荒野に虹を 66

 鍛えていないゴードの身体に、追手を気にかけながら走り続けるのは酷な事だった。まして起伏の激しいチスイの荒野である。坂道と追手を気にしながら、全速力で走り続けるなど、普通の人には土台無理な話だ。

 ゴードが丘の下り坂で足をもつれさせ、転がるように落ちていく。したたかに体を打って、その場で動けなくなった。

 喉に貼り付くような痛みがある。息せき切れて、短い呼吸を繰り返す。すぐに立ち上がろうとしても、体がそれを許さなかった。

 どれだけ走ったかは分からない。それほどゴードは必死だった。

 イヨトンが丘から降りてきて、ゴードの前に仁王立ちする。

「……!」

 ゴードは話しかけようとしたが、ひりつく喉は言葉を発することもできなかった。それに、何を話しかけていいのかも、分からなかった。

「あとはもう、神に祈るしかありませんね」

 イヨトンは大きく深呼吸をした。

 丘の上を睨みつけると、篝火の逆光の中にずらりと騎士が並んでいた。

 盾を持つ者、剣を持つ者、弓を持つ者。よくもまあ一人の追手にこれだけの戦力を投入するものだと感心するが、モルゲッコーはここでイヨトンとゴードを逃がしてしまえば必敗だ。

 なぜなら、これは主君に対する明確な裏切り行為なのだから。

 勅命書があってその通りに動こうとしている人間の、その手伝いをする仲間に対して弓を引く行為である。己の我を通し、権力を手に入れようとしたために暴走した人間の末路の姿だった。

 しかしそれも、イヨトンとゴードが生きているからこそ語れるのである。

 もしここで標的である二人が殺されてしまえば、この一件に参加した、あるいは参加させられた者たちは、共に咎を背負って口裏を合わせるようになるだろう。そして、モルゲッコーは真実をこの一夜にのみ閉じ込めて、眠りの国に対して虚偽の報告をするだろう。

 勅命書を持つ太陽の御使い、タジ様につく人間は、逆賊でありました。

 心の純粋なタジ様の隙につけこみ、自分たちに利するよう誘導したのです。

 我々はそれを阻止すべく、二人を始末しました。

 つきましては、タジ様の処遇に関しましてもご一考願いまして候……。

 自分たちが行おうとしていることを、そのままイヨトンとゴードに押しつけて、あたかもモルゲッコー自身は忠臣を装う。荒野の歌姫を救出することができなかったタジが言ったように、都合の悪い真実は物語の中に隠してしまえばいい。

 多勢に無勢。

 イヨトンから攻撃することは出来なかった。

 ゴードを足下に置いて守る必要があったし、そもそも人数差で圧倒的に不利な状況である。敵方はイヨトンたちがもはや逃げられないのを良いことに、包囲網を徐々に左右へと広げて陣を完成させつつある。

 それはもはや一人に対して用いるべき陣の様相ではなかった。

 円を狭めて押しつぶせば生け捕りすらも容易だろう。

 何のために生け捕りにするのか。決まっている。タジを自陣営で利用するためだ。

「卑怯者!こちらの人数の少ないことを知りながら、まだ多勢を恃むか!」

 イヨトンは叫んだ。

 武器を構える騎士たちには、動揺一つ起こらない。それどころか、侮蔑と嘲笑が小波のように二人の足下を浚うだけだ。

「太陽の御使いに仕える者たちに、細心の注意を払うのは当然のこと」

 正面の陣を割って、モルゲッコーが顔を出した。

「イヨトン、お前は決して武力のある人間ではなかったな?それでも挑発に乗せねばこの場は逃げられぬと踏んだのだろう?その考えは間違ってはいないよ」

「だったら、せめて決闘の一つもさせてもらおうじゃない。それとも、あなたたちは格下の女に挑発されてもしり込みするような腰抜け揃いなのかしら」

 陣のそこかしこから怒声が降って来る。

 それらを腕の一振りでかき消して、モルゲッコーは答えた。

「私の二つ名をご存じだろう?不死の騎士だ。余計な争いで兵を死なせるのは私の流儀に反する。二つ名に傷をつける。それに、こうして囲ってにじり寄れば、勝てる」

 篝火の逆光であっても、その影に隠れて邪悪な笑みを浮かべているのが分かった。

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