荒野に虹を 58
月の出る夜中に、チスイの荒野の中心へと向かって駆けていくことにもすっかり慣れたように感じる。
タジは一陣の風となって荒野を駆けた。足音を置き去りにして、風を置き去りにして、土煙のひとつも上げずに駆けていく。
ふと、疑問が一つ湧いてきた。
ゴードが謀殺されかけた時。あの時に失敗した暗殺者は、今も生きているのだろうか。失敗の汚名を雪ぐこともできず、眠りの国に配置転換されたか、あるいは斥候として働かざるを得ないか、またあるいは……既に物言わぬ物質と化しているか。
疑問と言うよりも、ほとんど同情による懸念に近い。
「近いのだけれども、こういう時にふと思い出すということは……」
思わず独り言が出てしまう。
そして、その独り言を裏付けるかのように、進む道の先、丘の稜線の向こうに彼らは陣を張っていた。
人間と同じくらいの大きさの、昆虫のような魔獣の数々が、ずらりとタジの行く手を阻んでいる。そしてその中心に、それらの輪郭とは明らかに異なる人影が立っていた。
月明かりは人影の顔を逆光の陰に隠してしまう。
なだらかな丘の頂上に立ちどまると、昆虫型の魔獣と人影を前にタジは仁王立ちをした。
「虫の知らせ、って奴だな。おあつらえ向きに魔獣も昆虫型ばっかりだ」
昆虫型の魔獣は、タジを目の前にして明らかな威嚇の姿勢をし始めた。サソリのような尻尾を持つ形の魔獣は、尾を高く持ち上げて頭を低くし、両手の鋏をカチカチと鳴らしている。巨大な芋虫型の魔獣は頭を高く持ち上げて、歯をガチガチと鳴らす。空を飛ぶ甲虫型の魔獣は、羽音を一段高くした。
一群となって今にも襲いかかってこようとする魔獣たちを侍らせて、人影は微動だにしない。
足がすくんでいるのか、とタジが心配するほどの光景だが、よほど腹が据わっているか、あるいは進退窮まっているか。
人影はおもむろに片方の腕を天高く持ち上げた。
天を指さすその腕が、タジに向かって振り下ろされると同時に、人影の周りを取り囲んでいた魔獣たちがタジに向かって一斉に襲いかかってきた。
「うわあ、虫が苦手な奴には鳥肌ものだろうな……」
タジ自身、苦手ではないにせよこれだけの群れを相手取ると、生理的な嫌悪感がわずかに生じた。
羽音が一直線にこちらに向かって来る。
角を生やした甲虫が、タジの身体に風穴を開けるべく猛然と襲いかかる。その瞳には何の意思もなく、冷ややかな光沢が月光を鈍く反射させる。
「魔獣が人間に取り入ろうって言うね、なかなか恐ろしい展開だよ」
タジは跳び上がった。
突進する甲虫たちは空中で身をよじらせるようにして軌道を変えた。その姿は、航空戦闘機の大型ラジコンのようですらある。
隊列の概念すらなくバラバラと突撃してくる魔獣の急先鋒、カブトムシのような魔獣の一本角を抱えるように掴むと空中でグワリと体を回転させて、次から次へと突進してくる魔獣に向かって思い切り投げ飛ばした。
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