荒野に虹を 29

 眠りの国の王、その玉座を彩る色とりどりの魔石。それは自然から抽出された力の結晶である。力に意思はない。ただ、その力が人間にとって害があるかどうか、という点が問題なのだ。

 発酵と腐敗が、何かを変化させる力に対して恣意的な見方をさせるように、魔力と魔瘴の関係は表裏なのかもしれない。

「悪意、という言葉には多少語弊もあるだろうが、人体にとって有害な力であることは間違いない。それこそ、経口摂取によって人間が魔獣化するほどに」

 イヨトンは、神の祝福によって人間が魔獣化するのではないかと推察した。それは人体に対する悪影響としては最も恐ろしい結末たりえる話である。

「そう言えば、祈りの歌姫がさらわれた時、死んだり弱ったりした人間が魔獣に変えられたようですね」

「人間だけが生物の軛から解放されている訳がない、ってことか」

 魔瘴が有害である以上、人体にも影響があるのは当然だ。

「魔瘴はまだまだ謎の多い力です。健康な人間に働き影響を及ぼすことも十分考えられる。なるべく魔瘴に近づかないようにするのは、この世界では常識です」

「まあ、それはそうだな」

「他人事になさらないでください、タジ様、私はあなたに言っているのですから」

 タジは掌の上で漆黒の正四面体をコロコロと弄んでいる。

「不思議な形だ……なぜわざわざ球体ではなくこんな不安定な形で結晶化するんだ?」

 魔瘴の結晶が加工可能なものなのかは分からないが、魔石のように結晶化している以上、力を加えれば何らかの変化が起こりそうなものである。

 タジは正四面体の頂点の一つと、底面にあたる部分とでつまみ、おもむろに力を込めてみた。

「タジ様……?」

 顔に力のこもっていくタジを見て、ムヌーグが訝しむ。指先に込める力が強くなるものの、魔瘴の結晶はヒビも入らなければ歪みもしない。まるで時が止まっているかのように、全く変化する兆しが無かった。

「不思議な感触だ」

「もしかして、割ろうとしたのですか?」

 ムヌーグの問いにタジは頷いた。

 もしそれが砕いて粉々になったり、伸ばして平らになるようなものならば、正四面体である理由は単純に結晶として安定した形をとっているだけということが分かる。しかし、その結晶はタジの力に対して微動だにしなかった。だとしたら、漆黒の正四面体は、その形に何らかの意図があるのかもしれない。

 例えば、魔神による意図が。

「力を入れたら砕けるか平べったくなるかと思ったんだが、まるで時間が止まったかのように一つも変化しない。何か呪いのようなものを感じるよ」

「ということは、この結晶を再び神の祝福のように液体として扱うのは不可能ということでしょうか」

「出来たとしても、砕いて水に溶かすとかではなく、何らかの手続きが必要なのかもしれないな。おっと、不用意に触るなよ。何が起こるか分からないからな」

「一番最初に不用意に触ったタジ様に言われたくはありません」

 タジは既に触れた経験がある、という言い訳よりも早く、ムヌーグがその正四面体に触れた。果たしてムヌーグにも悪影響はなく、そしてその正四面体の感触に妙な気持ち悪さを覚えるのだった。

「確かに、何か硬さとは別種のものを感じますね」

「だろう?」

 あまり魔瘴の結晶だけにかかずらっても仕方ない。他の漆黒の液体をチスイの荒野に染み込ませたように、タジはそれを地中深くに埋めた方が良いと提案する。そこでムヌーグはイヨトンに兵舎の地下、その奥深くに穴を掘って埋めるように指示した。イヨトンは銀の手桶と共に結晶をもって直ちに仕事に取り掛かる。

「イヨトンは小間使いじゃねぇぞ」

「当たり前です、イヨトンは私の大切な部下ですよ。さて、タジ様、私も一緒にレダ王の御前に伺おうと思いますが、ご一緒してよろしいでしょうか?」

「イヨトンの上司ということでか?」

「お守りがどのような仕事だったのか、上司として経験しておきたいと思いまして」

「ああそうかい」

 相変わらず余計な一言が多いと思いながら、タジはムヌーグと共に眠りの国の中央、城へと向かうのだった。

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