐な猿山の王だがな」
もし、タジが持ち上げたモルゲッコーを地面に叩きつければ、不幸なことにタジが着地する下敷きとなったデームと同じように、一個の肉塊と化すだろう。
「一つ質問をしよう。もし、その質問に正直に答えるのなら、俺は今すぐこの手を離して、お前を自由にしてやる」
モルゲッコーは不自由な首を最大限動かして首肯した。タジが首を離すと、モルゲッコーは激しく咳き込んだ。
「さあ、正直に答えてくれ」
今度は首ではなく、頭を掴む。
「ヒイイィィィ痛タ痛タタタタ!」
万力のように頭蓋骨に力が加えられ、モルゲッコーは激痛に悲鳴を上げた。耳の奥に、ギシ、ミシ、と鈍い音が聞こえると、首を掴まれたとき以上の死の恐怖を感じ、頭髪がごっそりと抜け落ちる気配がした。
再びタジが力を弛めると、モルゲッコーの顔は何歳も年老いたかのようにひどくやつれてしまっていた。
「お前たちの裏には、魔獣と手を結ぶ人間がいる。それは分かっている」
タジはモルゲッコーの目を見続けた。
瞳孔が動く。鼓動がはねる。しばらくして、モルゲッコーの額に、再びじっとりとした汗が滲みでてくる。
「オルーロフは、お前たちに利用されたのか?それとも、お前たちの仲間だったのか?」
「それは……」
今、なぜそんな質問をするのか。
モルゲッコーはジンジンと痛む頭で必死に考えた。
タジにオルーロフをけしかけたことは、もうバレているのだろう。少し前に聞こえた魔獣の遠吠え。あれは恐らくオルーロフが聖水を取り込んで魔獣化したときの咆哮だったのだ。
それは確かにモルゲッコーが命じたことだ。
オルーロフはモルゲッコーがチスイの荒野の新たな総指揮官に任命された時点で、麾下に加わっている。上官の命令は絶対であり、そこに異論を差し挟む者は、軍紀を乱すものとして厳重に注意されなければならない。
つまり、オルーロフが仲間であろうとあるまいと、モルゲッコーの命令には従わなければならなかったはずだ。
しかし……。
「何のことだか分からない」
タジに事がバレているからとは言え、ここで全てを白状したとして事態が好転する訳ではない。むしろ白を切りとおした方が、今後の工作もしやすくなるはずだ。
「なるほど、狡猾だ。お前が白状しようとするまいと、俺はお前たちを許すつもりは無いし、俺がオルーロフに手を下したことも、もはや取り返しはつかない」
「ならば」
「うるせぇ!俺は今ギリギリのところで理性を保ってんだ!いいか!お前らがどんな動きを見せようが、俺は荒野に平和を取り戻す!今みたいな膠着状態ではない、もっと有意義な平和をな!」
有意義な平和などという言葉があるかは分からないが、とにかくタジは、お前とは違うと叫びたかった。
タジがモルゲッコーの頭を振って脳震盪を起こさせると、その場に放り投げた。
大勢の騎士をその場に置き去りにして、タジは丘の下に気絶するゴードとイヨトンを担ぐと、急いで本陣に戻るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます